第6話

「所長!大変です!」

フェイが薬草園の仕入れ台帳に目を通していると、研究員が駆け込んできた。机の上の稟議書がダンカの巻き起こした風で舞い上がった。ダンカは真面目な性格の努力家で、基本的に礼節を重んじるタイプなので、ダンカがなりふり構っていない時は緊急事態というのがこの薬草園の共通認識であった。

「……どうしたの、ダンカ?」

「どうしたの、って!また、イツカさんがいないんですよ」

「昨日は研究所内で掃除をしていて、部屋の鍵を間違えて掛けられてしまって出られなくなっていたけれど、掃除に夢中になっていて閉じ込められてたことにすら気づいてなかったけど……?」

イツカは第一王子からこの薬草園と付属研究所の雑用係を命じられて、張り切っていた。

昨日は、イツカの初勤務日であった。

研究所の職員たちにイツカを紹介する際、彼女はかなり緊張していたようだった。それでも、片言のヒースラント王国語で、職員たちに挨拶をしていた。そよ様子を見て職員たちも概ね好意的に受け入れていた。

イツカの足の怪我を治すための休息の期間に、せめて「こんにちは」と「ありがとう」は言えるようにしたいと、練習していた成果といえた。彼女は「お願いします」「ごめんなさい」「これが問題です」など幾つかの挨拶は言えるようになっていた。聞き取りは出来ないと言っていたが、まだ滞在して1週間も経っていないのだから十分だろう、とフェイは考えていた。

薬草園の職員の中には精霊や魔術師も在籍しており、<来る人>の言語が多少は通じるところも彼女にとってよい方に働いた。

職員の中では<来る人>の言語が達者なダンカはイツカの様子を気にかけてくれていた。初日はイツカに触ってもよいもの、立ち入り禁止区域、危険物、などイツカの仕事にあたっての裁量の範囲を丁寧に説明していた。そして、イツカの姿が見えないことに気がついたのもダンカであった。

「昨日の件もありましたからね。イツカがここに慣れるまでは様子見がてら、休憩を交代で一緒にとろうって、みんなで話したんです。」

「……僕、聞いてないんだけど」

「リースウェル所長は、昨日イツカと一緒に帰ってしまったでしょう?お蔭様で、新人不在の新人歓迎会でしたよ」

ダンカは首を左右に振った。

「……ともかく、また閉じ込められているということは?」

「所長、今日のイツカの仕事は、この建物の周囲の草刈ですよ?外での作業ですから、脱水に注意する意味も兼ねて、休憩と飲み物を差し入れていたんです。午前中は、ちゃんと居たんです」

「最後に見かけたのは、いつ?」

「昼食の誘いに行ったササラとタミアが、見当たらないと休憩所に駆け込んだのが3時間前です。最後に見かけたのは午前中にお茶を差し入れした、私とクルスクですから……5時間ほど経っています」

「そうか」

「ラングドンだけじゃなくて、ササラやイータ達とも手分けして一通り施設の部屋を見てきました。圃場は、ナハ、クルスク、タミアが見てきました。……でも、居ないんです。ディアが待機していてくれてたんですけれど、戻ってきてないです。これ以上捜索範囲を広げる前に一度に報告したほうがいいだろう、と」

「……うん、報告、ありがとう」

「もう一度、捜します。今度は担当を替えて……眼が変われば見えるものも違うでしょうから」

駆けだそうとするダンカをフェイは呼び止め、休憩所を兼ねているロビーに職員を召集するように、と伝え退室させた。

書類を机上にまとめて、文鎮をおいてフェイも執務室を後にした。


◇◇◇◇


この薬草園付属研究所のロビーの一角には、ソファや椅子と机が置いてあり職員たちの休憩スペースとしても使われていた。ロビーに併設されている守衛室には、簡易台所も敷設されておりお茶を淹れることも出来た。

フェイがロビーに到着した時には、現在出勤している職員が集合していた。

「みんな、顔色がよくないよ。ちゃんとお昼ご飯は食べたのかい?」

「リースウェル所長。みんなイツカのことを親身になって探してくれていたんですよ。言い方があるでしょう」

「ダンカ。うるさい」

「イ―タはダンカに嚙み付かないの。ダンカは所長に当たらないの。それでは、解決しないでしょう。しかし、所長も所長です。もう少し、表現に気を回してください。……イツカさんに嫌われても知りませんよ」

