第5話
離宮では第一王子が<来る人>の到着を待っていた。
「ようこそ、ヒースラント王国へ。私はルーゼ。この国の第一王子だ。あなたの後見人だよ」
両腕を拡げてイツカに歓迎の意を表するルーゼ王子を見て、イツカはフェイにか抱えられたまま首を傾げた。
『……お昼にお逢いしまし、た?』
『そうなの?』
フェイはイツカを見た。イツカは『顔が近いです……』と驚いたようで身じろぎをしたが、フェイが下ろしてくれないので質問に答えはじめた。
『わたしがこちらの世界に来たとき……気がついたらステンドグラスが綺麗な建物の中に立っていたんです。そえしたらあの方を先頭にした一団がいらっしゃって……でも、わたしには言葉がわからなかったんです。それで、何か揉めていらっしゃる様でしたし、それくらいならクゥさんについて散歩をしたいなぁって』
いくらなんでもちょっと向こう見ずでしたね、とイツカは笑った。
「し、師匠……」
フェイはイツカの話を聞いてクゥを見たが、クゥはツンと澄ました顔をするばかりだ。イツカはクゥを見ては『ほんとに、クゥさんは可愛いですねぇ……』とほわほわと笑っていた。
「あー、フェイ。いいか?」
ゴーシェが咳払いをしながら、フェイの空いている肩を叩いた。
「なに?」
「とりあえず、イツカに椅子を用意したから、イツカをそちらに。抱えたままじゃ手当てもできん。あと、殿下に報告と紹介!」
「あぁ、そうか。ゴーシェ、ありがとう」
フェイは抱えていたイツカを椅子に降ろして、彼女に『ここに座って待っていて。怪我の手当てをするから』と伝えた。椅子に腰かけたイツカの肩に、クゥが跳び乗る。
ルーゼ王子は一連のようすを興味深そうに観察していた。ルーゼ王子は部屋にいた女官に、イツカの手当てをするように指示した。女官は救急箱を手にイツカに微笑みかけた。イツカは反射体にお辞儀をして『ありがとうございます』と口にしてから「にゃりがとうござぃす」と女官に伝えた。イツカは握りしめていた花束と鞄を膝に置いた。
フェイがルーゼ王子に向き直ったところで、声が掛かった。
「昼過ぎに宮廷の聖堂に出現したのを察知して迎えに行ったのだけれど、目を離したら居なくなってしまってね。肝が冷えたよ。見つけて連れてきてくれてありがとう、フェイ」
フェイはルーゼ王子に礼を執って報告しはじめた。
「ありがとうございます。ただ、街で彼女を見つけたのは私ではありません。彼女を街で見つけたのは、中洲の歓楽街の顔役の花屋です。その時には彼女の肩の上に彼の精霊が居たとのことです。私は彼女の後見人に、殿下を推薦し彼女をはじめ花屋およひ精霊に承諾を得たので宮廷に連れてきた次第です」
「花屋と精霊の要求は?」
「花屋は王子の予め提示していた褒賞を受取ることが出きれば良い、とのことでした。彼の精霊はイツカと共にあることを希望しています」
「そう」
ルーゼ王子はフェイの話に耳を傾け、ゆっくりと頷いた。
「いいよ。褒賞は花屋に渡そう。精霊の件は……しばらく様子見。他に伝達事項はあるかな?」
「イツカは元の世界に帰ることを希望しています」
「そうなんだ」
ルーゼ王子は女官に手当てを受けているイツカを見遣った。
「それで?」
「はい。彼女の帰還が叶うまで、言語面で不自由があることが予想されます。イツカに伝来の耳飾りの貸与をお願いいたします」
「王家伝来の耳飾りね……」
かつて稀代の天才が作った再現不可能な魔術具のひとつ。その大天才が製作した、ありとあらゆる言語を翻訳することができる<ききなしの耳飾り>はヒースラント王国の王家伝来の宝物のひとつだ。<ききなしの耳飾り>はこれまでにも、王家が後見となった<来る人>へ貸与された実例があった。
フェイがイツカの後見を第一王子に依頼することに拘った理由はこの<ききなしの耳飾り>にあった。<ききなしの耳飾り>を貸与してもらい、イツカの言語面での不自由さを取り除こうとしたのだ。もとの世界にイツカが帰りたいと希望するならば、このリースラントの言葉を覚えてしまうことはもとの世界に戻る枷になってしまうからだ。
「イツカに<ききなしの耳飾り>を貸与することはできない」
「……理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「<ききなしの耳飾り>は、本日保護された<来る人>に貸与されているからだ」
