第12話
コホン、と咳払いが1つ。
『みなさん、果実はいかがです?美味しいですよ』
小間物屋の店主が肩紐を通した籠を身体の前に抱える行商スタイルで、膠着した場に割って入った。小間物屋は籠の中の数種類の果実をフェイたちに見せた。
『小間物屋?』
『はいはい、小間物屋ですよ』
フェイの呼び掛けに小間物屋は応えると、イツカに視線を合わせて優雅に膝を折った。
『お嬢さんは初めまして』
イツカは小間物屋と名乗った、糸目の男をいぶかしみながらも『はじめまして、小間物屋さん』とお辞儀をした。
『お嬢さんのことをなんとお呼びしましょうか?』
小間物屋は膝を折ったまま、イツカに問うた。
『では、わたくしは小間物屋さん?のことをなんとお呼びしたらよいのでしょうか?……それから、わたくしは今持ち合わせがないので、果実は遠慮します』
イツカの発言に小間物屋は目を丸くした。
イツカは小間物屋の抱える籠の中の果実を見て『トケイソウの実にまくわ瓜に柘榴。……売り物は果物なのに小間物屋……?』とひとり呟き思案しだした。
クゥはイツカと小間物屋のやりとりを聞いて、ふはっと笑いをこぼすと『イツカはそういうところ、あるよね』と一頻りひとりで笑っていた。
「小間物屋はさっき、イツカの名前を口にしていたような?」とフェイは首を捻っていた。
小間物屋はフェイの呟きを遮るように『ああ、お嬢さんには確かに簪や組紐がお似合いですね。物は使うときにこそ、その真価を発揮できます。ぜひ、お嬢さんを飾る役目を簪や組紐に与えてくださいね』と小間物屋が発言した。
フェイは小声で「調子の良いことを……。簪はイツカに出逢う前に買わせたくせに」と呟いた。
『……』イツカはぐっと押し黙ると、小間物屋とフェイの様子を伺って『簪と、組紐、ですか?』と呟いた。
小間物屋は、芝居がかった動作で小首を傾げて『ええ。そちらの魔術師殿が贈り物をされるということで、用立ていたしまして。……きっと他でもない、お嬢さんに贈るためのものだったと思うておりましたが……』とイツカの様子を観察した。
イツカの口元がピクリとひきつったのを見、フェイが固まっているのを見ると首を左右に振って『いやはや、野暮というものでしたね。歳を取ると口うるさくなってよくありません』と言った。クゥは小間物屋の白々しい態度に呆れたように尻尾をぱたんと倒した。イツカは小間物屋とフェイを順に見て、自由になった手でこめかみを押さえた。
『えっと……簪は、その、もしかしなくてもフェイさんがわたくしにと仰っていた……アレです、よね?』
視線を彷徨わせながら、イツカはぐぅと小さく呻いた。イツカの膝上に居るクゥの視界からは、イツカの目尻の涙がいまにも零れ落ちそうに見えた。
『……わたくし、そろそろ受け止めきれる情報量を越えてきました』
イツカの様子にフェイはおろおろと両手を伸ばそうとしては、引っ込めを繰り返していた。
小間物屋は興味深そうにイツカを観察して、フェイに耳打ちをした。
「お嬢さんは、自分である程度理解してからその理解した範囲を相手に返すお人なんですねぇ。良くいえば忍耐強く相手に会わせることができ、悪くいえば自己主張ができない反応が遅い溜め込みがちな人……というところですか?放っておいたら、倒れてしまいそうで目が離せませんよね」
フェイはにんまり口角を上げる小間物屋を見て固まったあと、ふっと目尻を緩めた。
「ああ、全くだね」
フェイはイツカにそっと手巾を手渡すと『小間物屋の言うことは気にしないで欲しい』とイツカに声を掛けた。イツカはフェイの表情に、ひゅ、と息を呑んだが、フェイに返す言葉を見つけることができなかった。
『……あ、でも!小間物屋の言うことは、気にしないで欲しいけど、僕の気持ちのことは忘れないで欲しいかな』
フェイは、なんて、と照れくさそうに、あはは、と笑い声を立てた。
イツカはフェイに渡された手巾をぐっと握り込んだ。
『フェイさんは……わたしがよいと?ほんとに?……一時の、気の迷いではないのです?わたし……わたし自身には、何も、ないのに』
フェイに訊ねるでもない、イツカの独り言のような吐息に混ざってしまうような小さな声を、フェイは聴いていた。
『……わたし、わたし……』
イツカは呼吸がやや浅くなりつつあり、パニックを起こし始めているようだった。
『イツカ』
フェイはイツカの名前をできるだけそっと優しく呼んだ。イツカはひゅ、と息を浅く呑むとぎこちない動きで首を動かしフェイを見た。
『あ、……わたし。えっと……、』
