第9話
ササラとナハがイツカを気遣って、ロビーから連れ出した。クゥはフェイをチラリと見遣ったが、イツカの後を追った。
「……あー、元気だせ。な?」
肩を落としたフェイに、ゴーシェが慰めの言葉を掛けた。
「うん……」
フェイは、すっかり萎びた菜っ葉状態だ。
「髪飾りを贈るつもりでいるんだから、てっきり、脈アリなのは確実なんだと思ってた。みんなの前で告白するぐらいだし」イータがぼそりと呟いた。ダンカが慌てて、イータの口にレモンピールを入れた。
「思ってても言わない優しさってものがあるだろう」
ダンカはイータに小声で、囁いた。
「ダンカ。……聞こえてると思う」
ダンカに口に入れられたレモンピールを食べてから、イータは唇を尖らせた。イータは、ダンカの肩越しにさらに肩を落としたフェイを見て、肩を竦めた。
「え!?あ、所長……す、すみません。いきなり、だったので、俺も驚いてしまって……」
「あ、うん。こちらこそ、ごめんね」
フェイはダンカとイータを見て力なく笑った。
「……はじめから告白するつもりだったの?てっきり、そういう意図はないものだと思っていたわ」クルスクが意外だったわ、と呟いた。
「たしかに、昨日まではそこまで思い詰めてなかったように感じていたが……」ラングドンも首を捻っていた。
「俺も驚いた。昨日まで、一目惚れの自覚がなかっただろ?」ゴーシェが、昔からフェイは思い立ったが吉日みたいなところがあるよな、と話した。
「……気がついたら、堪らなくなってしまって」
「堪らなく?」フェイの言葉にクルスクは続きを促した。
「昨日倒れた彼女をみて、苦しくなった。もっとイツカのために何か出来ると思ってたんだ。イツカは戸惑っていたし困っているけど、僕に対して、頼ることをしてくれない……なんていうか、僕を頼りすぎないようにしてる気がする。それがなんだが悔しいんだ」
フェイは思考を整理するように、訥々と話し出す。
「僕は彼女を中洲で見かけた時から彼女のことばかり考えているんだ。こんなに執着するなんて異常だ。彼女も僕がイツカのことを考えてるぐらい、僕に執着してくれたらいいのにって。……でもイツカは、そういう事はしない気がする。僕ばっかりイツカを見てる。それがちょっと悔しい」
フェイは喋りすぎた、と苦笑いをした。
「昨日、気がついたんだ。そしたら彼女のために何かしたくなって、さっきの簪に魔術式を書いたんだ。そうやってお守りをつくっていたら、どんどん、気持ちが固まって形になった。形になった気持ちを伝えたいって思ったんだ」
きっと……この気持ちが恋なんだ、とロビーの扉を見てそっと優しい声を出した。フェイは簪をしのばせた袂をそっとおさえた。
「……でも、叶うわけじゃないんだね」
「フェイ……」
ゴーシェは感慨深く、フェイの胸の内を聴いていた。ゴーシェにとってフェイは兄に等しい存在だった。彼は精霊として生きるか、人として生きるかをずっと悩んでいたのを見てきた。フェイがある日人間になると決めたとゴーシェの父を頼ってきた時を思い出していた。あの日彼は、恋を知りたいのだ、と願っていた。彼の願いは叶ったのか、とゴーシェは涙を滲ませたフェイに手巾を手渡しながら考えていた。
◇◇◇◇
ナハが血相を変えてロビーに入ってきたのは、終行時刻の1時間前の事であった。
「ナハ?どうしたんだ」
息を切らせて、駆け込んできたナハは喋ろうとしては咳き込むを繰り返していた。それでも、必死にラングドンを手招き必死に訴えた。「さ、ササラが……怪我を、イツ、カが……!イツカが、連れ、て、いかれて」
「!?」
ラングドンは、慌ててナハをロビーのソファへ座らせた。ナハは転んだのか、両掌が擦りむけズボンの膝に擦れた土汚れがついていた。
「ラングドンさん、ほかの職員に声を掛けてきます」
「頼む」
守衛室で仮眠を取っていたゴーシェは、ラングドンに声をかけた。
「ナハ。怪我をしたササラはどこにいる?」
「ミントの圃場です。圃場の近くの木蔭にいます。出血はみあたらないんですが、歩けないみたいで……」
「わかった、今からまず怪我人を助けに行く」
ラングドンはナハに守衛室の救急箱を差し出した。
