第8話

イツカの歓迎会は始終和やかに終わった。

フェイはゴーシェと共に、イツカを離宮に送り届けた。いつもならイツカと一緒に離宮に泊まっているクゥは用事があると言って薬草園で別れたきりだ。

イツカを送り届けると、第一王子がイツカの滞在している部屋で一服しながら待っていた。第一王子とイツカの会話の通訳をし、別途第一王子に1日の報告をして宿舎の自室へと戻った。

すっかり夜も更けていた。

窓辺の鉢に水を与えていると、窓の外にぽうっと光が見えた。

小さな精霊たちが、淡い光を放ちながら空中に輪を描いて踊っていたのだ。

宮廷内には小さな精霊たちがたくさん棲んでいた。それは、宮廷内にいる大きくて力の強い精霊はだいたいが魔術師と契約していることもあるし、人間が暮らすのに障りのある精霊は宮廷の結界を通れないためでもあった。

「今日は、精霊たちの集会日だったのか」

クゥがイツカの傍を離れたのは、集会に出席するためだったのか、とフェイはひとり納得した。

明滅を繰り返しながら精霊の描く滑らかな軌道を、ぼんやりと椅子に座って眺めていた。

「……師匠と旅をしていたときは、良く参加したな」


かく、と身体が衝撃を受けた。

窓の外は星月夜で、精霊たちの集会はすでに終わったか、場所を変えたようだった。

どうやら転た寝をしていたらしい、と当たりをつけるとフェイはベッドで横になろうと椅子から立ち上がった。立ち上がるときに、机についた手が何かに触れた。木箱だった。

「なんだっけ?」

フェイは蓋をあけると簪が入っていた。中洲の歓楽街で、イツカに関する情報代として購入したものだった。

簪の細工は細かく、石も小さくはあるが良いものだ。色味こそないが繊細な花の作りもあって、イツカの髪に良く似合いそうだ、とフェイは思った。

「……ああ、全く、もう!」

フェイはがしがしと頭を掻くと、簪の石に魔力を込め始めた。



◇◇◇◇


「おはよございまそ」

「おはよう」

「おはようございます」

イツカのやや惜しい朝の挨拶に、職員たちがにこやかに返事を返した。

『イツカ、所長と一緒ではないのですか?』ダンカがイツカの横にいたゴーシェとクゥを見て尋ねた。

『はい。今朝は別行動です。てっきり、先にこちらへ向かわれたのだと思っていました』

『そうでしたか』ダンカはイツカに今日の仕事の範囲を伝えた。イツカの傍にいたクゥに『イツカを頼みます』と伝えると、クゥは神妙そうに「クゥ」とないた。

イツカを見送ったダンカはゴーシェを見て「所長はご一緒ではないのですか?」と尋ねたが、ゴーシェも「いや、今朝は見ていない」と首を横に振った。

「もうすぐ始業時刻なんですけれど……今日は宮廷魔術師団および騎士団と、宮廷医局を交えて薬草と薬剤の分配についての会議なんです」

「その会議は、何時からなんだ?」

「お昼過ぎです。ただ、宮廷医局との打ち合わせが午前中にあるので……そろそろ出発しないと」

ダンカはゴーシェの問いに心配そうな顔をして答えた。

「そうか。なら、ちょっとフェイの宿舎まで、様子を見に行ってくるよ。会場は内廷か?」

「そうです。お願いします」

「見つけたらそのまま会場に送り込めばいいか?」

「はい。では、必要な書類などは会場までお持ちします」

ありがとうございますと頭を下げるダンカにゴーシェは気にするな、と手を振った。

「今日からはイツカの警護も仕事になったから、ついでだ。フェイはイツカの専任通訳だし。ま、幼馴染みとしても心配だしな」

行ってくるわ、と行って来た道を引き返していくゴーシェをダンカは見送った。

「リースウェル所長、大丈夫かな」

「……昨日はだいぶショックみたいだったしね」

ダンカの独り言にイータが返事をした。

「まさか、わたしたちよりも歳上とは思わなかったわ。イータよりも歳上だとしても、ナハと同い年ぐらいと思っていたもの」と、ササラ。

「所長は、僕よりも年下だと思ってたみたい」

「イータって、18だっけ?」

「そう」

ダンカは「それは、さすがに……ない」と首を振った。

ダンカは用意していた会議で使用予定の書類一式を抱えて「万が一、所長がこちらへいらしたら内廷の小会議へ向かうように伝えてください」と守衛室にも声をかけて出掛けていった。