「……イツカは耳飾りをしていません」
「そうだね」
フェイはルーゼ王子をひたと見た。
「過去、<来る人>が同日に出現した記録はない。……記録はないが、あり得ないことではなかったということだ」
「イツカの他にこの国に<来る人>が現れた、と?」
「そういうことだ。我々がイツカを発見したのとほぼ同時刻、第二王子と第一王女がそれぞれ<来る人>を保護している。……わたしがその報告を受けている間にイツカが消えてしまってね。フェイが連れてきてくれて助かったよ」
ルーゼ王子はふっと眉根を寄せ目を伏せた。
「……<ききなしの耳飾り>はひとつ、ですよね?」
「ああ、第二王子が後見になった<来る人>に貸与されたよ。こちらの暮らしを見てから、今後の身の振り方を決めたいそうだ」
ルーゼ王子は「まあ、懸命な受け答えだよね」と笑った。
「第一王女が後見となった<来る人>は早々にこちらへ永住することを希望してね。<耳飾り>については辞退するそうだ。なんとも頼もしい御仁だったよ」
フェイは新しい情報に目を白黒させるばかりであった。
「……で、では、イツカは」
「うん。ちょっと良くない風が吹いているね。わたしが見つけたときにすぐに保護できていれば違ったんだろうけれど……」
リースラント王国で、良くない風が吹く、と言えば悪い噂が立っているという意味だ。
フェイはルーゼ王子の近くに控えるゴーシェを見た。ゴーシェは、苦い顔をして首を横に振った。
部屋の重たい空気を割るように、カチリ、と音がした。イツカの手当てをしていた女官が、救急箱の蓋をわざと音を立てて閉めたようだ。女官はルーゼ王子に向かって深く礼をした。女官はイツカの抱えていた花束を預かると、一度退席した。
「手当てが終わったみたいだね」
ルーゼ王子はイツカに微笑みかけた。イツカはルーゼ王子の微笑みにカチリと固まってしまった。イツカの耳の赤さがフェイの目にとまった。
「クゥ~」
イツカの膝にクゥが跳び乗って甘えた声を出した。イツカはハッとしたようにクゥを見て、そっとクゥに手を近づけた。クゥがイツカの掌に頭を擦り付けると、イツカはゆっくりと息を吐き出した。イツカはクゥの頭をゆっくり撫で、反対の手でフェイから預かった包みの形を確かめていた。
「うーん……。これは、イツカに嫌われちゃったかなあ?」
さっきも歓迎のハグを拒否されてしまったし、とルーゼ王子はフェイに話し掛けた。
「フェイ。イツカに話がある。通訳を任せるよ」
「はい」
フェイはルーゼ王子に頷くと椅子に座るイツカに視線を合わせた。
『イツカ、改めて紹介をします。こちらが、リースラント王国の第一王子ルーゼ殿下です。イツカの後見人となります』
イツカは『王子様……』と呟くと、殿下に深く礼をした。
『そうです。イツカに殿下からお話があるそうです。わたしが通訳をしますね』
『よろしくお願いします、フェイさん。……それと、手当てをしてくださったことへのお礼も合わせてお伝えくださいますか?もちろん、後見人を引き受けてくださったことのお礼も伝えたいのです』
『わかりました。話の途中で質問があれば、知らせてくださいね』
『はい。ありがとうございます』
フェイはイツカのお礼をルーゼ王子に伝えた。
ルーゼ王子は「どういたしまして」とイツカに微笑んだ。
「イツカ。まず、あなたがもとの世界に帰りたいということについてはフェイから聞いたよ。あなたの希望が通るよう私も後見人として、できる限りのことはしよう。滞在中の衣食住については、こちらで支援する。この部屋を使ってくれ。離宮で滞在する間は、彼女が世話してくれるから心配しなくていいよ」
ルーゼ王子は、イツカの足の怪我の手当てをしてくれていた女官を示した。退室していた女官はいつの間にか戻ってきており、壁際に控えていた。女官の近くの壺に、イツカから預かった花が生けられていた。女官は王子に示され、すっと一歩前に出て美しい礼をした。
「彼女はリリーネ。<人魚の祝福>があって声がでないんだ。でもね、リリーネはまわりをよ見ているし察しがよいからね。イツカに必要なことを、先回りして手伝ってくれるよ」
ルーゼ王子はリリーネにウィンクをしたが、リリーネは素知らぬ顔のままであった。