「ナハ!」ゴーシェから知らせを受けたフェイやダンカたちが慌ててロビーへやってきた。
「ササラが怪我で動けないらしい。ヤハマとゴーシェとササラを助けに行く」
「わかりました。担架を持っていってください。頼みます。ダンカも一緒に行ってください」
ラングドンたちが守衛室に置いてある担架を担ぎロビーを出ていった。
「ナハも怪我の手当てをしましょう」
フェイは救急箱を開けた。ナハの傷口の土汚れを洗い流していく。
「所長!イツカさんがっ……」
どうしよう、とナハが声を絞り出した。
「イツカも怪我をしたのですか?」
「わかりません。イツカの姿が目の前で消えたんです!そのあと、風に煽られてササラさんは足を捻って、わたしは転んで擦りむいたんです。クゥさんもいないし、とにかくみんなに知らせよう、って……」
ナハの声は震えていた。
「一緒に、いたのに……」
「ナハさん。手当てがすんだのなら、これをのんで」
今にも泣き出しそうなナハに、ディアが声をかけた。そっとティーカップを差し出した。
ふんわりと優しい香りが漂う。
「タミアさんが、ハーブティを淹れてくれたわ。それに砂糖菓子も出してくれたの。これを飲んで甘いものを食べて、次のことはそれからよ」
「……でもっ!」
「ナハさんに何かあれば、イツカさんは自分を責めるわ。だから、落ち着いて。それから、自分が何を見たのか話して頂戴。ね?」
ディアが今にも外へイツカを探しに飛び出しそうなナハにティーカップを持たせて、その場に留めた。
「戻ったぞ!」
ラングドンがササラを抱えて帰ってきた。ダンカが開けた扉を、使わなかった担架を抱えたゴーシェも通っていた。
ヤハマそっと「ナハ嬢も、痛かったじゃろうて」とナハに視線を合わせて労った。
「ササラ嬢は足を捻ったようだの。骨は大丈夫だった」ヤハマがナハの手当てを確認しながら、皆に報告した。
「うむ。大丈夫、大丈夫だよ」
ヤハマは目尻にたくさん皺を寄せて、優しい声をだした。ナハは喉を詰まらせて、目を潤ませた。
「所長、所在不明者はイツカとクゥのみです」
イータがフェイに固い声音で報告した。
「うん……そうだね。ナハ、ササラ。怪我をしたところ申し訳ないんだけれど、何があったのか話してもらえる?」
フェイは守衛室から顔をだしたタミアに気づくと、表情を意識的に和らげた。タミアの手にした盆には、ティーセットの用意があった。守衛室近くでロビー全体の様子をみていたクルスクが、タミアの盆を受け取っていた。
「タミアのハーブティを戴きながら、ね?」と、フェイはぎこちない笑みをみせた。
薬草園の責任者として振る舞うフェイを見て、ナハはぽつぽつと話し始めた。
「午後の休憩のあと、わたしとササラはイツカと一緒にハーブの区画に行きました。あ、クゥも一緒でした」
◇◇◇◇
日も傾いて来ましたし、今のうちにハーブ園の周辺の草刈りをしてしまおうと思ったんです。この時間だとハーブ園の辺りは、この建物の影になるから。2時間もすれば今日の仕事も終わりだし、作業時間としてもいいかなって。
ササラにイツカに作業内容の説明をしてもらって、順調でした。イツカも……ちょっと、その、所長のこと気にしてましたけど、いつもどおり一生懸命仕事をしてました。
1時間作業したあと、イツカがわたしとササラの名前を叫んだんです。それから「問題があるっ!」って。たぶん、<来る人>の言葉でも何か話していたんだと思います。わたしは<来る人>の言葉はわからないから、イツカが何と言っていたのかはわかりません。だだ……来るな、とか、逃げて、というような意味だったんじゃないかなって。
クゥがイツカの声に反応して、イツカの側へ駆けていったんです。
そのあとは……立っていられないくらいの、強い風が吹いて、わたしもササラも転んでしまったんです。風が止んだときには、イツカの姿もクゥの姿もありませんでした。
◇◇◇◇
「そのあと怪我をしても、ここまで走って来てくれたんだね。……話してくれて、ありがとう。ナハ」
フェイはナハに頷くと、ササラからはどう見えた?と尋ねた。
「……ナハと、ほぼ同じです」
ササラはラングドンに運ばれてきてからもずっと、暗い表情で思い詰めているようだった。
