遭遇

 ――某日未明、天王山。

「姫様、足もとは大丈夫ですか? 」

 厚い蝦夷えぞの民の様な服を着こんだ隼太はそう言うと、背後の先に手を差し出した。

「ああ、ありがとう。隼太」咲もまた、隼太と似た様な衣服に身を包みその手を掴む。まだ元服がんぷくも来ていない様な歳の少年だが、その腕は中々に逞しくその身を引いてくれる。その様子を見つめながら咲は目を合わさぬ様口を開いた。

「すまないね。隼太。こんな事に巻き込んでしまって。まぁ、もしもいよいよの時は、私を見捨てて逃げるんだよ」

 それを受けて、隼太は足を止める。そして真直ぐに咲を見つめた。

「姫、僕の命は殿に拾われ仕事や衣食住を与えて頂いたあの日から、この尾満の郷のモノなのです。でもむしろ僕などよりも、適任な方がいらっしゃったでしょう? 上賀様等、尾満の英傑とも言われています」その声は少し怒っている様にも聴こえるいつもと変わらぬ隼太のものだった事に咲は少しだけ喜びを感じた。


「それで、これから如何なさるのですか? 先も言いましたが――自慢ではありませぬが僕は一介の馬世話。他郷の武者様には到底太刀打ち敵いませんよ」

 咲ははぁはぁと途切れる息を整えて話す。

「ははは、安心しなよ隼太。とりあえずどこかの姫と遭遇したとしても即座に戦闘になる事はあそこを除いてないと思う。そして、あそこ以外の郷の姫と遭遇する事が今の所の第一優先だよ」

 隼太は眉を顰めて咲の方へ向き直る。「あそこ? 」

「ああ、佐東の柳王、そこには姫は一人しかいない。名を華多那姫。安芸の秘宝とまで言われている絶世の美女らしいが、そんな事より彼女が連れている兵が重要だね。恐らくは隼太。君でも聞いた事がある筈だよ」

 そして、にこりと笑うその真っ白な少女を見つめたまま呟き返す。

「柳王……まさか、安芸の剣神……村上翠鳳むらかみすいほう……? 」

 御名答。とでも言いたそうに嬉しそうな笑みのまま少女は頷いた。

「残念だが、もし柳王と遭遇したら一目散に逃走するしかないがそれでも私達だったら瞬く間に首と身体がおさらばだろうねぇ」そして、呑気にそう続けるのだ。


「……そうなると、この儀は最早柳王の勝利で決まっていると? 」

 隼太の乾いた言葉を聞き、少し空を眺めた後彼女は首を横に振った。

「いや、何事も突出し過ぎているのは良い事ばかりではない。特に今回の様な多数の敵を持つようなことはね。そんな事よりも甲冑ではないにしろ、この装備で

もひどく喉が渇くね。どこか小川でも見つけれればいいのだが」

 それを聞いた隼太は指をさして示す。「姫ご覧ください、まだ冷える山中と言うのに羽根虫です。恐らくあと、半刻ほどこちらに向かえば、川は解りませんが、水場はまず在ると思いますよ」

 その白い肌に赤みをつけて、咲はまた微笑んだ。「それは嬉しい情報だね」


 隼太の推察は正しかった。半刻も歩かずとも2人は湖を見つける。

 しかし、そこですぐにそこへ降りる事は出来ない。2人は樹木の影に身を隠すと互いに死角を補う様に周囲を見渡した。

「儀式は、全員が同時刻に山の中に入っている訳じゃない。ここも既に先約が罠を張っているかもしれないね」

 咲の言葉通りなら、ここは待機が正解だろう。だが、それを言う少女の白い肌が青く悪色へと変化していた事が隼太を焦らせた。


「参りましょう、姫。水を確保できればこの先非常に大きい」


 咲は、僅か考えを巡らせた。不確定な行動を起こすに当たり、やはり最悪の状況への発展を想定しなければならない。しかし、成功すれば確かに水分と言う大きな成果を確保できるのは有難い。何故ならば水分を摂れなければ恐らくあと数刻で隼太はまだしも自分は明らかに行動不可になる事が解っていたからである。