「言語面でのサポートにはフェイをつけよう。私に用事や相談があるときはゴーシェに伝えてくれ。ゴーシェとフェイは、必ずこちらに日に一度は顔を出すからね」
ルーゼ王子はイツカに話ながらゴーシェとフェイにも目配せをした。
「もちろん、私もあなたの後見人として、顔を見に来るからね。私にこの離宮で過ごした感想や、もとの世界の話を聞かせくれるとうれしいな」
ルーゼ王子はイツカにウインクをした。
「ここまでで何か質問はあるかな?要望でもいいけれど」
ルーゼ王子の話をフェイの通訳によって聞いていたイツカは『そうですね……』と考え込んでいた。
『あの、できるならば何かわたくしにできることはありませんか?わたくしはあくまで、日本に帰ることを希望します。ですが、お世話になる以上、わたくしに返せるものがあるならば働いて返したいのです』
イツカはルーゼ王子の目をしっかりと見て『仕事を分けていただけませんか』と伝えた。
「仕事を分けてほしい、ね。働かせてください、でもなく、自分の出来ることを主張するでもなく、分けてほしいとは。慎ましい……というべきか、かえって図々しいと表するべきか悩むところだね」
フェイの通訳を聞いて、ルーゼ王子は「イツカは面白いね。イツカにとっては、仕事というのはみんなでシェアするものなんだね」と笑った。
「よろしい。では、こうしようじゃあないか!イツカ、君には私が預かっている薬草園の圃場以外の整備を任せよう。つまり、雑用係なんだけど。それでもいいかな?」
「殿下!それは……っ」
「フェイ。薬草園の歩道や施設の管理維持に人員が欲しい、と溢していたよね?」
ルーゼ王子は思わず声をあげたフェイに、目配せをして反論を黙殺すると、早くイツカに伝えるように指示した。
「フェイ、君を責任者にした薬草園ならば、イツカの言語面でのサポートもしやすいだろう?離宮からも距離的に近いし、なんの不足がある?」
ルーゼ王子はこれは訳さなくていいのだけれどね、と前置きをしてフェイに話し掛けた。
「なにより、彼女はじっとしていられるタイプではないしね。また、いつの間にか何処かへいなくなってしまうかもしれないだろう?私が後見人になるのだからね。もとの世界に帰ったわけでもなく、所在不明は困るからね。仕事をするという名目で、行動を共にして貰ったほうがこちらとしても助かるんだよね」
ルーゼ王子は、わかるね?とフェイに念押しをした。
フェイは是と応えて、イツカに向き直った。
『イツカ。イツカは草刈りや整理整頓、掃除は得意ですか?』
『……やればできる、くらいです。ですが、仕事ならば精一杯、努めます』
『ルーゼ王子は、薬草園の雑用……歩道の草刈りや書類の整理、建物の掃除をする仕事をしないか、と言っています。宮廷の薬草園はこの離宮から近くにありますし、私の職場でもありますから丁度よいだろう……と』
『薬草園!見てみたいです』
フェイはイツカの楽しそうな笑みをその時初めて見た気がした。
『……いつかは、薬草園に興味があるのですか?』
『薬草園、といいますか、植物が好きで……。季節の植物をスマホのカメラで撮るのがささやかな趣味だったんです』
『すまほのかめら……』
『あ、えーと……写真は、この世界にありますか?』
『写真……北方の帝国へ行った際に見たことがあります』
『そうですか。わたしは植物が好きで、たまに写真を撮っていたんです。植物園も好きで、よく出掛けていました』
『そう……ですか』
『ええ。薬草園で仕事が出きるなんて、とても嬉しいです。ぜひ、やらせてください』
「イツカはやる気みたいだし、決まりだね」
ルーゼ王子はフェイとイツカの様子を見て決定を下すと「でも、怪我が治るまでは大人しくしていてね」とイツカに念押しをした。
「もう遅い時間だし、今日はここまでかな」とルーゼ王子は話を締め括ると「また、明日様子を見に来るからね」と部屋を出ていった。
ルーゼ王子とお付きの人たちが退室すると、部屋に残ったのはイツカとその膝にのるクゥ、女官のリリーネ、そしてフェイとゴーシェだった。
イツカはルーゼ王子が退室したあとも、ぼんやりと部屋を眺めていた。
『イツカ?』
フェイに名前を呼ばれて、イツカは緩慢とフェイを見た。
