第87話 飛んで火に入る夏の虫
「やっぱり変かな?」
「そうですね。手形だと少し難しいかもしれません。それではティナリアと名前を刻むのはいかがですか?ティナリア様の書いた文字を拝見しまいたが大変美しく、スーツの刺繍としても違和感はでないかと」
「名前は変じゃないっ?」
「はい。お子様や夫婦間でつけられる方は少なからずいらっしゃいます」
「じゃーそうするっ」
ティナは納得したようで、ご機嫌の笑顔を室内に振りまいている。
テトモコシロも肉球スタンプができることを知り、しっぽをフリフリ。
「従魔様のお手の素材が欲しいのですが、形どらせてもらってもよろしいですか?」
「いいよー」
ティナは男性から黒のインクを受け取り、床に置く。浅い箱にインクを入れ、横に紙をセット。
「テトちゃんからね」
「にゃっ」
ティナが声をかけると、文句も言わず、インクの入った箱に右前足を入れ、そのまま紙に押し当てるテト。
その様子を伺っていた店の人たちはおおーと驚きの声を上げている。
うちの子は全員天才すぎるからな。こんなもの序の口よ。
まあ、いきなりペットの動物が言葉だけでこんなことしたら俺も驚くけどな。
今更テトモコシロの賢さに驚くことなんてない。
モコに関しては俺より大人な時があるぐらいだからな。
テトの次はモコ、シロと順調にスタンプは進んでいき、素材ができたようだ。
みんな一発合格のやり直しなし。
「ティナちゃん。ソラのネクタイ何がいいと思う?」
フィリアはスーツに合わせるシャツを数枚、靴を選んで決めており、最後のネクタイ選びをしていたみたいだ。
「んー。これ。可愛い」
ティナが指さすのは黒い蝶ネクタイ。
ティナが気に入っているみたいだが、蝶ネクタイなんて可愛い人しか似合わないと思うんだけど。
二十代で蝶ネクタイつけるのは可愛い系のおしゃれさんだけしか許されないんだぞ?
こんな普通の大学生がつけるものじゃない……。というか。そうか。
十歳の子供だったな。
あまりの恥ずかしさと、日本にいた時の姿で蝶ネクタイを付けた姿を想像してしまったので、今の年齢を忘れていた。
確かにこの見た目なら似合うかもしれないな。
まあ、ティナがご所望ですし、なんでも着てやろう。
礼服なんて着る機会ないかもしれないけどね。
フィリアが服の製作を依頼し、そのまま店を出るみたいだ。
二、三日でできるみたいなので楽しみにしておこう。
さぁー買い物も終わりかな?
俺もそろそろ帰るか。
そう思って歩き出すと、後ろからフィリアとティナの会話が聞こえてくる。
「ソラにお菓子作りたいの。フィリアおねえちゃん作れる?」
「簡単なものであれば作れるし、家のシェフに言えば教えてくれるわよ?」
「ソラに優勝おめでとうするのっ」
「そうね。じゃー、帰ったらキッチンで作ってみましょ?」
「うんっ」
すごく興味深い話が聞こえた。
ティナの手作りお菓子。なんたる幸運か。
ほんとに優勝してよかったよ。五億円を超えるほどの価値があるぞ?
「にゃ」
「うわぁ。テト、びっくりした。どうした?」
ティナが作るお菓子の想像を、いや、妄想を膨らませていると、影世界でテトに声をかけられる。
「にゃにゃにゃ」
「えっ?なんでティナが作るところ見ちゃだめなの?それぐらいよくない?」
「にゃにゃにゃん、にゃにゃ?」
「いや、失敗しても全部俺が食うぞ?しかもティナが作るものに失敗なんてものは存在しない。ティナが手を加えたということだけでも成功なんだぞ?」
「にゃー……。にゃにゃにゃ」
「乙女心って、テトが言うことかよ」
テトはため息まじりの声を出しながらも、とりあえずキッチンに入ることは禁止された。
なんでだよ。俺もティナの勇士を見たかったのに。
ティナのエプロン姿とか数か月ぶりだぞ?みたいに決まってるだろう。
そんな訴えはむなしく。サプライズだから影からもダメということ。
反論を考えている間にも、テトは影世界から出ており、俺の声はむなしく灰色の世界に響き渡る。
もちろん誰からの返答もない。
くそー。たぶんテトモコシロ三匹の決定だから、このままそれを破ると大変なことになる。
三匹の機嫌をとるのは大変だし、じゃれあいが激しくなりすぎるからな。
ここはおとなしく指示にしたがったほうがいい。
お菓子を作るのがどれだけかかるか知らないがおそらく二時間ぐらいだろう。
その間俺は自室で本でも読んでおこう。
口実のための新しい本でも買って、屋敷に戻りますか。
帝都の路地裏で表世界へと戻り、そのまま大通りを歩く。
今日はうちの子たちがいないのに視線が多いな。
祭り中だからって、みんな浮かれすぎだぞっ。
視線をシャットダウンし、屋台が列になっている大通りを一人練り歩く。
「あのー。ソラ君?」
「はい?」
声が聞こえた方を振りかえるとそこには知らない女性たち。
んー。俺の事知っているみたいだけど、誰だっけか。冒険者ギルドの受付嬢?ベクトル商会のスタッフ?
