第13話
送っていこうという龍には、またの機会に、と伝えて宴の会場を辞したフェイたちは、草原の外れまで移動した。途中、もう少し精霊たちを相手に商売をするという小間物屋と別れた。道中イツカはクゥと、おむすびの具で何が一番好きかについて語り合っていた。因みにイツカは梅干しが好きで、クゥはツナマヨらしい。
『そういえば、イツカ。小間物屋と別れ際何を話し込んでらしたのです?』
フェイは宴の会場からやや離れた場所にあった、精霊の抜け穴を使って、基礎世界に戻るための術式を描いていた。
フェイが術式を描くのを待つ間、クゥとイツカはなにやら楽しげに談笑していて、フェイはそれに混ざろうとしたのであった。
『小間物屋さんの営業トークはスゴいですね、という話ですよ』
『なにか売り付けられていたのですか?』
『いえ、そうではないのです』
イツカは掌をフェイに見せた。イツカの掌には小さな鈴が載っていた。鈴には紅白の紐と小さな紙片が通してあった。
『……これは、魔術具ですね?召喚に近い術式です』
『らしいです。やはり魔術を扱う人にはなにかが見えてるんですね』
わたしにはよくわかりませんけれど、とイツカは感心した様に呟いた。
『それで、これを小間物屋が、あなたに?』
『ええ。御用聞き用みたいです』
イツカは小間物屋との会話を思い出していた。
◇◇
『紙片は店の案内が書いてあります。鈴は上得意様にお配りしている魔術具です。鈴をならせば一度だけ、お客様のもとへ駆けつけることができます』
イツカはじっと手の中の鈴を見て、小間物屋の抱える籠を見てしばらく思案すると『そのときまでにお金を貯めておきますね』と鈴を受け取った。
◇◇
イツカはフェイに『小間物屋さんは面白い人でしたね』と笑い掛けた。
『え』
フェイは『そうでしょうか』と悩ましげにぼやいていた。
クゥはイツカとフェイの様子に呆れたように、鼻を鳴らすと、イツカの肩に跳び乗った。
『ほら、フェイ。術式を起動させて。……帰るんでしょ?』
『ええ。早く帰らないと……騒ぎがどんどん大きくなってしまいます』
『騒ぎ……?』
イツカはしばらく考えて『あ、わたくしの、捜索をされて……いらっしゃる?』と目を丸くした。
『そうです。イツカは、現在第一王子の客人であり、貴女が行方不明になるのはよくあることとはいえ、今回は龍に連れ去られるところを見ていましたから……』
『はい。戻ったら皆さんにお詫びしなくては……。王子殿下にも、またしても、ご迷惑をかけてしまいました』
イツカはしょんぼりと肩を落とした。
『でも……まずはササラさんとナハさんに逢いたいです。ケルンさんは無事とおっしゃっていたのですが、大事ないですよね』
イツカは顔を曇らせながら、フェイの様子を伺った。
『ケルン?』
『龍さんのことです』
『ああ、その龍の起こした風で転んで軽傷かな』
フェイは術式を書き終えたらしく『うん、良い出来』と満足気に白墨を置いた。フェイの目には、小さな小包ほどの石から草原の地面にかけて、白墨を用いて描いた紋様が淡く光を発し始めているのが見えていた。
イツカはフェイが精霊の抜け道があると言っていた、石を見てやや低い声を出した。
『……ササラさんとナハさんは、怪我を、されたのですか?』
『あー……うん、ナハは転んで手を擦りむいて、ササラは足を捻ってしまって。でも、ちゃんと手当てもしたし!ヤハマ曰く2週間もせずに治るって。痕も残らないくらいにできるって!』
ナハとササラの怪我の説明を受けて顔つきが険しくなっていくイツカを見て、フェイは慌てて『治療術に関してはヤハマは王都一だから!』と付け足した。
クゥはイツカの眉間を中心にシワが寄った渋い顔を見て、クプクプクと笑っていた。一頻り笑ったあとクゥは『ほら、術式を発動させて!』とフェイに声をかけた。
くゥの言葉に反応したフェイが、術式を起動させるとイツカの目にも認識できるほどの光があたりに溢れたのだった。
◇◇◇
「イツカっ!」
光が収束すると同時にイツカは自身の名前が呼ばれたと思った。イツカがそちらを見るよりも早く、身体が衝撃を受けて尻餅をついた。