「……ササラが一番、当たりが厳しいんじゃん」

「イータ?」

「何も言ってません。ダンカじゃない?」

「は?ちょっと待て、イータ!めんどくさいと思った瞬間に俺に全部投げるなと、いつも「ダンカ。イータ。わたしのこと面倒だと思っているという意味ですか?」

「へ?待て、ササラ。そういうことじゃあ……。いや待って、ほんとに待って」

ササラがダンカとイータに「新薬の被験者、引き受けてくれますね?」と迫っていた。ダンカはしれっと逃げようとしていたイータを捕まえて「ひとりだけ逃げられるとおもうなよ」とうなっていた。

ダンカとイータとササラは学院時代からの付き合いで、この薬草園付属研究所でもよく3人で居るのを見かけた。しかしフェイが所長になって、2年になるがこんな会話をしていたとは知らなかった。

「ま、所長のいうことも一理ある!ということで、ちと遅くなっちまったが、飯にしよう」

守衛のラングドンがロビー横の守衛室から紅茶を淹れて持ってきた。ラングドンの淹れる紅茶はいつも香ばしい香りがするのだ。「所長は言い方がイマイチだが、いってることは悪くないも思うぞ」とラングドンは笑った。

「そうしましょう。所長さんも、お昼ご飯はまだでしょう?」

ディアは「たまには、ご一緒してくださいまし」と微笑んだ。

料理上手のタミアが手作りの惣菜をいくつか皆に分けはじめた。ナハは机を拭いたり小皿を用意ししたりと手際よく準備していく。ラングドンは紅茶のほかにお菓子を用意しているといい、クルスクに守衛室まで取りに行かせた。ヤハマは未だに騒いでいたダンカたち3人に声を掛けに行くと腰を上げた。ディアはその様子を見ながら「ランチミーティング、というのよ」とフェイに上品な笑みを見せた。


「それで、所長。このあとはどうされるおつもりです?」

ラングドンの紅茶の香りを楽しみながら、クルスクが口火を切った。

「そうですよ。イツカのことは勿論心配ですが、第一王子殿下の客人を2日連続所在不明にしているのは、どう考えても問題ですよね」

ナハが深刻な顔をして「いっそ、所在確認がすぐ出きる魔術具を持たせるとか……」と声を潜めて言う。イータが「それって、ナハの実家の家畜と同じ扱い……」と呟いてしまい、ダンカにはたかれている。

「今後の対策は、イツカを発見してから考えます」とフェイは右手を握ったり開いたりを繰り返していた。

ヤハマが顎を擦りながら、好好爺然として話題を変えた。「それよりも、イツカ嬢は何処にいるのでしょうな」

「薬草園を偵察させた使い魔は見掛けなかったって」とイータがいう。「研究所内を見てきたわたしの使い魔も見つけられませんでした」ササラが付け加えた。

「リースウェル所長は、どうお考えですか?」ダンカがフェイに問うた。

「昨日、イツカが閉じ込められていた部屋の件もそうです。あの部屋の鍵を掛けたのは俺ですが、死角が無いように作られたあの資料庫でどうしてイツカを見逃してしまったのか、わからないんです。……イツカはこの世界に来た日も第一王子やその側近の眼を掻い潜って消えてしまったと聞いています」

「それはわたしも気になってました。あの資料庫は小さい部屋の壁3面に本棚を入れて資料を並べてあるだけの部屋です。机もありませんし、扉は外開き。それなのにイツカを見落としたというのは不思議に思ってました」

ダンカに続いてナハが発言した。

「まず、第一王子の客人を連日所在不明にしているのはよろしくない。ただ、イツカがよく居なくなるのは、離宮にいた数日間にも確認されていたので、第一王子は寛大に対応くださるはずだ」フェイは職員たちを見渡してこう述べたあと、小声で「……見つかりさえすればね」と付け加えた。

「見つからないけど?」

「イータ!」とダンカがクッキーを齧りながらぼやくイータを嗜める。

「ちなみに、わたしの探索魔術でもダメだった」フェイはもぞもぞと動かしていた、右の掌を開いて、小さな水晶片を見せた。

「術式は起動しているのに、反応しない。……異常事態だ」

フェイはロビーのソファに凭れかかって、天井を睨み付けた。フェイの草臥れた様子を見て、職員たちの顔が強張った。

「異常事態なの?」クルスクが確認をした。

「そう、異常事態た。といってもクゥが……精霊がついているだろうから、余程の大事にはなっていない、はずだ」

「クゥ?イツカと一緒にいた白いふわふわ君でしょう?精霊だって聞いているけど……ずいぶん信用しているのね?」意外だわ、とクルスクが紅茶のおかわりをラングドンに要求しながら、宣った。

