第17話
ルーゼ殿下が王太子になったことで変わったことは、たくさんあるが概ねが予想の範囲内の出来事だった。立太子の儀の片付けやルーゼ殿下の署名待ちだった書類を片付けた終えたころ、休暇をとっていた研究員たちが徐々に職場に出勤し薬草園研究所は通常業務を再開した。
変わったことは職場の正式名称くらいで、イツカがこの国の言葉に不自由なことも、ルーゼ王太子の<来る人>が今一つ評判が良くないことも、イツカが与えられた仕事に誠実なことも変わらない。イツカへの世間の風当たりは微妙だが、イツカは今日も真面目に誠実に働く。ただそういう日々が続く。それだけの、話。
◇◇◇◇
「もしや……と思ってたんだけど」
うんうんとロビーで、休憩時間に集まった職員たちに混じってゴーシェが口火を切った。
「そうですよね!勘違いじゃあないですよね」
ゴーシェの言葉を待ってましたとばかりに、だん、とナハがテーブルに手を置いて立ち上がった。辛抱たまらない、といわんばかりのナハをまあまあとタミアが宥めている。
だよなぁ、とゴーシェがうんうんと頷き「それで?どうなんだよ、フェイ」とカウンターでお茶を飲んでいたフェイに話を振った。
「え?」
フェイの隣の席のイツカは、発言した人の顔を順々に眺めながら、傍らのクゥに自分のおやつを分け与えていた。イツカは職員たちのヒースラント語での会話には反応せず、クゥに『美味しいですね』と微笑んだ。
「返事をもらえたんだろう。お祝い会をひらくか、フェイの残念でした会とイツカのお疲れさま会にしたらいいのか……どっちなんだ?」
ゴーシェは皆の前で告白して惚気て……今後も関わるんだから報告ぐらいしてくれてもいいと思うんだ、とフェイに尋ねた。
フェイはゴーシェの言葉を反芻したあと、確かに…と呟くと、立ち上がって「その節は、お騒がせしました」と職員を見渡した。
「この度、イツカと結婚する運びとなりました」
フェイはどうぞよろしく、と優雅に一礼した。職員たちは、静かにフェイからイツカへと視線を向けた。
立ち上がったフェイの様子を伺っていたイツカは、職員たちがフェイだけでなく自分に注目しているのを見てとると、クゥを抱き上げた。
『イツカ、所長と結婚されるのです?』
ササラがイツカの傍に来て、小さな声でイツカに問うた。イツカは『そうです』と簡単に肯定して口をつぐむのみだったが、口許がもにょもにょと動いていた。ササラはイツカに作法を教えた際に気がついた照れたときのイツカの癖を思い出して「かわいい」とイツカをそっと抱き締めた。
『おめでとう。これからもよろしくね。たくさんお話ししましょう』
イツカは驚きつつもおずおずと抱き締め返して『こちらこそ、よろしくお願いいたします』と言葉を返した。
「わたしも~」とナハはササラごとイツカをぎゅうぎゅう抱き締めて「イツカ!おめでとう!」と一際明るい声をロビーに響かせた。
ナハに続いて職員たちが、おめでとうと声を掛けた。
フェイはゴーシェにもみくちゃにされ、ダンカがそれを見ておろおろと戸惑いながらフェイの近くに行こうかやめようかと迷い、イータがダンカの背中を押した。ラングドンとクルスクとタミアはお祝いの宴会をする打ち合わせを始め、ディアとヤハマは顔を見合わせて笑いあってから宴会の打ち合わせに加わった。クゥはイツカに抱き締められたまま不満げに鼻をならして尻尾をゆらしたが、イツカの顔を見たあとしょうがないなあと瞼をおろしてそのままイツカの腕におさまった。
フェイはゴーシェの髪をぐちゃぐちゃにしてくる腕を押し返しながらイツカを見た。イツカもフェイを見ていたらしく、目があった。イツカがそっと視線を逸らしたが、頬から耳にかけて朱く染まっているのが見えるようになった。イツカの髪をまとめた簪はフェイが贈ったものだ。
フェイは自分の中に芽生えていた気持ちが実ったことを感じた。その実から出た種はまた次の芽を出して花を咲かせ実をつけるのだ。イツカへの気持ちはそうやって順々に成長して、拡がっていくのだ。いずれフェイの心の内に花畑を作るだろう。
フェイは人を恋することを知った。でも両親の気持ちにはまだ至れない、ひょっとしたら分からないままのかもしれない。きっと両親が互いに想う気持ちと、フェイとイツカの間にある気持ちは同じだけれど、全く同一ではないだろう。それでもイツカと共に在れることがフェイにとっては大切であった。
『フェイさん?如何されましたか?』
フェイがぼんやりしていたのをイツカが気にしていたらしく、声をかけてきた。イツカは眉尻を下げてフェイの様子を伺っていた。
『ううん、なんでもないんだ』
フェイはイツカに返事をすると、イツカはわずかに口許を緩ませて『そうですか』と返事をした。
それだけのことが、フェイにとっては堪らなく幸せなのだ。
これが人を想うことなのだ、とフェイは感じていた。
ヒースラント王国恋話 くさまくら @Kam3b
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