「ササラ……」ダンカがナハに無理するなよと、声をかけた。
ササラはしばし言いあぐねている様子だったが「イツカは<来る人>の言葉で、逃げてください、とわたくしたちに伝えていました。早く逃げて、こちらへ来ては駄目だ、と。駆け寄っていくクゥにも、巻き込んでしまうから、って。……クゥはそれでもイツカの傍に、走っていってましたけれど」
ササラは、所長の師匠は格好いいですね、とぎこちない笑みを滲ませた。ササラが頑張ってつくろうとた笑みは一瞬で崩れてしまった。彼女は、疲れた顔を隠せなかった。言葉にするのを躊躇う素振りをみせていたが、こう話を締めくくった。
「それから風が吹いたときには、こうも言っていました」
……りゅうだ、と。
◇◇◇
「ごめんなさいね、りゅう、というのはなにかしら?」
クルスクはササラの話を聞いたあと、深刻そうな顔をして黙ってしまったフェイ達魔術師に訊ねた。タミアもディアも心配気な顔をしていた。
「ものすごく大雑把にいえば、魔術師のいうところの精霊の一種。高位種として分類される、大きくて力も強い存在だね。ただ、観測例が極めて少ない。このあたりの周辺国ではドラゴンよりも少ないくらい」
空も飛べるらしいよ、イータがざっくりと説明した。
「へぇ……そうなのね。教えてくれてありがと」クルスクは今一つピンとは来ていないながらも、話を聞く体勢に戻った。
「……それで、どうする?」ゴーシェがフェイに今後の方針を問うた。
「そう、だね」フェイは二人の話からわかったことは……と、順に指を折りながら、状況を整理していった。
「イツカは何かを目撃したと考えられる。イツカが目撃したものを、りゅう、とイツカは呼称した可能性が高い。イツカは、ナハとササラを目撃した何かから逃がした。ナハとササラが怪我をしたのは、突風が吹いたからである。あと、イツカの傍にはクゥがついていてくれている公算が高い」
数えた指を開いて、フェイは腕を組んでうーん、と唸った。
「お守り、何がなんでも押し付けておけばよかった……」
フェイはぼやいたあと、頭をガリガリと掻いたあと、意を決したように顔を上げた。
「ゴーシェ。ゴーシェは第一王子殿下にイツカの行方不明事案が発生したことを報告しておいてくれる?」
「わかった」
「ん、ありがと」
フェイはゴーシェに晴れやかに笑いかけた。ゴーシェはフェイの笑みを見て、頬をひきつらせた。
「なあ、フェイ。……何をする気だ?」
「イツカを探してくる」
「殿下に報告してからでは遅いのか?今回は、精霊が関わっている可能性が高いから、宮廷魔術師団も動くはずだぞ。それからのほうがよくないか」
「……だめ」
「なんで?」
「上位精霊が関係しているなら、初動を早くしないと、イツカは帰ってこれなくなるかもしれない」
それに宮廷魔術師団と僕がうまく協力できると思えないし、とフェイは小さく呟いた。
「夜明けまでには、一度、帰ってくるからさ」
フェイは、頼むよ、とゴーシェを拝んだ。
「……あてがあるのか?」
「勿論」
ゴーシェは不承不承ながらも、フェイに夜明けまでには必ず戻るよう約束させた。
「ダンカ。僕が不在の間、研究所の所長代理をお願いしたい」
「……は、い?」
「ダンカはこの中で一番長く勤めているだろう?事務仕事も卒がないし、全体もよく見えている……頼むよ」
「リースウェル所長。夜明けまでにイツカさんと戻られるなら、代理は必要ないのでは?」
「そうなんだけれど、こういうのは決めてなかったでしょう?」
「そうですが……」
ダンカは、じとっとフェイを見据えた。
「所長が不在になるのはどんなときですか?」
フェイはダンカの顔を見て、頬を顔に添えて目を閉じた。数秒後、目を開いて口角を引き上げてこういった。
「クゥと旅している時に良い感じの野草を見掛けたなぁって、思い出したんだよ。きっと、クルスクが売り出そうとしている新製品に役立つと思うから、株をわけて貰いたいなって。あと、タミアが興味があるって言ってたハーブも仕入れ先に心当たりがあるんだ。今日明日の話でなくとも、近い内に交渉して来たいと考えている」
「……薬草の仕入れのためですね。……わかりました」
ダンカは小さく唇を尖らせて、所長代理を引き受けた。