「所長と使い魔契約をしているのですか?所長を足蹴したりすげなくしていて、イツカにはべったりでしたよね……」ササラが考察を述べていく。

イータが「所長、そういう趣味が?」と呟いて、ダンカにクッキーを口に押し込まれていた。

フェイはイータの発言に反応せず、ぼんやりと天井を見たまま。「人ではないし、わたしの使い魔でもないが、それなりに信用も信頼もしてますよ。……わたしの魔術の師匠なのだから」

「え?!」

「マジ」

「それで……ですか」

「ほぉ」

フェイの言葉に驚いているのは、魔術師でもあるダンカ、イータ、ササラ、ヤハマの4人であった。ダンカ、イータ、ササラは魔術と薬草をうまく組み合わせて活用できないかを研究テーマにしていた。ヤハマは薬として回復魔術と掛け合わせたいと、神殿から志願して出向してきた賢者であった。魔術師でもある4人は<来る人>の言語を精霊たちとの意思伝達手段として用いるため、イツカとも会話ができた。

「それは、すごいことなの?」

ナハ、タミア、クルスク、ディアは魔術師ではなく、植物の利用や研究を仕事としている。ナハは農産物研究、タミアはハーブや香辛料の研究をしていた。ディアは植物学の研究者として名が知れていて、王都の学院の教授でもあった。また、クルスクの香水や美容液シリーズは、この薬草園研究所の稼ぎ頭であった。彼らは<来る人>の言語は話せないが、イツカがここで働くと知って挨拶程度は、と勉強会を開いていたのをフェイは知っていた。

「魔術の行使に精霊の力を借りるのが、魔術師の基本です。精霊に気に入られ、精霊と交渉することが魔術師もっとも求められる素養です。人間に魔力が宿ることがそもそも稀ですが、そもそも人間の魔力だけでは、魔術は行使できないんです。精霊の力なくして魔術は成立しません」

それはご存知ですよね?、とダンカはナハに確認した。

「魔術師に求められることは、大きく二つ。魔術の術式……すなわち設計図をどれだけ描けるか、そして、たくさんの精霊と関われるかです。魔術師が学院に通うのは設計図を描く理論のためですし、師匠について学ぶのは精霊に紹介してもらうためといえます」

「へぇ……。そういうものなんだ。じゃあ、所長はその精霊の師匠にたくさん精霊を紹介してもらえるってことかな」

ナハは感心しきりで「所長って、やっぱりすごい人なんですね」とタミアに笑いかけていた。ダンカはやや歯切れが悪いながらも「そうですね」と頷いていた。

「ともかく、クゥがイツカと一緒にいる限り、彼女の最低限の身の安全は保証されていると考えていいはずだ」

「ボクとイツカがなんだって?」

ダンカは後に、リースウェル所長は驚くと固まるタイプだと知って今までより親しみが持てたように思います、と語った。

突然現れたクルスク曰く白いふわふわ君こと、行方不明のイツカと一緒に居ると思われていたフェイの魔術の師匠である精霊のクゥであった。クゥはフェイの座るソファの横でこてりと首を傾げていた。

いち早くクゥに話し掛けたのは、ナハであった。

「こんにちは。あなたが所長のお師匠さまですか?」

「そうだよ、お嬢さん」

「ふふ。わたしはナハです。よろしく」

「お師匠さんは、お菓子を召し上がりますか?」

タミアはそっと焼き菓子をクゥに差し出した。

「やった。ありがとう。おねえさん!」

「あらまぁ。ふふ。タミアといいます。たくさん食べてね」

クゥは前肢で器用にクッキーを取ると、さくり、と音を立てて頬張った。ラングドンがそっとティーカップをクゥの前に置いた。

ダンカはクゥがラングドンにお礼を言うのを見て「あ、あり得ない……精霊が、ヒースラント語を喋るなんて」と、信じられないものを見たと唇を戦慄かせた。

「……ボク、気が向いた時にしか、喋らないからね」とクゥは紅茶を嗜みながら言葉を返した。

「<来る人>の言語ではなく、われわれの言語を話す精霊……」イータは独り言を言いながら考えているようだ。

ササラとヤハマは何も語らなかったが、クゥが───精霊が異種族感との意思伝達に共通語として用いている<来る人>の言語ではなく、自分達と同じ言語を話したことに驚いていた。

