第15話
「もう!なんなんですかっ」
ナハはお冠ですと分かりやすく体現しながら、薬草研究所のロビーのソファにトンと腰を降ろした。落ち着きなさいな、と途中から一緒出勤したクルスクが宥めていた。
「ナハはどうしたんだ?」
ラングドンがハーブティをローテーブルに並べながら事情を聞いた。
「……いい香りです。ありがとうございます」
ナハはむくれつつもラングドンの心遣いにお礼を伝えて、茶器に口をつけた。
「どういたしまして」
ラングドンが目尻に小さく皺を寄せて笑った。
「今日のハーブティは、ディアさんの新作だぞ」
「前のより、飲みやすいわ」流石だわ、とクルスクは反対側のソファで、ハーブティに感心しきりであった。
「茶請けにタミアさんの菓子もあるけど」
「いります!」
「おう。待ってな」
ラングドンが言い終えるよりもはやく、ナハが返事をした。ラングドンは愉快そうに白い歯を覗かせて笑うと、守衛室に菓子を取りに戻った。
焼菓子を頬張るナハを見て、ラングドンは目元を和らげると「落ち着いたか」と尋ねた。
「はい」
「そりゃよかった」ラングドンは「美味しいよなぁ」と自身のティーカップを傾けた。
ナハはこくんと頷いた。
「美味しいわ」クルスクも「朝からティータイムなんて、贅沢できちゃったわ」と愉しそうに口角をあげた。
数人分の足音とともに「おはようございます」とダンカの声がした。
「ごきげんよう、美味しそうね」ササラがお茶会の様子に微笑んだ。
「おはようございます」イータはじっと茶菓子を見詰めていた。ナハは「どうぞ」と自分に取り分けられた小皿を捧げ持った。「ん、ありがと」イータはザラメと塩とハーブがまぶされたクッキーを1つ口にいれた。「美味しい、もう1つ」とおかわりをねだるイータに対し、ダンカは「朝食、足りなかったか?」と声をかけていた。
ラングドンは一連の遣り取りを微笑ましく見守っていた。
「おはよう。仕事前に試飲と試食を頼まれてくれ」
ラングドンは「感想はディアさんとタミアさん宛でな」と付け足すと、足取りも軽やにロビーを横切った。守衛室に併設された給湯室から調子はずれの鼻歌がもれ聞こえた。
「ラングドンさん、なんだかたのしそうですね」とディアがゆったりとした動作でロビーに顔を出した。ディアの後ろでは、タミアが守衛室をのぞいていた。
「まあ、平和ということでよいのではないかの」ディアに返事をしたのはヤハマであった。
ロビーに響いていた朝の挨拶が収まる頃にはラングドンとタミアが手際よくお茶会の支度を終えていた。
「それで?ナハ、なにかあったのか?」
ラングドンは出勤した職員達に給仕を終えると守衛室の入口近くのスツールに腰かけた。手には2杯目のハーブティの入ったマグカップがある。
ナハはラングドンに指名されて、小さく唇を尖らせて「……ちょっと、腹が立ちました」と言い、ティーカップをそっとソーサーのうえに置いた。
「わたしの下宿は城下町にあるじゃないですか。それで……城下の噂話というか、そういうのを聞いて、なんでそんなことを言うんだっ!って腹が立ったんです」
ナハがぽつぽつと話すのを横で聞いてたクルスクが首を傾げた。
「今、城下町で話題になっているのってたしかあれよね?イツカと同日にやってきた<来る人>……第二王子殿下が後見人をしていたイオリが、月が明けたら城下の診療所の女医さんところへ婿入りするとかっていう?」
確か……と、クルスクが商店区画でも話題になっているのと言い添えた。
「へぇ。城下町では、そちらが話題なんですね。外廷の騎士団の宿舎区画では、第一王女殿下が後見していた<来る人>のマドカの話が多いですよ」
クルスクの話を受けて、タミアがマドカの仕事振りが話題なのだと話した。
「でもナハが言いたいのは、そこではないんだよね?」
イータがぽつりと言葉を落とすと、イオリとマドカのはなしを披露していたロビーから音が消えた。
「イータ……」ダンカが酸っぱいものを口にしたときのような皺を寄せながら、イータの名前を呼んだ。
「だって……。みんなわかってるのに、言わないし。もうすぐイツカたち来ちゃうだろうし……」
早く本題に入った方がいいと思ったんだ、とイータは尻すぼみに口を尖らせた。
「イータが言うことも、わかるけどな」ダンカはしょうがない、と小さく肩を竦めた。
「イツカの噂話のことだろう?」
ダンカの言葉にロビーの空気が冷ややかになった。
「そうです」ナハが重々しく頷いた。
「<来る人>として……どうなんだ、と」街では他の<来る人>への賛辞の引き合いに出して批判している感じです、とナハがしょんぼりと肩を落とす。
