約束

 もうそれ以上は口を開かない。残す言葉も無いという意味だ。

「ちっ」それに垰は唾を吐くと自分の背後に隠れて様子を窺っていた己の姫に向かい文字通り吐き捨てる。

「お前がやれ」「え」見る見るうちに、そばかすの姫の顔色が蒼白く変化していく。

「え、じゃねぇよ。誰のせいで俺がこんなとこで命懸けてると思ってんだ?

 お前だけ、何もせずに俺に守ってもらって、生き残って。それで赦されると思ってんのか? やれ」

 そばかすの姫はガクガクと身体を震わせて瞳を社へ向ける。もう、彼は動き1つ起こさない。ただただ、強く息絶えた自郷の姫を抱き締めているだけだ。

 ふーふーと、息が荒くなる。彼女はそのまま震える手で垰の手から矢を取ろうとした――が。

「おいおい、何大切な俺の矢を使おうとしてんだ。その辺の岩でやれや」

 そばかすの姫は、ゆっくりと垰を見る。その目はまるで氷の様に冷たい。

 彼女は、押し寄せる吐き気を飲み込み両手で持てる岩を持つ。


 そして――。



「やっと終わったか。阿保が。とっとと終わらせてやんねーとこいつも苦しいだろうが。あーあー、見ろよ。何度も殴ったから、頭の中のもんが」


「ぐえええええーーーーー。うげっげえええええええええええーーーー‼ 」

 垰の言葉など、届いていないだろう。そばかすの姫は、離れた場所でどれだけそんな量がと問われる程の胃液を吐瀉し続けていた。

 その様子を見て、垰は静かに瞳を細めたのだった。



「ひどい……」

 柴姫は、少し前から完全にその方向に背を向けて涙を浮かべる。桃谷もまた自分の覚悟が甘かった事を認識した。これは儀式という言葉の戦だと。この凄惨な決闘の果てで改めて気付いたのだ。





「これが、アタシ達が持ってる情報。これを命を見逃してもらえた借りとして返させてもらうわ。そして、手を組む条件はただ一つ。あの弓兵とは絶対に手を組まないと約束して」桃谷の話が済むと、柴姫は背を向けたまま隼太と咲に言った。


「しかし、話を聴く限り、その弓兵。相当な戦力だ。恐らく、吉南の垰という侍だと思う。弓の腕は那須与一の生まれ変わりと評判だ」

 咲がそう言うと、柴姫は語気を強めた。

「じゃあ、あいつとあんたで組みなさい‼ アタシはごめんよ。あの男は自分の姫にもう戦意を失っている兵の止めを命じた‼ そして、戦闘の際も迷いなく相手の姫を狙った」

 そうも言い切れない。戦闘は相手が矢を避けた結果だし姫を戦闘に参加させたのは自分達もだ。と咲は言葉を飲み込む。


「なにより……あいつの眼は信用できない……‼ 」

 そこまで言うと、柴姫はその肩を震わせて鼻を啜る。

 その様子を見て、咲はひとつの決心を刻んだ。

「解った。里々茶の勘は誰よりも鋭い事は私も知ってる、信じるよ。弓を使う兵は仲間にはいれない。それでいい? 」

 それを聞いて、背を向けたまま柴姫が明らかに安堵したのが読み取れた。その様子を見て桃谷が優しく微笑む。


「では、これからは4人で行動を? 」隼太の言葉に、咲は首を横に振る。

「それでは、私達が組んだ事が他の郷にもバレてしまう。そうなってしまって最悪なのは、竜王と吉南が組む事だ。村上と垰の2人を相手にする事になれば、まず勝ち目はないよ。かと言って、いつまでも山の中に居れば私と里々茶の体力が保たない。

 2日――それぞれ里々茶と、隼太の傷の回復と吉南の弓兵の位置を探る事に専念する。遠距離攻撃が出来る吉南を二組で一気に先に排除するのが得策だろう。その後は4人で行動する方が光明手だ。

 それまでは日に一度互いの情報をこの場所で交換するとしよう、それでどうだい? 」


「……せいぜい、アタシ達が離れている時に他の郷にやられない事ね」

 柴姫のその言葉を聞くと桃谷が立ち上がり、2人に深く頭を垂れる。

「うん、桃谷殿。里々茶を……柴姫を宜しく頼むよ。そして、もし私達に何かあった時は――2人が生き残る事だけを考えてくれ」

 咲の言葉に桃屋は優しい瞳を浮かべて力強く頷いた。



「行ってしまいましたね」隼太が傷口の薬草と湿布を張り替えながら、すっかりと暗くなった路の先を見ながらそう言う。

「ああ」返事をすると、咲はそのまま隼太の傍へ擦り寄った。

「姫? 」すると、彼女はそのまま隼太の腕を優しく擦る。

「すまない。妹への攻撃を躊躇したせいで、君には幾つも余計な傷を負わせた。私は君の主君失格だな」そう言いながら、隼太の腕の傷を幾度も撫でる。それを見て隼太は闇で黒く移る樹木を見上げ呟いた。

「咲姫、憶えていますか? 初めて姫が城を抜け出して馬小屋へ忍び込んだ時の事」

 その言葉が不意を突いたのか「へ? 」と彼女は間抜けな顔を上げる。

「あの時、姫は最も気象の荒い馬の小屋へ柵の間から入って触ろうとした」

 咲は、隼太の唇に自身の人差し指を当てて言葉を止めた。

「憶えているさ。例の如く馬は怒り、私に襲い掛かったんだ。

 あの時も――隼太が助けてくれたね。見た事も無い速さで私突き飛ばして荒馬から引き離した。でも、その結果――君は今の様に大怪我を負った」

 隼太は、唇から指をどけると笑った。

「あの時の方が随分ひどいですよ。しかも、あれから何かと姫は僕に付きまとう様になってしまった。怪我が治っても。それは変わらなかった」



「隼太、どうして一緒に来てくれたの? 」珍しい。と隼太は思った。咲が感情に圧されて言葉を続けている。

「山に入る前に言ったじゃないですか。僕の命は殿によって救っていただいた物。その郷の為ならば」

「郷の為? 父上への恩返しの為? 」真剣な眼差しが重ね合う。

 隼太は強く。咲の両手を握る。

「そうです」


 咲は、その言葉を受けて一瞬寂しそうに眉を下げた。だが直ぐに。

「そうか‼ 君はやはり思った通りの忠実な馬世話だ‼ 褒美として帰ったら、父上に頼んで馬世話将の位を授けるよ‼ 」とお道化た風に言うと、その場に大の字に横になった。

 隼太は、上空の樹木の葉の間から一瞬見えた月を見上げる。

「なあ、隼太。これが終わったらさ。仕事とか姫の立場とか全部捨てて、一緒に外の世界を見に行かないか? 自由に」


 咲は自分の思い通りにいかなかった時、決まってこれを言う。


「考えておきますよ」そして、隼太の答はいつも同じ。

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