どれだけ思い変えしても記憶にない。そもそも人が多いから全員把握しているわけではないしな。
「昨日の試合カッコよかったよ。はいこれ。甘いおやつよ。いっぱい食べてね」
「私からはさっき買った靴下あげちゃう。ソラ君でも履けると思うわ」
「はい、アメちゃん」
女性たちは袋にそれぞれ品を入れ、俺へと渡してくる。
試合……そうだ。昨日武闘大会を優勝し知名度が上がった俺は絡まれるから街中にはいかないように注意しようと決めたところなのに。
ティナのプレゼントのことで頭がいっぱいで忘れてしまっていた。
先ほどの女性の声が聞こえたのか、野次馬がどんどんと増えてくる。
また場所と時間が最悪だ。
ちょうどお昼時の屋台が並ぶ大通り。列で待っている人も多く、人口密度が一番集中している時間かもしれない。
「あー。ありがとう。いただきますね」
「きゃー。ソラ君と話しができたわー」
一応、物をもらったので感謝の気持ちを伝えると、感動して喜ぶ女性たち。
やばい、これは……。
スレイロンの冒険者ギルドで働く女性たちとの記憶がよみがえってくる。
風魔法で飛んじゃだめかな?
歩くたびについてくる女性が増え、手に持たされている袋の重量が増えてくる。
野次馬の人も俺に何かしてくるわけではなく、ただ挨拶してきたり、自己紹介してきたりするだけだ。
今のところ問題はなさそうだが、うちの娘よと言って、七歳ぐらいの子を紹介するのはやめてほしい。
精神年齢が十歳ではないのでな。おそらくだが友達にはなれないぞ?
貴族で大人びているフィリアでギリギリだ。
それ以下は子供としか認識できない。
優しい対応で、優勝を祝って様々なプレゼントをしてくれる女性たちを無下にすることもできず、そのまま引き連れ大通りを歩いている。
「ソラ……その年でハーレムはどうかと思うわよ?」
「ミランダさん。そういえば仕事の話がありましたよね?その仕事の内容を店で話し合いましょう」
「ん?そんなも「ベクトル商会はあそこらへんでしたよね?皆さん申し訳ありません。俺は仕事がありますのでここらへんで帰ります。ベクトル商会で俺の従魔パーカーを売っているので買ってくださいね」」
ミランダさんの発言を遮り、ウインクしながら魔物パーカーの宣伝をする。
頼む。ミランダさん。話を合わせてくれ。
ほら、いま少しだけでも宣伝するからさ。
「そうね。お仕事の話しをしましょうか。みなさんすみませんね。ソラ君はベクトル商会の商品開発の仕事がありまして。今売っている魔物パーカーはすべてソラ君発案の物です。記念祭も終盤で在庫が少なくなってきておりますので、早い来店をお待ちしています」
ミランダさんは俺の意向をくみ取り、どうやら助けてくれるみたいだ。
まあ、もちろん、これはチャンスだとマジックバックからテトパーカーを取り出し俺にかぶせてきているが。
これは致し方ない。
神様印のローブと荷物を収納し、テトパーカーに袖を通す。
「みんな買ってにゃんっ」
以前ティナがやっていて俺の脳に記憶されている物をマネする。
黄色い声が大通り中を支配したが、これ以上いると大変なことになりそうだ。
そのままミランダさんの手をとり、ベクトル商会へと駆け込む。
「はぁー。疲れたー」
「ソラは賢い子だと思ってたのに、なんでまた武闘大会で優勝した次の日に大通りを歩くのよ。王族、貴族以外の優勝者だとあれぐらいの人だかりはできるわよ、それに十歳の子が優勝したということはすごいことなんだからね?余計に人が集まるに決まっているじゃない」
「あーーー。もうやめてよー。反省しているし、理解していたつもりなんだよー」
「なんで理解しているのに大通りを歩くのよ」
「ティナがプレゼントくれるのと、手作りお菓子をつくってくれるらしいから浮かれて、そのことを失念していた」
「ほんと、ティナちゃんたちのことになると冷静さのかけらもないんだから。気をつけなさいよ。みんながみんないい人ではないのだからね」
「はーい。助けてくれてありがとう」
「それはいいわ。武闘大会での優勝、それにさっきの宣伝。それだけでもおつりがくるから」
目を金マークにしたミランダさんはいつものようにきれいなウインクをしてくる。
広報大使としての仕事は十分にできているってことだな。
確かに、店に入った時、結構な数のお客さんがテトモコシロパーカーの前にいたな。
この記念祭でどれだけの売り上げがあるのやら。
ミランさもんもホクホク顔なので、うまくいったのは間違いなさそうだ。
ほんとやり手な女性社長さんだな。
「私は仕事があるから、ソラはもう少しゆくっりしたら帰りなさいよ」
「うん。落ち着くまで休憩させてもらうよ。あ、ついでに、エクセレント商会?にテトモコシロの肉球のスタンプがあるから、商売に使えそうなら使って」
「肉球スタンプ……ワンポイントとしてパーカーに入れれるわね。それに、サイズを変えて、一面にしても需要はあるか。いや。服だけでもなく、他の商品でもロゴとしても使える。それに……」
ミランダさんは俺の話を聞くと、紙を取り出し、文字を書きなぐっている。
詳しくは見ていないが、単語を派生させていき、どんどんと広がりを見せている。
たったひとつの肉球スタンプという単語でここまで想像が働くのはやはり天才だ。
仕事で商売しているのではなく、根っからの商売人なのだろう。
ぶつぶつとつぶやきながらミランダさんは部屋から退出していった。
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