「イツカは……サボってないし、貶めるためにとか悪意があるわけではないです。言葉がわからなかったら勉強して……真面目で誠実な人です」
ナハが知らない人に悪く言われて悔しい、と唇を噛んだ。
「そうね。確かに……貴族のサロンや夜会でも、イツカへのあたりは厳しいわね」この間、新作の香水の御披露目会が貴族の夜会であったのだとクルスクが伝えた。
「わたしたちはイツカに接しています。イツカの仕事振りも人柄も間近に見て知っています。……ただわたししたちのように、イツカをイツカとして身近に感じているわけではなく、イツカを<来る人>として遠くから捉えているのみであるならば……手厳しい意見があるのもわからなくはないのです」ササラが言葉を選びながら発言した。
「この国では<来る人>は<幸運を運ぶ者>です。<幸運>をどう捉えるのかにもよりますけれど。この10年ほどの<来る人>は、医療や経営や料理あとは衛生に目に見えてわかりやすい新しい考えをもたらしていました。街の人々にとっても、新しいお店という形で接する機会も増えましたから……イツカが<来る人>として何を自分たちにもたらすのか、関心が高いのでしょうね」ディアが残り少なくなったティーカップを傾けた。ラングドンがお代わりは要るかと仕草で問うたので、ディアは掌を見せて断った。
「関心が高まっている分、<来る人>がもたらす<幸運>も、やや刺激的で印象に残りやすく真似しやすくわかりやすいものが求められるのだろうて」ヤハマが簡易で効率的で利便性が高い快適なものばかり求めるのはあんまりよいこととも思えんがの、とぼやいた。
「ヤハマは魔術を使うではありませんか」どうちがうのです、とタミアが首を傾げた。
「魔術は手間が掛かる上に、万能ではないからのう。……多少無理を請うことは出来るがその通りに叶うことはまずないし、無理を通そうとすれば危険性も高くなるし、扱える者も限られる。そもそも暮らしを便利にするにはちと汎用性が足りんのよ。魔術で日々の暮らしを便利にするためには今よりも面倒な暮らしが必要じゃよ」そこがいいんじゃがの、と顎を撫でた。
「魔術で暮らしに快適さを求めるなら、制御式を魔力を有しない人でも使えるようにしないといけないし、魔力の調達にも課題がある……それだけで、学院の博士論文レベルの話になるよ」イータは「今、話さなくてもいいことだ」と素っ気ない。お代わりの大皿から新しい菓子を取り「こっちのクッキーも美味しい……。塩味」と次々と口に入れていく。
「だいたい、イツカは自分の評判がよくないことについては早い段階から気づいてるでしょ。そもそも<来る人>である自分が何を期待されてるか、も教えられているでしょ。それでもイツカの希望は帰ることでしょ。だから……この世界への影響は小さい方がよいって思ってるんじゃないの?」イータはクッキーを齧りながら「世界の歴史を見ても<来る人>の影響の全てが良い方に働いたわけじゃない」と述べた。
「恐いんじゃないの、変わることが。それから……変えてしまうことが」
小声でぼやくように言うイータをロビーの面々は驚いたように見つめた。
ダンカはしんとした空気を割るように、がっとイータの頭をかき撫でた。「やっぱりすごいな、イータは!」
「ちょ、……ダンカ!」やめろと叫びながらイータは、ダンカの手から逃れようと踠いたが結局うまく振り払うことは出来ず、イータの髪はボサボサになった。
「相変わらずですね」ササラは学院のころから変わりません、とふたりのじゃれ合いを評した。
「わたしもイツカが心配です。でも、イツカにわたしたちが出来ることは、今は見守ることではないかと考えています。……イツカの評判を上げてしまうと、イツカが余計に帰りづらくなることもあるでしょうから」もちろん実害が今より出ないように根回しはしますけれど、とササラは言い切った。
「そうね、わたしからも声をかけておくわ」クルスクは「だから安心してナハちゃん」とナハに笑いかけた。
「月が変わったら、第一王子殿下の立太子の儀があります。それが済めばもう少し落ち着くと思いますよ」ディアがナハを安心させるように、微笑んで見せた。
「たしかに、王都全体が浮き足だっていますものね」タミアがディアに同意した。
「うむ、儂も神殿の動向は見ておこう」
「騎士団については、俺に預けてくれ」
ヤハマとラングドンの言葉にナハは「ありがとうございます。わたしも町で情報収集します!」と顔を上げて宣言した。
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