イツカは驚いて固まっていたが、ぎゅうぎゅうと身体に巻き付いているのが、人の腕だとわかってうっすらと眼を開けた。イツカを抱き締めていたのはササラとナハであった。
薬草研究所のロビーは煌々と明かりが灯され、開け放たれたエントランスから見える夜明け前の闇から浮かび上がるようであった。ロビーには研究所の職員たち、第一王子とその近衛騎士として紹介された人々やリリーネをはじめとする離宮でお世話になっている人たちの顔が見えた。「おかえりなさい」「帰ってきた!」「伝令!」集まっていた人々が歓声とともにバタバタと動き出す。隣にいたフェイが第一王子たちの方へ歩きだす。第一王子の隣にはゴーシェやダンカも居て、2人はフェイに名前を呼ばれて肩の力を抜いた様子が見えた。ロビーにはイツカが見つかったことに安堵し、帰還を祝ぐ声、フェイの力量を讃える声が溢れていた。
イツカはロビーの人々の様子を驚きとそれ以上感謝と僅かな恥じ入るような気持ちで眺め、縮こまった。縮こまったイツカには、自分を抱き締めているナハとササラの存在がより一層に感じられた。ナハはイツカの名前を繰り返し呼んで「よかったよぅ」と涙を流していた。ナハの内側でイツカの首にぎゅっとしがみついていたササラは、小さく震えていた。
『ササラさん、ナハさん……』
イツカはふたりの名前を畏る畏る呼んだ。ふたりが反応を示すと『お怪我をされたと聞きました。……痛い、ですよね。あの、ごめんなさ…』
『違います!』
ササラがピシャリとイツカの言葉を遮った。
ササラの言葉の強さにナハは会話の内容がハッキリとはわからないながらも、びくりとしてそっと身をイツカとササラから引いた。そろりと、後ろにさがりダンカとイータの近くまで来ると「ササラ何を言ってるんです?あんな状態のササラ初めてなんですけど……」と二人に言葉の通訳を頼んだ。
ササラはイツカの肩を掴むと、良いですかよくお聴きなさいな、と<来る人>の言葉で前置きをしてから話し出した。
『私達の怪我の心配までは、良いです。でも、イツカが私達の怪我に責任を負う必要はないんです!』
『ササラさん』
『私、怒っているんです!あなた、相手に寛大なのに、自分にはそれを適応しないんですもの!自分がまず限界まで我慢すれば良いと思うから、問題が大きくなるんですよ!』
イツカは顔をあげ視線を合わせたササラの真剣な目をみて、反射ですみませんと言い掛けた口を閉ざした。
『イツカは、もっと、私たちと話をするべきです!努力もいいですが!もっと!もっと周囲をうまく巻き込まないとっ!ダメです!!』
ササラは昂ったままの勢いで、語気も荒くイツカに『わかりましたか!?』と畳み掛けていった。
『あ、はい』
イツカは気圧されるままに、返事をした。
『わかればいいんですの』
ササラはイツカが返事をしたことで溜飲が下がった様子を見せ、小さく唇を尖らせながらもイツカから離れた。イツカはササラの様子をみて淡く笑んだ。
イツカはナハやササラを
かつン、と存在を知らしめるように靴が鳴った。
『ルーゼ第一王子殿下……』
ルーゼの銀の髪が灯りによって黄色く反射して、イツカは思わず『綺麗…』と見惚れていた。ルーゼは笑みを浮かべ「イツカに怪我がなくてよかったよ」と柔らかな声を出した。
「事情は明日……といってももう今日だけれど、昼過ぎに話を聞きにくるよ。一緒にお茶をしようか」
ルーゼがイツカに話した内容をフェイが通訳し、イツカに聞かせた。イツカは顔を強張らせて一瞬俯いたが、すぐに顔をあげると『わかりました』と頷いた。
ルーゼはイツカが頷いたのを確認すると、研究所のロビーにいた人たちに、解散を伝えるとよく休むようにと労いの言葉を発した。ルーゼの近衛たちは、灯りや椅子を手際よく片付けていった。
「クゥン?」
イツカの近くに寄り添っていたクゥが鼻を鳴らした。イツカは『今すぐに、問題というわけではありません……』とクゥに苦笑いを見せて立ち上がった。
イツカは研究所の入り口に立ち、自身のために集まってくれた人たちにを『ありがとうございます。お騒がせいたしました』と頭を下げて順に見送った。ロビーには、研究所の職員たちが残るのみであった。