『ねぇ、イツカ。君はもとの世界に帰りたいのでしょう?僕は君の望みを叶えたいと思っていました。……でも君の望みが叶わないと聞いて、僕は嬉しいと思ってしまいました。ごめんなさい、今までも心の片隅では君を帰したくないと思っていたんです。イツカはもとの世界に帰れない原因を僕のせいにしないと言ってましたけれど、……僕はそうは思えない』
イツカは話し始めたフェイの目をじっと見つめた。フェイの話が終わると、イツカはゆっくりと瞬きをして『フェイさんのお考えはフェイさんのもので、フェイさんの気持ちはフェイさんのものですよ。……わたくしと同じであることを強要する必要はないでしょう』と訥々と言葉を落とした。『そういうもの?』
『わたくしとしては、そういうものですね』
フェイは首を捻っていたが、少しすると『ふーん……そうなんだ』と自分の中で落としどころを見つけたのか『そうか。そっか!』とからりとした笑みを見せた。
そうして懐から簪と組紐を取り出すとイツカに差し出した。
『イツカ、貴女が好きだよ。これから先、一緒にいて欲しいと思っている。イツカがそう思ってくれるように、なったら僕は幸せだよ。イツカにそう思ってもらえるように、努力するから……時間を頂戴。これはイツカが返事をするときまで預かっていて欲しい』
イツカはフェイに差し出された簪と組紐、そしてフェイの表情を見て、困ったと眉を下げた。
『……時間というのは、どれくらい?』
『次の季節が巡り来るまで!』
イツカはフェイの言葉がピンと来ず首を傾げていたが、こほんとわざとらしく咳払いをした小間物屋が『お嬢さんの世界で言うところの3ヶ月より長く5ヶ月より短い、くらいですよ』と説明をした。
『……なるほど?ありがとうございます、小間物屋さん』
イツカは小間物屋に礼を伝えると、フェイに向き直った。
『わかりました。……お預かりいたします』とフェイの手から、簪と組紐を受け取った。
『うん。宜しくね、イツカ』
フェイはイツカの手に渡った簪と組紐を拾うとイツカの髪に飾ったのだった。『よく似合う』と満足気なフェイに、イツカは『……すみませんが、勝手に触られるのはちょっと遠慮して欲しいのですけれども』と抗議した。
『え、……あ、ごめん』
『……』
『ごめんなさい』
『……わかりました。わたくしも……その、雰囲気を壊してごめんなさい……です』
イツカは気まずそうに、唇を小さく尖らせていた。フェイはイツカのその様子が可愛らしく思えて、ふは、と笑いだしてしまったのだった。
◇◇◇
のそり、とイツカの後ろで寝そべっていた龍が大きな頭を持ち上げた。
『なんだ、話はまとまったみたいだな』
青い龍はパチリと金色の目でイツカを見つめた。
『イツカ。来るときも伝えたがね。我々としては貴女が、そこにいるクルーエルとその弟子をたまに連れて来てくれると嬉しいのだよ』
『クルーエル……?』
『クゥ、と名乗っているその精霊のことさ。なにせその子らときたら、ちっとも顔を見せないのでね。里帰りぐらいしてくれればいいのに、立場がどうたら、こうたら……』
イツカはそっとクゥとフェイを見て、龍の目に視線を合わせた。
『……独り立ちしたのでは?』
『それはそれ、これはこれというものだよ。……全く。寂しいじゃあないか』
『寂しい、ですか』
『そうさ。イツカ、君も……たまには遊びに来て欲しい。そうしたら、寂しくなくなるだろう?』
『……わたくし、も?』
『そうだよ、イツカ。遊びにおいで。たまにはひとりになりたいことも、話を聴いて欲しいこともあるだろう、そういうときにおいで』
『それは……』
『イツカ、君は君の希望に反して帰れないことになってしまった。だから、僕ら精霊は君のこの世界でのもう一つの居場所を提供する。その理由が必要なら、クルーエルとフェイをここに連れて来るように精霊の長に依頼された、ということになさい』
戸惑うイツカに龍は視線を和らげると『いいね』とイツカに言い聞かせるように優しい声音をだし、イツカの額に頭を寄せ祝福を紡いだ。
『ま、あんまり来てくれないなら、こちらから出迎えに行くだけなんだけどね!』
だって、寂しいでしょう?、とカラリとした声音を出した龍を見て、イツカは可笑しくて堪らないといわんばかりに笑い出したのだった。
『ああ、もう!嘆けばいいのか、恵まれていると歓べばいいのか』
わからなくなってしまいました、とイツカは振り切ったように締め括った。
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