第3話 完璧な女の子

 ハンナは一礼すると、誰もいなくなってしまった机の整理を始めた。『さあ仕事を始めるぞ!』とエドワルドは気合を入れた。


 彼は早速書類をペラペラとめくってみたが、やはりお役所仕事というのは、どの地域に行っても似たり寄ったりなのだろう。今までの勤務経験でやってきた仕事に似ているので、初見であれど苦戦することはなかった。


「彼女……字がとても綺麗だな、見やすい。それに、こんなところってみんなが面倒くさがってろくに点検しないところなんだけど、しっかり点検されている。こんなすごい子が一体なんで……言い方が悪いけど、辺境に飛ばすような人材じゃないでしょ。中央でこそ輝くぞ、この才能は」


 エドワルドは個人の業務として色々やってきたが、自分の腕前と比較したら完敗していることが分かった。自分がふたりいても敵わないかもしれないと自嘲気味に笑った。


「あっ……でも書類からこの子の性格が分かっちゃったな。作った書類は完璧なんだけど……これかな? これが彼女の飛ばされた原因のひとつであることは間違いないだろうね。人間不信のタイプって、書類の性格が分かりやすい」


 彼は肘に頬を当てながら、紙をペラペラとめくる。そして彼女に聞こえないように呟いた。


「まあそもそもの話で言えば、村長って紹介された人が目の前にいるのに、『仕事をしているので話しかけないでもらえますか』は一撃でアウトなんだけどね……誰も注意してこなかったのだろう」


 エドワルドは書類の全てに目を通すと、片付けをしている彼女を呼び出した。彼はちょっとだけ鼻っぱしを折ることを考えていた。一度矯正してあげないと、彼女はずっと間違った仕事をし続けることになるだろう。


「ハンナ、全部の書類に目を通させてもらったよ」


「ありがとうございます。完璧な仕事をご覧いただけましたでしょうか?」


 彼女の仕事は完璧であり、上司からは何も指摘を受けないことが当たり前であると言わんばかりの態度で偉そうに言っていた。


「君の作った書類は完璧だったよ、恐れ入りました。きっとその“腕前だけ”で言ったら、王都でも大活躍できると思うよ。素晴らしい才能と努力だね」


 あえてエドワルドは強調するように言った。


「村長……何か含みのある言い方ですね。何か文句があるならはっきり仰ってください!」


 ハンナは頬を膨らませ、口をへの字にしてエドワルドに抗議した。彼女は腹芸が出来ない様だ、思ったことがすぐに顔に出てしまう。むしろ隠すと言うことを知らない可能性すらあった。


 彼は、彼女からの怒気をあっけらかんとして受け流し、まるで簡単なことのように言い放った。


「そうだね、もう少し優しい書類整理をして欲しいかな」


「仰っている意味が分かりません」


 言葉こそ丁寧だが、彼女の声は更に怒気を強め、身体中を不満気さで覆っていた。


「君の作った書類と、その書類を作るに至った資料があるよね。根拠資料ってやつさ」


「ええ、きちんと参考資料としてお付けしました」


「僕は君の作った書類を決裁箱の上から順番に見ていくわけだけど、突合させるための資料の順番がバラバラなんだ。ちょっと辛いよね」


 エドワルドは資料を持って上からペラペラと紙を捲りながら彼女に聞いた。


「申し訳ございません。そんなつもりはありませんでした」


 彼女の語気が弱くなり、目が少し泳いでいることを彼は確認した。思いの外、打たれ弱い。


「仕方ないよ、今までの上司はよほどの無能だったんだ。直すべき時に直そうとされずに放置されたのは、悲劇さ」


 エドワルドは彼女の謝罪を一蹴した。彼の声はただただ優しい。彼女の素質を認めつつ、指導者達を非難した。


「資料の見せ方は、どうしても上の人が教えないといけないからねえ。個人で鍛え上げられるものではないよ」


 彼は彼女の態度を責めなかった。唯一責めるべきは、協調性を失ったことだろう。個人芸の極みに至っているであろうが、他者が絡むと弱くなる。


「君の仕事は素晴らしいよ、褒めてあげる。だけど僕の今日の点検は、まずこの中にある資料を探すところから始まりました。きちんと見やすく編綴して渡してくれていたら、点検時間は半分で済んだよ。そこは欠点」


「うっ……申し訳ありません」


「いいよ、前任者が全くちゃんと見てこなかったことが分かっただけだから。本当に君だけなら完璧なんだけどね、勿体ない」


 一応の助け舟は出していた。才能はあるのに、誰も指導しないと歪んだ自信を持って間違った方向に暴走してしまう。


(歴代の彼女の上司がきちんと教えなくて、その結果、恨まれ役を僕がやらないといけないなんてね。本当に役人ってのは、真面目でやる気のある人間から損をする構造になっているよ)


「つまり、君は自分の作る書類は完璧だけど、他の人と仲良くしたり、気を遣ってあげることがとことん苦手でしょ。ダメだよ、みんなと仲良くしなきゃ」


「……はい」


「どうせ宴会では、参加はしても端っこで誰とも話さずに、時間の経過を待っているだけの苦痛を味わっているんだ」


「何で知っているんですか……」


 彼女は突然の指摘に目が点になった。予想外のところから人物像を当てられる感覚に、足が少し震えていた。


「分かるよ、分かりやすいんだよ、君は。でも安心して、僕は君の理解者だよ。何せ僕も随分とひどい目に遭ってきたからね」


「まさか村長も同じ目に遭ってきたのですか?」


「本当の地獄ってものを見てきた人間からすると、君はまだ穢れていなくて素晴らしいよ。安心してくれ、君が僕の部下になったからにはきちんと君と向き合うよ」


「……」


 彼女はプルプルと震えながら涙目でエドワルドを見つめていた。彼女は砕けたように見えて、かなり根性がある方だ。


「村長、私はそれほどまでに“完璧”からかけ離れているのでしょうか?」


「君は“完璧”じゃないけど、凄い人だよ。何度も言っているように、君の個人としての能力は非常に高い。本当に高いんだ、だが完璧じゃない。完璧じゃない部分はこれから僕が教えていってあげるよ。先輩として、上司としてね!」


「うう……うわあああああ!」


 彼女は目尻に溜まった涙が崩壊し、足元にこぼれ始めた。彼女の足が震え、その場で机にしがみつくようにしゃがんだ。


「色々と溜まっているね、君も。ちょっと外に出ておくよ、落ち着いたら呼んでくれ」


「グスッ……ダメです、いてくださいよ」


「そっか、じゃあここにいさせてもらうよ」


 彼は椅子から立ち上がると、彼女の背中をさするために近づいた。あんなに堂々としていた時は大きいと思った彼女の姿も、少女のように小さく感じる。


「今までよく頑張ってきたよ、お疲れ様」


「うぐっ……ひっぐ……そんなことを言ってくれる人はいませんでした。前の部署も、前の前の部署も」


 彼は言葉をかけることなく、ずっと背中を撫でていた。静かな事務所の中で、彼女のすすり泣く声だけが響いていた。

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