フェイは「ありがとうね」というと、ごそごそと懐から水晶片を取り出した。
「……この前は、ダメだったと仰ってましたが?」
イータはフェイの水晶片に魔術に描かれた、探索の術式を見て呟いた。
「まあね。でも、今回は師匠がいるからね」
フェイが小さく呟くと、水晶片がカッと光を放った。
「探索対象をイツカではなくクゥにすれば……ほら、反応あり!」
ふふん、とフェイは得意気に胸を反らした。
「おぉ……」と魔術師ではない職員が、よくわからないけどすごい、とフェイに感動の眼差しを向けた。ダンカはフェイの魔術に誰よりも目を輝かせていた。
「……今もクゥとイツカが一緒にいてくれることを願うのみですね」イータはぼそっと心配事を小声で口にした。フェイは、イータのいうことももっともだなんだけどね、と苦笑いをした。
「反応は宮廷内、薬草園。イツカ達が作業をしていたあたりかな。……ただ、位相が違うかもしれない」
「精霊の塒につれていかれた?」イータがフェイに問うた。
「おそらくは」
「ごめんなさい。精霊の塒と位相ってなんなの?それはイツカが異世界から来たみたいに、異世界にいるということ?」話を聞いていたクルスクが、挙手をして発言を求めた。魔術師ではない職員たちがじっと見守っていた。
「我々の世界はイツカたち<来る人>らの異世界と繋がって存在している。それは、いいよね?まあ、もっとも<来る人>たちの異世界が1つなのか複数あるのかは議論の余地があるんだけど……今は置いておくとして」フェイは魔術師でない職員たちに説明をしていく。その間も、ダンカやイータにロビーに術式を書くからと机と椅子を退かすよう指示をしたり、ササラとヤハマに白墨と水晶や輝石などの準備を依頼していた。
「我々の世界には、人間や動植物など魔力を保有しない存在が生活する基礎世界に、魔力を保有する精霊の類が存在する層が重なって成立しているんだ……この魔力を保有するものの存在する層が幾つ重なっているかも諸説あるんだけど、これも置いておくね。端的に言うと魔力は異なる位相から基礎世界に干渉する力……というのが今の定説かな。ちなみに、人間の魔力持ちが魔術を行使するのに精霊の魔力を必要とするのも基礎世界の存在が、基礎世界に干渉できないからと魔術書には説明されているね」
フェイはヤハマから白墨を受けとった。
「だから、精霊が近くに居ないときに魔術を発動させることは基本的に難しい。その問題を解決するための回答として、水晶を用いるというものがある。この水晶は精霊が魔力を込めたものなんだ。これがあれば、精霊が近くにいなくても術式の発動ができる」
イツカに渡そうとした髪飾りの輝石にも守りの術式と精霊の魔力を込めてあったんだ、と、フェイはかつかつと白墨をロビーの床に走らせた。
「今書いているのも、この水晶で発動させるの?」
「そう。だいぶ水晶のストックを消費することになるけれどね」
物珍し気にフェイの作業を見ていたナハの問いに、フェイは目線を向けることはしなかったが柔らかな声音で答えた。
「精霊の塒っていうのは、精霊たちの棲む位相と基礎世界の重なるところの通称だよ。場合によっては精霊たちの棲む位相そのものを指すこともあるけれどね。ここであってここではないところ、という感じだね」
クルスクはよくわからないなりに、フェイの話を理解しようと頭を捻っていた。
クルスクの真剣な様子を見てフェイは、このあたりの話は基礎的な魔術書の理論のところに書いてあるから読んでみるといい、と声をかけた。
「では、夜明けまでに戻ります。みんなは、本日の業務に早急にキリをつけて、以後はダンカの指示にしたがってください。ダンカは、ゴーシェと一緒にルーゼ王子の指揮下へ入ってください。ラングドンもダンカを見ていてくださると助かります」
フェイは矢継ぎ早に引き継ぎをすると、行ってきます、と魔術式を発動させた。水晶が発光し、その光が模様に伝播していった。その光がいっそう輝いたあと、収束していく。魔術式の中心に立っていたフェイは、床一面を埋め尽くしていた模様と共に姿を消してしまった。
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