「わかった。隼太。だが、充分に周囲を警戒しながら向かおう」

 言うと同時に咲は懐から二尺に満たない程度の刀を取り出し、隼太に向ける。が、隼太はそれを先に持たせ「離れ過ぎぬ様に」と言って、湖の方へ進んでいく。

 咲は短刀を見つめ、そのまま隼太の背を追う。

 隼太が足を止め、背後の咲にも止まるよう掌で指示を出す。

 湖まではもう目と鼻の先だが、そこから先は己の身を隠す草や木が無い。つまりもし他の郷の者が潜んでいた場合、いい的にしかならない。また、自分がそこから姿を見せたなら咲の身にも危害が加わる可能性は高い。より迅速に水を得る必要がある。


 ここで、隼太は初めて咲に手を伸ばす。その意味を理解した咲は直ぐに持っていた短刀を手渡した。隼太はそれを受け取ると、自分の衣服の袖を切り裂きスイスイと手早くその切れを編んで升状の器をこしらえた。

「見事なものだな」感心する咲の言葉はそのままに「姫は、ここで待っていて下さい」と言うと、一息深く吸い隼太は意を決して水場へと駆け出した。


 湿った土の地面は足をぬかるみでとられ、おまけに大きな石が所々にあり思ったよりもずっと走り辛く、速度が出ない事に隼太は舌打ちで抗議した。

 だが姿を現した以上、躊躇は出来ない。そう焦りながら先の布の升を素早く水面に付けたその時だった。

「隼太‼ 危ない‼ 」背後から聴こえた先の叫び声。と、同時に隼太は右耳から空気が裂ける様な音を聴く。


 それに従い、水を汲もうとして屈んでいた身体を後方へ一気に仰け反らせつつ、その方向へ汲んでいた冷水を思いっきりぶちまける。


「ぬっ‼ 」それを受けた男が小さくうめき声をあげた。


 隼太は、その姿を確認した。身の丈は自分より2寸は大きそうな屈強な槍武者だ。有難い事は、その武者が兜はしていなかった事と、前髪が残っていた事だ。自分とそう歳が離れていないのかもしれない。だが、この時はそれが有利に動いた。先の水によりその鮮やかな黒の前髪が顔に張り付いたのだ。


「ご――」思わず、ごめん。と口走りそうになりながら、隼太は短刀を鞘から抜き、その槍武者に襲い掛かった。狙いは甲冑に纏われていないその首より上。


 だが、次の瞬間。

「がはっ――‼ 」隼太は、いきなり壁にぶつかった様な衝撃を覚え、背後へ吹き飛ばされる事になった。槍武者の蹴りがまともに直撃したらしい。厚い絹の着物とサラシ越しなのに、それを受けた腹にまるで掌程の鉛球を入れられた様だった。


「隼太‼ 」

 その間合いが開いた事で、隠れていた咲が彼の傍に駆け寄った。直ぐに彼女を背に隠し隼太は短刀を構えると、咲に小さく囁く。それを聞いて頷くと、咲はその場に伏せる。それを見て隼太は槍武者に向かい叫んだ。


「名乗りもなく突然襲うだなんて、貴方の郷は随分なご立派な武士道ですね? 」なるべくこちらのダメージを悟らせぬ様、その声はあまりにも日常的な会話の様だった。

 槍武者は、煩わしそうに自らの前髪を払うとその整った細長の切れ目で隼太を捉え、槍を構える。


「おやおやおや、名乗りもしないとは五楼撰でまさかその様な狼藉武者が居るとは」両手を開くと隼太は笑みを浮かべる。だが、そのこめかみには冷たい汗が流れていた。

 その挑発にも応えずに槍武者は槍先と足下に力を込め、甲冑が小さく鳴る。


 ――その瞬間ときだった。

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