◇◇◇◇


「ただいまもどりました」

日が傾き始めた頃、会議に出向いていたダンカが薬草研究所に帰ってきた。

「お帰り」

ラングドンが守衛室から、ロビーに顔を出した。

「紅茶と麦茶と緑茶があるんだけど、どれがいい?」

「あー……、麦茶がいいです」迷いますね、とダンカが神妙に呟いた。

「了解。麦茶ね」

ラングドンは守衛室に取って返すと、グラスを2つ机に置いた。

「所長も、お帰りなさい」

「……ただいま」

「よろしい」

ラングドンはフェイにも話し掛け、水分補給してくださいね、と釘を刺した。イツカが脱水症状で倒れたことを踏まえ、守衛室には麦茶を常備することにしたのだ。薬缶を水のはいった木桶に入れているので、少しだけひんやりしていて職員にも好評だ。

ダンカは麦茶のおかわりをラングドンに頼みながら、フェイに話し掛けた。

「それで?所長が寝坊するなんて珍しいですね」

「え、今朝のは結局、寝坊だったの?え、どしたの。おじさん、びっくり……」

ダンカにおかわりを用意しながらラングドンはフェイをみた。

「……寝坊、ですね。ちょっと夜に作業に熱が入ってしまって……」

ご迷惑おかけしました、とフェイはしょんぼりとしていた。

「迷惑というよりも心配したよ」ラングドンは、今晩は早く寝てね、とフェイを嗜めた。

「……ときに、所長。所長が夜なべした作業って、何ですか?もしかして、新しい術式とか魔術具とか」

ダンカがぐいぐいとフェイに迫っていた。

「……ダ、ダンカ?」

「新しい薬草の調合法をおもいついたとか!」

「おかわり、置いておくぞ」

ラングドンはダンカの麦茶のおかわりを机に置くと、机を挟んで反対側のソファの背にもたれ掛かった。

「ありがとうございます!」

ダンカはラングドンにお礼をいうと、すぐに麦茶のグラスを空にしてしまった。

ラングドンは目を輝かせているダンカを微笑ましそうに見て「ダンカは、熱心だなぁ」と自分用の麦茶のグラスを傾けた。


「あ、所長とダンカだ」

「お帰りなさい」

イータとササラがロビーに顔をだした。

「ダンカ、所長のファンもほどほどにね」イータがフェイに詰め寄っているダンカを見て、ぼそりと呟いた。

「う……」

ダンカはイータの指摘で、そろりとフェイから離れてソファに行儀よく腰掛け直した。

「ああ、そろそろ休憩時間か……」

ラングドンは守衛室に茶の支度をしに向かった。


「休憩です~!」

外から帰ってきたナハは麦わら帽子を脱ぐと、軍手やエプロンを丸めてロビーの入り口へ置いた。

「イツカたちも休憩ですよー」

ナハはロビーの扉から外へ手招きをしていた。ぱたぱたとイツカが小走りで入ってきた。イツカは『日差しがあるなしで、体感温度って違いますね』とナハに笑いかけていた。

「んー?暑いよねぇ……」とナハはふぅと帽子で扇いでいるイツカの様子を見て何といっているのか辺りをつけて会話をしていた。

「はーい、ふたりとも。水分補給だよー」

ラングドンが麦茶のグラスをナハとイツカに手渡した。

「クゥさんとゴーシェにもあるよ」とラングドンは、イツカの後ろからロビーに入ってきたクゥにも麦茶を差し出した。クゥの麦茶は前肢でも持ちやすいように、小ぶりなカップに用意されていた。

「はい、ゴーシェも。飲んで飲んで」ラングドンはイツカたちと作業をしていたゴーシェにも麦茶を手渡した。


「それで所長が徹夜した作業って……結局なんですか?」

イータはロビーに休憩に続々と集まってきた職員たちに麦茶を配り終えたランクドンにおかわりをねだると、思い出したようにフェイに訊ねた。

「お守りをつくれないかと試してみていたんだ」

「お守り?」

「そう。昨日、ナハが所在確認ができる魔術具をイツカに持たせておけばいいんじゃないかっていっていただろう?イツカも周りに助けを求める事が出来ない事態だったわけだし。だから、そういうこちらに助けを求めつつ、場所を知らせることができるものがあるといいなぁと」

フェイは抱えていた荷物から小さな木箱を取り出した。

「ついでにその機能以外にも、1回だけ身代わりになってくれたり、よくないものを退けるような護りの力も持たせたり出来たらいいなと思い付いたんだ。あとは、回復力を高める力もつけれないかとかいろいろ欲張っちゃって」