「クゥだったかしら?あなたイツカと一緒ではなかったの?」クルスクは胡乱としてクゥを睨んだ。

「……日差しが強くなってきたから、日陰で休んでいてとイツカが言ってね。心配してくれた気持ちを尊重しようと思ったんだよ。少し日陰で涼んでいたら、居なくなっていた」

「クゥさんは、イツカさんの居場所はわかりますか?」

ディアの問いにクゥはゆるゆると首を降った。

「イツカの気配は作業していた地点で途絶えていて、追跡できなかった」

がこっとソファが大きく揺れた。フェイが跳ね上がるように立ち上がったのだ。

フェイはソファの横に膝をつくと、クゥに目線を合わせた。

「師匠でも、イツカの居場所はわからない、ということですか?」

「そうだ」

クゥはフェイの縋るような眼差しを、見返しながらも淡々と述べた。

呆然としたまま微動だにしないフェイを見て、ロビー内の職員たちの空気が重くなった。

こほんと纏わりつくような空気を変えるように咳払いをして「では、イツカ嬢の捜索は余所にも協力を願う方がよさそうですな」と、ヤハマが切り出した。

「一区画走って、となりの宮廷騎士団と宮廷魔術師団に捜索頼みましょうか?」

ナハが小さく挙手をして提案する。

「その前に第一王子殿下の耳に入れるか、第一王子の騎士団のゴーシェさんに知らせたほうがいいのではないかしら?」

タミアが心配そうに付け加えた。

「そうね。王子の面子もあるし、先に側近のゴーシェに連絡したほうがよいと思うわ」

クルスクがタミアに賛同した。

「ならば私が行ってこよう。私が騎士団区画に立ち入るのはよくあることだから、勝手もわかる。ゴーシェと殿下に報告に言ったあと、騎士団にも話しも通そう」

ラングドンが「それで構わないか?」とフェイに確認をとった。ラングドンはもともと宮廷騎士団に勤めていて、第一王子の剣の指南役もしていた。怪我を機に騎士団を脱退して、第一王子の紹介で薬草園の守衛をしているのだ。最前線で戦うことは出来ないが、今も、剣の指導を請われて騎士団によく顔を出していた。

「では、ラングドン。ゴーシェに伝えてくださいますか?」

フェイはハッと我に返ると、ラングドンに自分からも幾つかの指示を出した。


◇◇◇◇

ゴーシェに報告に行くラングドンを見送ったあと、職員たちはテーブルの片付けを始めた。

「……にしても、イツカの気配が途絶えたとは妙な表現じゃない?」

そのあたり詳しく教えてほしいわ、とクルスクはラングドンのお気に入りの茶器を片付けながら、クゥに問いかけた。

「それは、わたくしも気になっておりました」ディアは盆に小皿や小鉢を回収する手をとめて、クルスクに賛同した。

「それよりも!精霊が、ヒースラント王国語を、話していることが気になるよ」イータは台拭きを握りしめてクゥに目線を合わせた。ダンカが片付けをサボるな、とクゥの眼前に迫るイータを回収した。

「ま、ボクは優秀だからね」ふふん、とクゥはふさふさした柔らかな毛並みを輝かせた。

「……問題はイツカだよ」

先程から思い詰めた表情をしていたフェイが低い声を出した。

「イツカは今、わたしたちが探せないところにいるということだ」

「所長?」ダンカが心配そうに、フェイに声を掛けた。

「……イツカが助けを求めてくれたら、まだやりようはあるんだけどね」

フェイは、どうしたものかな、と言いながら立ち上がった。そうして休憩スペースを片付け終えた職員たちに指示を出した。

「ラングドンが戻り次第、もう一度イツカを捜します。それまでに抱えている仕事に区切りをつけてください。イツカ捜索の後、直帰できる仕度をしてください。なお、書類の締め切りは伸ばしません。それでは、1時間後に集合です。解散!」

職員たちは返事をして一度、仕事の整理をしに戻っていった。

フェイは職員たちを見送ってから、小さな声で「イツカは、まずギリギリまで努力してからでないと、助けてって言わないんだろうなぁ……」とぼやいたのだった。

ロビーの休憩スペースに残ったクゥだけが、フェイの小さなぼやきを大層興味深そうに聴いていたのだった。

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