第2話 謎の美女

 浜田太郎。


 親が付けたセンスを疑う名前のせいで「記入例」というあだ名で青春を過ごした冴えない青年だ。もともと控え目な性格だが、名前のせいでより一層、目立つことを嫌うようになった。趣味はゲームと漫画。絵に書いたようなダメ人生を送っていた彼だが、ひとつだけ人と違うことがあった。


 それは「記憶」だ。夢や妄想とは違う、確かに経験したという感覚がある。


(僕のこの記憶は何なんだろう……?)


 ファンタジーのような世界。彼は「アデル」という名の十六歳程の少年だった。絶望的な戦いを勝利に導き、英雄と呼ばれていた。しかし戦闘終了後、彼を待っていたのは上官が振り下ろす剣だった。


(あの時……)


 太郎は記憶の中で切り裂かれた左肩に手を当てる。痛みが生々しく蘇ってきて、抗議するかのように心臓が乱暴に鼓動する。


(そう、僕は殺されたんだ……)


 異世界の記憶はそこで途切れている。自分の感覚でも助かりようのない傷だとわかっていた。荒ぶる心臓と蘇った痛みを抑えるために深呼吸を繰り返す。


(落ち着け……もう関係のないことだ……)


 いつもはこうしていれば記憶の中の痛みは消えていく。しかし今回はなかなか消えない。それどころか痛みは増していき、呼吸はさらに乱れていった。心臓が胸骨を破って外に飛び出そうとするかのように暴れまわっている。


(な、なんだこれ……!?)


 太郎は膝から崩れ落ちた。頭から倒れなかったのは最後の抵抗だ。だがその抵抗もむなしく、視界が大きく傾いていく。太郎の体が完全に地面に倒れたとき、彼の意識は完全になくなっていた。




 さわやかさの中に微かに甘みを感じる、そんな匂いだった。続いて感じたのは後頭部に柔らかさと温かさ。心地良い。これが天国だというのなら死ぬのも悪くない……そんなとりとめのない思考とともに徐々にアデルの意識が戻ってくる。


(ここは……?)


 アデルは重い瞼を上げる。


 美しく流れる銀の川。二つの丘。なめらかな褐色の平原。その向こうに星がきらめく二つの宇宙。


(幻想的な光景……これが死後の世界か)


 そんなことを考えているうちにアデルのぼやけた視界が段々と鮮明さを取り戻す。


(……なんつー美人だ)


 自分が見ているものが顔だと認識するより先にその美しさが衝撃となって網膜の奥に押し寄せた。同時に謎の情報がアデルの脳裏に浮かびあがる。


名前:イルアーナ・マザーウッド

所属:黒き森

指揮 95

武力 87

智謀 91

内政 98

魔力 99


「うわっ」


 アデルは初めての感覚に思わず驚いて跳び起きた。


(能力値!?)


 それはまさにゲームの能力値のようだった。RPG系ではなくSLG系のものだ。それがアデルの頭の中に情報として勝手に浮かび上がる。


「うぐっ!」


 跳び起きた拍子にアデルの左肩から胸にかけて鋭い痛みが走った。


「大丈夫か?」


 アデルの耳に落ち着いた柔らかな声が染み込んだ。アデルが跳び起きた勢いで少し距離は開いたが、声の主はすぐ傍らにいた。


 ロングの銀髪に褐色の肌。ツンと立った鼻先の整った顔立ちは近づきがたいほど美しい。今はその顔に慈愛に満ちた表情が浮かんでおり、黒くうるんだ瞳がアデルを見つめている。一見したところ人間と変わりないが唯一、長くとがった耳が彼女が人間ではないことを示していた。


「驚くのも無理はない。私はイルアーナ、見ての通りダークエルフだ」


 口を開けて彼女を見つめるだけのアデルがダークエルフに驚いていると勘違いした彼女は言葉を続けた。


 ダークエルフは森に住む魔力に長けた種族だ。邪悪な存在と言われており、人間とは敵対しているとされている。ヴィーケン王国には「黒き森」と呼ばれるダークエルフの住む森があり、アデルが父親と住んでいた家もその黒き森の外れにあった。


「安心して欲しい、敵意はない」


 イルアーナは両手を広げて敵意がないことをアピールした。


 身にまとっているのは白いチェニックだ。スリットが入っており、膝立ちしているのでかなり大胆に太ももがあらわになっていた。


 その傍らには灰色のローブが地面の上に敷かれている。そういえばアデルは自分の背中が地面ではなく何か布状の物に横たわっていたことを思い出した。


(もしかして……膝枕されていたのか?)


 アデルは後頭部で感じた柔らかさと温かさを思い出す。


(どうして起きてしまったんだ……迂闊に跳び起きず、もう少し目を閉じたまま状況を把握すれば良かった……寝返りを打っていればあのスベスベの太ももに頬ずりできていたかもしれない。いや、もしかして覚えていないだけで眠っている間にしていたのか? というか目を覚ました時に丘だと思ったのは胸? なんであんなに体は細いのに胸は大きいんだ? あれだったら起き上がるときに胸にぶつかる……なんならよくわからないけど顔を埋めちゃうラッキースケベが起こっても不思議じゃない……やり直したい。神様、もしいらっしゃるならあの膝枕から人生をやり直させてください……)


 アデルの頭がそのような思考でしばらく支配された。


「そうか、状況が呑み込めていないのだな」

 

 嵐のような下心が頭の中に吹き荒れて放心しているアデルの様子を、イルアーナはまたもや勘違いしているようだった。イルアーナの言葉に少し冷静さを取り戻したアデルは周囲を見回した。


 どこかの林の中のようで、まばらに生えた木の間に腰の高さほどの茂みが周りを囲んでいた。現代日本で見慣れたビル、コンクリートの舗装、電線といった人工物が一切見当たらない。朝焼けに染められたバーランド山脈らしき山々が遠くに見える。


(元の世界に戻ってきたのか……?)


 アデルの頭の中は疑問だらけだった。


「おまえはマイズ侯爵に斬られたのだ」


 イルアーナに言われ、アデルはあの夜のことを思い出した……

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