第4話 市政
竣工式後の両都市の市政はアポロンはクノス社が中心になって、アルテミスは大手コンピューターメーカーのランバート社が中心になって準備を進めていた。
アポロンの市長はクノス社の副社長を長年務めてきたバーノン・スミスが、アルテミスの市長には技術部門のトップのモーリス・ムーアが就任した。
双方とも任期は5年、一応地球本社の紐付きではあったが距離があるので本社サイドに影響されることはなく市長のカラーがそのまま両都市のカラーとなっていって行くことになる。
まず、アルテミスの市政は市長のムーアとランバート社以外の各企業の代表者達からなる議員達によって執り行われていた。
月都市の立ち上げにあたり各企業の抱える仕事量は膨大であり行政をまとめる市議会の業務は後回し先送りが常となり、必用な法整備はほとんどがムーアが発案決定することとなってしまっていた。
もし、ムーアが悪意に満ちて自分の有利な方向へと導いていくように意図的に図れば、きっと瞬く間にアルテミスの歴史は終わりを告げたに違いない。
ところが、ムーアは合理的な思考を何よりも重んじる人間で施策がどんなに自分に有利なことがわかっていても合理的でないと判断すればその施策を採用することはしなかった。
そして他の議員達の意見が利己的であると感じた場合には彼は躊躇することなくそれを指摘し取り下げさせた。彼はそのような事についてとても頑固で純粋あった。
アルテミスの行政施策で最初に議論されたのは、交易の事であった。ランバート社とクノス社が中心となって資金は投入されてはいるがそれだけに頼っていては早々に破綻してしまう。
まず第一優先で観光産業に力を入れるべく都市の一角にそこだけ地上に出ている構造で展望台まで備え付けた建造物の建築を承認した。
月の都市は隕石や宇宙放射線から市民を守るため、ほとんどが地中に建設されているのだが、観光客向けに直径10メートルのドーム状の建造物のフレームに厚さ50センチメートルの多層構造の石英ガラスを取り付けた展望台を建設するよう指示した。この建設費用はとてつもなく高く、その費用をランバート社に承認させることはムーアにとっても並大抵の困難さではなかったが粘り強くランバート社の重役達を説得し承認を得ることに成功した。
さらにまだ時期尚早と誰もが考える月と地球間の定期便の建造にもすぐに取り掛かる指示を出したのである。
まだ、十分に都市の通常の運用ができるところまでいってないにも関わらず、そのような大きな事業を追加するのは無茶であると彼以外の誰もが反対の声を上げたのだが、それが月都市を将来に渡って存続させるのには必要な事だと頑と他者の意見を聞き入れず議員達を説き伏せ自らが率先して二つの事業の指揮を執っていたのである。
他の議員達も、ムーアが展望台の資金提供をランバート社に認めさせたこともあって反対の声は時を経るにつれて小さくなっていった。
もし、この施策がなかったらどうなっていたのかは知るすべもないが少なくとも都市の人々はもっとゆっくりと眠ることができたに違いないが、それと共に月都市での生活は限りなく短いものになったであろう。とにもかくにもただでさえ仕事が立て込んでいる中に大きな事業が二つも追加になりあちこちから不満の声が上がりつつもアルテミスの建設は着実に進みつつあった。
だが、明らかに許容量オーバーの労働状態の中、不満の声は次第に増えて行っていた。
過負荷の状態は必ずトラブルに繋がる。
長時間労働による疲労で至る所でミスが起き、ミスに対処する為にまた時間を費やす。
解決策として追加の技術者の募集は随時行うようにはなっていたのだが、新しい人材を投入しても彼らが慣れて戦力になるまでには月単位の時間が必要になる。
前任者達は自分達の仕事をこなしつつ新たなメンバーの指導をし、またリカバーをするためにさらに労働時間を増やす羽目に陥いっていわゆるデスマーチ状態になっていた。
このように収益を得るための仕組み作りを進めて行っている中、並行して大切なのが治安についての体制作りであった。
無理な仕事が人に失敗をもたらし、失敗は人の心を壊す。人と人の衝突と妬み嫉妬、様々な人の心情の果てに人が人を精神的に追い詰め、果てに破壊的行為を起こしてしまう者が出てくる。
月で最初の殺人事件はアルテミスの建設会社で起きた。
それは上司の執拗ないじめに対する部下の報復であった。
最初から無理な内容のシステム開発を何の解決策もないまま進めたことで、その建設会社の最初のプロジェクトはあっという間に破綻することとなってしまった。その大きな原因はプロジェクトの責任者にあったのだが、責任者のアリソン・ペインはプロジェクト破綻の責任を負わされる事を回避するために最もおとなしい担当者エディ・グッドオールに全てをなすりつけ、そのうえ毎日のように皆の前で罵倒し物を投げつけたり不要な資料作成を何度も何度もやり直しさせた。
そんないじめが3ヶ月程続いたある日、ペインはオフィスで例によってエディを罵倒している最中に皆の前でエディにペーパーナイフで刺殺された。
あちこちで悲鳴が上がる中、男性社員の何人かがエディを取り囲みナイフを取り上げ、他の一人がトラブルダイアルに連絡をした。
このような場合どこでも警察に連絡するのだが実は月ではまだ警察という機構が確立しておらずなんらかのトラブルが発生した場合は行政庁のトラブルダイアルに連絡するようになっている。そんな状態なので連絡を受けても動ける要員が圧倒的に不足しており事件が発生しても現場に駆け付けるのは翌日とかになってしまうこともざらである。
ムーアもスミスも手をこまねいているわけではなく警察機構の整備を急いではいたが、特にムーアには警察の有り方に対してある思いがあって慎重に警察の人選を行っていたのである。その思いとはどこの国家の警察機構でもあったように縄張り意識を持たさない、偏見や先入観を持たない、また権力に左右されない組織を作り上げることであった。
既にそんな組織をかつて作り上げた地球のある国家の警察組織のリーダーを招へいして組織の基礎を作り上げる段取りを進めていたのだったが、日々上がって来る事件の報告に対応の遅れを痛感し、暫定ではあるが臨時の警察省長に議員の一人であるリチャード・オコンネルを任命し事態の収拾を命じた。
しかし、そのことが後々のトラブルの火種となることはムーアにはその時想像する術はなかった。
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