第11話

『イツカは家に帰りたい、と言っていました』

フェイはクゥの問いかけに戸惑いを滲ませながらも、ゆっくりと言葉を選んで話し出した。

『それがイツカの希望です。そうでしょう、イツカ?』

フェイはイツカに水を向けた。イツカは驚いた様にフェイを見上げ、唇を震わせ頷いた。イツカが噛みしめていた唇は、切れて血が滲んでいた。

『……はい。そう、ですっ!わたしは、家に帰りたいです。それがわたしの希望です』

イツカは目尻に浮かんだ涙を、クゥに押さえられていない方の手でそっと拭った。イツカの目は力強く、煌めいているようにフェイには感じられた。

フェイはまぶしい光をみたように目を細めた。口角が勝手に上がっていくのを感じた。まるで、植物が光を求めて葉の向きを調整するような、むず痒さだ。強い光を浴びすぎると、葉も日焼けをおこして焦げてしまう。わかっていても、光を求めてしまう、焦がれてしまうのだ。

『クゥ、わたしはイツカの希望を叶えたい、と思っているのですよ』

『でも、フェイはイツカと一緒に居たいのでしょ?』

『それは……まあ、そうなんですけれど。でも、イツカの希望を無視してまで叶えたくないんです。だって、イツカに笑っていてほしいんです』

クゥはフェイの言い分を聴いて、そっとイツカの腕から前肢を外した。そして、不貞腐れた様にそっぽを向いて呟いた。

『まるで、人間みたいなことをいうんだね』

『わたしは、人間になりたいんです。クルーエル師匠。母がどうして、精霊であることを捨ててまで父と居たいと思ったのか、知りたかったんです。恋とは、愛とは、そんなにも良いものなのか……』

『知ることはできたの?』

『……まだ、結論は出ていません。でも、少しは知ることができたように思うのです』

フェイはイツカを眩しそうに見て微笑んだ。


クゥは処置なしと言わんばかりに、首を振ると『でも、イツカが帰れないのはホントだよ』と言った。

『何故です?』

『さっきも言ったけれど、イツカは今この世界の通常働くしくみが働かない状態なんだ』

『半分は精霊の、半分は人間のせいで?』

『そう。精霊のせいというのは、つまりボクに起因している。この歓迎の宴はね、ボクのお気に入りの人間を精霊たちが歓迎している宴なんだ。イツカがよく所在知れずになったのは、精霊たちがイツカにじゃれていた結果だね』

『師匠は精霊の中でも影響力が高い方だとは思っていましたが、……そんなに、すごい精霊だったんですか?』

『キミねぇ……。ボクはこれでも次期精霊の長だよ。すごく、偉いの。なんでヒースラント王国語とか他の精霊族の言語とか使えると思ってたの?』

『師匠は努力家なんだなぁ、と』

『……そう』

クゥは気まずそうに口許をもごもごとさせた。

『あ、次期精霊の長ということは、言語がわかるのは生得的なことなのか』と、フェイはひとり納得したように呟いた。精霊の長とは生まれつき認識魔法が使える精霊、すなわちありとあらゆる言語がわかるものが担う、それが精霊たちの決めたしきたりだった。

『それでは……クゥに気に入られたことが、イツカにとって問題だった?』

『あっているけれど、すべてではないね』

『というと?』

『ボクがイツカを気に入ったのは、フェイが彼女を気にかけていたからだよ。ボクとしては、彼女でなくとも良かった。だって、あの日<来る人>は3人も来たんだからね』

フェイはクゥの話の続きを促した。

『それに、第一王子が後見人になったのだってフェイの紹介によるところが大きいだろう?なにより、第一王子がイツカにつけた侍女は<人魚の祝福>持ちだ。』

『それがどう関係するというのですか?』

『<人魚の祝福>は、対象とその周囲に降り注ぐ呪(まじな)いだよ。対象がもっとも大事に思う……とくに呪いの対象の恋愛感情を抱く相手にとって、最も都合のよい展開になるようにするのさ。場合によっては悲恋が展開され、時には恋は成就するという。それはそれは、めんどくさ……失礼、傍迷惑な呪(のろ)いなのさ』

『……なんですって?』

『だから、あの侍女の大事に思う相手……あの第一王子の思うように事が運ぶのろいなんだってば!』

フェイはクゥの発言を理解しようとして「え、そういう……?リリーネはルーゼ王子が、え?敬愛とかでなく」と余計混乱していた。

クゥは咳払いをして、話を続けた。

『フェイ、お前が居れば第一王子は<来る人>を囲う必要性は高くなかった。だってフェイは、<来る人>と高位の精霊との間に生まれた子だ。<来る人>よりも価値がある。精霊とも会話できるし、繋がりもある。この世界に疎い<来る人>を丸め込むよりも、この世界に生きていて且つ家族を亡くしたフェイを手許に置いておく方が便利だろう』

『リリーネさんにかけられた<人魚の祝福>の効果で大事に思うルーゼ王子殿下にとって都合がよいように事は動く。そのため、フェイさんがルーゼ王子殿下のもとに居る理由として、わたくしはこの世界の理をねじ曲げられて止め置かれていた。ここまでが人間側の都合である。今、ここに居るのは精霊側の都合であるが、それは次期精霊の長たるクゥさんが弟子であるフェイさんを大事に思っているからである』

今までで何かを堪えるように黙りを決め込んでいたイツカが、急に喋りだした。

クゥはイツカの話に鷹揚に頷いた。

『そうだね。つまり、イツカが帰れないのは『フェイさんのせいではありません』

クゥの言葉を遮ってイツカが発言した。フェイは、驚いてイツカを見た。 

『……どうして?師匠の話が本当であるなら、僕のせいだと、僕でも思うよ?』

フェイはどうしようと、視線をあちこちにさ迷わせながら口にした。

『フェイさんのせいにはしません。これは、災害です。わたくしが、うまく避難し損ねた、回避に失敗した、それだけの事です。誰かのせいになんか……しません、してあげません』

イツカはフェイの目を見て『わたくしは自分の人生が思うようにいかないことを、人のせいにしたくありません』と言い切った。

『ふぅん。イツカは……なかなか欲張りだね。自分の人生を自分の思う通りに生きたい、って事でしよ?』

『当たり前です。わたくしの人生なのですから。自らの思うままに、生きたいと思います』

イツカは躊躇わず言い切った。

『でも、そうはならないことも、わたくしは知っています。……人は生まれる時も死ぬ時も自分では選ぶことすらできないんです。思いどおりになんてなるはずがないんです。でも、それでも、わたくしの人生はわたくしのものです。だから、可能な限り、わたくしの選べることについては、その時々の最善を選んでいきたいと思っているんです』

イツカはクゥを見てフェイを見て、覚悟を決めて言葉を発した。

『だから、わたくしの人生が全く駄目でも、端から見ていると誰かのせいで駄目になったとしても……それでもわたくしの人生の責任はわたくしにあるんです』


だから、フェイさんのせいではありませんし、フェイさんのせいにはしません。


『高尚だねぇ。強がりというか、跳ねっ返りというか』

クゥは、呆れたように鼻をならした。

『……イツカは強いんだね』

フェイの言葉に、イツカは物言いたげな顔をしたが言葉にはしなかった。



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