イツカはフェイに何かを伝えようとしたのか、口をはくりと開けたが、音にすることはせず俯いた。イツカは改めて、フェイを見て部屋に残った、ゴーシェとクゥ、リリーネを順に見つめると『お世話になります』と頭を下げた。
イツカは顔を上げるとフェイを見て、安心したようにそっと息をついた。
『ありがとうございます。……フェイさんに見つけていただけて、助かりました。お手数おかけしますが、今後ともよろしくお願いします』
『できる限り協力するよ。よろしくね、イツカ』
フェイはイツカの気の抜けたような微笑みをみて、腹の中の芽がむずむずと根を伸ばしたような座りの悪さを感じながら言葉を返した。フェイは何故か居心地が悪くて、部屋を辞するとイツカに告げた。小間物屋で買った、包みがやけに重たいとフェイは感じていた。
「……ェイ!フェイったら!」
フェイはぐっと肩を掴まれて、振り返った。肩を掴んでいたのはゴーシェであった。
「ゴーシェ?どうかしたの?」
「どうかしたの、じゃない。フェイ、大丈夫か?さっきから話し掛けても返事もしないじゃないか」
「そう……だったかな?」
「そうなんだよ」
まったく……とゴーシェは首を振った。
退室したあと、離宮の外へ向かおうと歩きはじめたことは覚えがあったが、判然としなかった。まだ、フェイは離宮の中だった。第一王子の離宮は設計者曰く、<来る人>のいうモダニズムを取り入れた洋館で、デザインや建築技法は斬新でありながらこの国本来の様式に溶け合うようにつくられていた。廊下に並ぶ設えに、素朴な焼き物と流麗な猫足のキャビネットが同居していて違和感がないのがこの離宮の良いところであった。
「ゴーシェは、僕に用事?」
フェイは離宮の調度品に飛ばしていた意識をゴーシェに戻すと、改めて用件を尋ねた。
「……殿下が今後の方針について、フェイに確認しておきたいことがあるとお呼びだ」
ゴーシェはフェイをルーゼ王子の書斎へと案内した。
離宮にはルーゼ王子の書斎があり、書架が壁一面に並びそしてその書架の9割が埋まっていた。部屋には椅子が一脚と王子が使うには簡素な机が一つあるのみだった。ここの部屋はルーゼ王子が私的に蒐集した図書が納められているのだ。ルーゼ王子は読書家として知られていた。
「思ったより速く来たね」
ルーゼ王子は広げていた図書を書棚に戻すと、フェイに向き直った。
「なんだったら、日を跨ぐかな~くらいは思っていたけれど」
ルーゼ王子はにやにやとフェイをつついた。
「ご用件を御伺いします」
「つれないなぁ…」とルーゼ王子は唇を尖らせて笑った。ルーゼ王子は大袈裟にしょうがないなあ、と肩をすくめると話を切り出した。
「話というのはイツカのことだ」
ルーゼ王子は、口調一つで場の空気を引き締めた。
「先程もすこし話したが……。今までになかったことが起きている。<来る人>が同日に同じ国で3人保護された。そもそも同日に<来る人>が保護されたという例がないんだ。巫女の予言にもその事象は踏まえられていなかった、と考えるのが妥当だろう。……そうなると神殿側としても予言の精度を問われる事態も考えられる。神殿や巫女の威信に傷が付くのは避けたいだろうから、予言の解釈の問題にするとは思うけれど……注視しておくひつようがある。<来る人>をリースラント王国の占有している状態というのは、他国や精霊たちとのバランスの問題もあるから望ましいとは言えない」
ルーゼ王子はフェイに一歩近づき声を潜めて続きを話した。
「イツカは一度わたしのもとから"逃げた"と、すでに噂になってしまってね。なにしろ弟妹に保護された<来る人>たちは早々に立場を決めてしまったからね。イツカは少々苦しい立場になってしまった」
リリーネだけでなくゴーシェにもイツカのフォローを頼んだのはイツカへのわたしなりのお詫びなんだよ、とルーゼ王子は目を伏せた。
「でも、彼女が仕事を望んでくれたからね。フェイ。これは彼女にとっても、わたしを支持してくれる皆にとってもよい機会だ。わたしが保護した<来る人>はよい兆しであると思わせなくてはならない」
ルーゼ王子はフェイとゴーシェにイツカをよくよく見ておくように、と言いつけた。
「イツカには3日後からフェイの薬草園での仕事をしてもらう」
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