「では、戸締まりしますよ」
ラングドンが職員たちに帰宅を促す。
「えー、もう今日はここの仮眠室でお泊まり会にしましょうよ~」
ナハが下宿先に着いたら出勤時間ですよう、と嘆いた。
「……確かに、少し寝たいわね。今から帰っても始業時間までに間に合わないし…」クルスクがナハに賛同した。
「いや、この後帰っても大丈夫なように、明日……じゃなかった、今日は午後出勤でいいってさ。3時間ぐらい報告書の作成と事情聴取をしたら帰ってよし、らしいよ」イータがダンカと所長からの伝言だと伝えた。
「そう」とタミアが安堵の息をもらした。
「タミアさん、よかったら」ディアは、タミアに手巾の包みを差し出した。手巾は繊細なレースが施されていて、上質な品とわかるものだ。
「先ほど、待機中に守衛室で焼いてた菓子や新作のハーブティ、あとスパイスが少し。感想を聞かせてくださいね」これも研究ですの、とディアは茶目っ気を交えて笑いかけた。
研究所の職員たちは、フェイたちが戻るまでの間、第一王子たちへの対応に追われていた。ディアとタミアは、宮廷騎士団や第一王子と顔馴染みであるラングドンをロビーに出す代わりに、守衛室の給湯スペースを利用しておつまみや菓子や飲み物を作っていた。研究所の稼ぎ頭はクルスクの美容品だが、次点はタミアとディアのハーブとスパイスだったので、売り込みも兼ねていたのであった。配膳はクルスクとナハとイータが行っていて好評であった。食器洗いはササラとヤハマの担当だった。報告と交渉をしていた所長代理を任されたダンカも、近くにゴーシェがいるとはいえより馴染みのラングドンが居るのは精神的に大きかったようだった。
「タミアさんのお子さんたちの感想も、ぜひ知りたいのですよ。ここには大人しかいませんでしたからね」いろんな世代の意見を聞くのが大事ですから、とディアは目尻に柔らかなシワを刻み微笑んだ。
「ありがとうございます」タミアは、申し訳なさそうに眉尻を下げながらも包みを受け取った。
タミアは宮廷騎士団所属の夫がいて、宮廷外郭の宿舎が並ぶ区画に家庭があった。研究所の懇親会に一度だけ夫につれられて顔を覗かせた、タミアのその子らをディアは可愛がっていた。
タミアは包みを受け取ると、お先に失礼します、と研究所を辞した。
「儂も、これで失礼するでの」ヤハマはよっこいせと腰を上げた。ヤハマはイツカに近づくと『見たところ怪我もないようだが、もしも不具合があったら知らるように』と伝えた。それから、ササラとナハにも「万が一具合が悪くなったら言うやよ」と念押しをしてから帰っていった。
「午後出勤かぁ……うーん、でもなぁ、大家さんを起こすのはちょっと気が引けるかも。あ、今から帰れば大家さんは起きてる時間かな」ナハはうんうん唸っていた。
「ナハ、良ければ今日はわたしの宿舎にいらっしゃいませんか」
「え、いいんですか!?」
「ええ、申請を提出おけば問題ないので。よろしければ」
「ありがとうございます。助かります」
ナハとササラは話がまとまったところで、家の迎えが来たという連絡を受けたディアと帰ることとした。『イツカ、また明日お逢いしましょう』とササラが優雅に礼をし、ナハが元気よく手を振って、ディアが上品に笑んで、イツカに声をかけて行った。イツカは『はい。また明日』とお辞儀をして見送った。
ロビーに残っていたはダンカとイータも帰り支度をはじめ、クルスクはラングドンとゴーシェを飲みに誘っていた。フェイは明日の予定を確認して、報告書の段取りを考えながらロビーを見渡した。先程まで、ロビーの入口に居たイツカが見当たらない。
「イツカ……」
イツカはクゥを抱き抱えて、ぼんやりとロビーの奥のすこし高いスツールに座っていた。また所在不明となっていなかったことに、フェイは安堵しながらイツカに声をかけた。
『離宮に帰ろうか。送っていくよ』
『……はい。ありがとうございます』
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