「それで、徹夜して遅刻ですか?」

「いや、どちらかといえば明け方に魔力切れで、気絶レベルの寝落ちしたのが原因かもしれない」

ご迷惑おかけしました、とフェイは頭を下げた。

「クゥ!」とクゥが眉間に皺を寄せて、フェイの膝に前肢を乗せていた。その姿は、暴走した弟子に反省を促す師匠そのものだった。

「……すみません」フェイも塩をかけた菜のようにましょんぼりとしおれた。

「ね。木箱の中を見てみたいわ!そこまで拘ったたのなら、自信作なのでしょう?お披露目会しましょうよ」クルスクが萎れた場の空気を変えるように提案した。

クルスクに促されフェイは緊張した面持ちでそっと木箱の蓋を開けた。ダンカはフェイの作品を期待の眼差しで覗き込んだ。

「これは……装飾品、ですよね?あ、この輝石に術式をくみこんだのですね!」ダンカは銀の装飾品の輝石にかけられた、フェイの魔術式をよく観察しようとした。

「あら、簪ね。<来る人>がたまに使っている髪飾りよ」クルスクはとても繊細な細工だわ、と楽しげだ。

「この細工、結構値が張ったんじゃない?」職員の中で一番財布の紐が固いイータは頬をひきつらせて簪を指差した。

フェイはそっと両手で簪を取り出すと、ラングドンのお手製のレモンピールを齧っていたイツカの名前を呼んだ。フェイと同じソファに座っていたクゥが、イツカの座る椅子の脚元に丸くなった。

『……はい?』

噛んでいたレモンピールを飲み込んで、イツカは返事をした。

イツカと一緒に、おやつをしていたナハやラングドン、ゴーシェは追加のレモンピールを口に入れた。ロビーの別テーブルで談笑していた、ディア、ヤハマ、タミア、ササラが顔を見合わせて麦茶を口に運んだ。

フェイがイツカのもとへ歩を進めた。

職員たちがごくり、と息を飲んだ。クゥのピンと立ち上がった耳がピクリと動いた。

イツカはロビーの空気が変わったことを感じ、不思議そうにフェイを見た。

『フェイさん?』

フェイはイツカに簪を見せた。

『……綺麗ですね』

イツカは白銀の簪を見て、首を傾げながら当たり障りのなさそうなコメントをした。

『イツカ』

フェイはイツカの前に跪いた。イツカはフェイが跪いたことに驚いて、椅子から立ち上がると慌てて、膝をついてフェイに目線を合わせた。

『ど、どうされたんです?』

フェイにどうか立ち上がってと、イツカは促した。

『イツカ。どうか、この簪を受け取って欲しい』

フェイはイツカに簪を差し出した。手は細かく震えていた。

『え……?』

イツカはフェイのただならぬ真剣さにおろおろと周囲を見た。職員たちはフェイとイツカの様子を見守っていた。イツカは困った、という顔をした。

『……フェイさん、顔を上げてください。わたくしは、理由もなく高価な物を受け取るわけには参りません。この簪は、何か特別なものなのではないのですか?』

『特別なものです。だから、貴女に受け取って欲しい』

イツカは言葉が通じているだけで話が通じていないのではないか、とフェイに胡乱な眼差しを向けた。

固まってしまったイツカとフェイの様子をみて、ゴーシェが声を掛けた。

「なあ、フェイ。イツカはさ、ヒースラント王国で髪飾りを贈る風習を知っているか?あと、魔術具のことも知っているか?……フェイの、気持ちは伝えたのか?」

「……あ」

フェイはゴーシェの指摘に、説明してない伝えてない、と消え入りそうな声をだした。

フェイは仕切り直す様に、もう一度イツカを見つめた。

『イツカ。僕は、君に一目惚れをしています。貴女のことをもっと知りたい。貴女に健やかでいて欲しい。貴女を護りたい、近くで支えたいんです』

貴女が好きなのです、とフェイは絞り出す様な声をだした。

『このヒースラント国では、告白をするときに装身具を贈る風習があるのです。髪飾りはその定番なのです。貴女にこの髪飾りを……僕の気持ちを受け取って欲しいのです』

フェイはイツカにもう一度簪を差し出した。イツカはそっと、フェイから視線を外し足許のクゥを見た。

『貴女が、好きなのです』

イツカはフェイの言葉に、こく、と唾をのんだ。そっと職員たちを見て、きゅ、と唇を引き結んだ。

『イツカ。知らないのは不公平だとわたくしは思いますのでお伝えしますが、ヒースラント王国の風習の話は本当ですわよ。この国では結婚を前提とした告白の際には、装身具を贈るのです。女性には髪飾りを、男性にはタイが定番です。当然ですけれど、断る自由も受け入れる自由も貴女にはありますわ』

ササラがイツカにそっと伝えた。職員たちはイツカとフェイから視線を外した。

『ササラさん……ありがとうございます』イツカはササラにそっと頭を下げた。

『フェイさん。ありがとうございます、わたくしを好ましく思ってくださって。……フェイさんがいらっしゃなければ、わたくしはこの世界で途方に暮れていたことでしょう。感謝しています』

イツカはフェイから簪を受け取らなかった。

『わたくし……家に、帰りたいんです。……わたし、家族に、大事にしてもらいました。だから、ちゃんと、家族の支えになりたいって、思ってるんです。親孝行が、したいんです。だから、ごめんなさい』

フェイは『そう、か。いきなり、ごめんね』と簪を、上着の袂へ入れた。

イツカの足許で、クゥが思い切り伸びをしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る