ヤンデレの恩返し【読み切り版】

風凛咏

読み切り版

「恩返しに来ました!」


 俺が玄関を開けると、彼女は第一声にそんなことを言った。


 冬が深まる一月下旬、真っ白な雪が降り積もる日だ。

 雪と真逆の色をした、真っ黒な彼女が玄関に立っていた。




 ――いったいこの子は誰なんだ?


 勢いに押されて家に上げてしまったが、見知らぬ女の子が家にいる。

 幸い、理由わけあって一人暮らしをしているため問題ないが、ここが実家ならと思うと冷や汗を垂らしてしまう。


「どうしました?」


「い、いや、何でも」


 女の子は不思議そうに俺の顔を覗き込む。

 その仕草にドキッとしてしまうが、この感情は下心から来るものではない。

 確かに女の子は可愛く、高嶺の花……と言うよりも黒薔薇のような子ではあるが、ややミステリアスな雰囲気と突然の出来事に恐怖の方が勝っていた。


 女の子はいわゆる地雷系と呼ばれる部類だろう。

 メイクは目元が濃く、まるで泣き腫らした後のような目をしている。

 それに服装も姫系と言うのだろうか、フリフリとしていた黒を基調としているドレスのような服だ。


 それもあって、黒薔薇と言えるような、綺麗でも触ると危険な雰囲気の女の子だった。


「あのさ、恩返しって言ってたけど、俺何かしたっけ?」


 そう尋ねると、女の子は不機嫌そうな表情になっている。


「思い出してください」


 頬を膨らませる彼女は可愛い。

 ただ、めんどくさい。


「名前とか聞いても……?」


「いいですけど、思い出せないと思いますよ? ……私は月影咲夜と言います」


 聞いたことのない名前だった。


 彼女の言うように名前で思い出せないと言うのなら、どこかで偶然出会って何かをしたという線が濃厚だ。

 そのが一切思い出せないのだから。

 咲夜のように可愛い子なら、もし初対面でも目を惹くはずだ。それなのに覚えていないのだから、謎が深まるばかりだった。


 とりあえず、咲夜の正体はいったん置いておき、俺は話を進める。


「恩返しって言ったけど、何をするつもりなの?」


 俺がそう問いかけると、咲夜は嬉しそうに口角を上げ、にっこりと笑った。


「もちろん、住み込みで遥人さんのお世話をさせていただきます」


「……え?」


 色々ツッコみたいところが多い。

 しかし、咲夜の言葉に俺は言葉を失っていた。




 俺は宮野遥人。高校二年生だ。

 突然押しかけて来た女の子の月影咲夜を、最初は何とか帰らそうとした。

 咲夜は無理やりいついてしまったため同居することになったのだが……、


 ――めちゃくちゃ快適だ!


 数日一緒に過ごしてわかったのだが、咲夜は家事が万能だ。

 恩返しと言うだけあって身の回りのことをしてくれる。

 正体が不明なことを除けば、俺の生活は一気に快適になっていて、咲夜が家に住み着いたのも案外悪くないと思い始めていた。


「今日のご飯はハンバーグですよ」


「おぉ……、やった」


 男心を掴むような肉汁たっぷりのハンバーグに、俺は心を躍らせる。

 それでいて野菜も添えられていて栄養バランスを考えていた。


 俺はご飯を食べ進めながら、一緒に過ごすうちに気になったことをいくつか聞いた。


「そういえば咲夜って、同い年くらいだよね? 学校はどうしてるんだ?」


「遥人さんの一つ年下ですよ。学校は通信制の高校に行ってるので、日曜日と火曜日だけ学校に行きます。昼前とかですけど」


 咲夜は自分のことを聞かれるのを嫌うため年齢も知らなかった。


 ただ、ここで二つの疑問が新たに湧き出てきた。


「……何で俺の名前とか年齢知ってるんだ?」


「それは内緒です」


 咲夜はいい笑顔でそう言った。

 自分で考えるにしても、限度がある。咲夜のことは何も知らないのだ。


「……じゃあ、昼前に学校に行く咲夜と俺が出会う機会なんてないんじゃないか、ってことも教えてくれないよね?」


「当然です。答えたら色々わかっちゃうかもなので」


 そうなってくると増々わからない。


 俺は平日の朝に学校に行く高校二年生で、咲夜は週に二回だけ昼前に学校に行く通信制の高校一年生。

 学校が違えば年齢まで違い、生活リズムだって違う。


「そもそも恩返しをする相手自体が人違い……ってことはない?」


「ないですよ。ちゃんと確証はありますから」


 ――確証って何なんだ……。


 俺の知らないところで、咲夜は俺のことを色々と知っているらしい。


「一つだけ教えてあげます」


 咲夜は続ける。


「私、遥人さんのこと好きです」


 突然の告白に、俺は声が出なかった。


「何をされても拒まないですから、好きにしてくれていいですよ」


 真っ白な透き通るような肌の咲夜の頬が赤く染まる。

 俺はそんな咲夜に目を奪われ、生唾を飲み込んだ。


 吸い込まれるような瞳。黒く艶やかな髪と対になるような白い肌。それに抱きしめたら今にも折れてしまいそうなほど、細いボディライン。

 そんな咲夜に俺は魅了されていた。


 しかし、箸の落ちる音で俺は正気を取り戻す。

 無意識のうちにてから零れ落ちていたのだ。




 俺たち二人生活は続いていく。

 ただ、しばらくしても咲夜の謎はわからない。

 咲夜はよく俺の話を聞くが、咲夜自身の話はしない。

 俺の家にいて親は何も言わないのかという疑問もあるが、実際何も言われていないようなのでいいのだろう。


 咲夜の目的がわからない。


 そんな今日は日曜日。

 咲夜が学校に行っていて、家にいない日だった。


「咲夜の持ち物……を探るのはよくないよな」


 咲夜は家に来た時、スーツケースを一つだけ持ってきた。

 パッと見ただけだが中には服が入っていた。細かいもので手掛かりになるものがあるかと考えたが、勝手に漁るのは気が引ける。いくら急に押しかけてきたへんな女の子でも、女の子の荷物なのだ。


 ――まあ、下着とか気にしてほしいけど。


 俺はチラッと洗濯物に目を向ける。

 一日過ごせば当然着替えは出てくるため、咲夜は二人分の服を洗濯してくれていた。

 その洗濯物には当然下着が混ざっており、俺はできるだけ見ないようにしていた。気になる年頃だが、罪悪感から見ることを避けていた。


 しかし、下着を見たことで一つだけ気が付いてしまった。


 俺は咲夜が学校から帰ってくるとさっそく尋ねた。


「咲夜って、去年に会ったことあるよね?」


「もしかして、思い出しました?」


「うん。……って言っても、ハンカチ拾ったことくらいだけど」


 咲夜のことは覚えていない……と言うよりも、当時の咲夜は全然違う見た目をしていた。地味な見た目で今とは似ても似つかない。


「もう一年前くらいだっけ?」


「そうですね。私は受験に向かう前の受験生でした」


「その時に、黒いバラの刺繍が入ったハンカチを拾ったのが出会ったきっかけ……でよかった?」


「はい」


 思い出したのは特徴的なハンカチを見たからだ。

 下着と一緒に、洗濯物の中にはハンカチが干されていた。

 それを見て、俺はようやく思い出すことができた。


「ただ、それ以外好きになってもらう理由もわからないんだよ。ハンカチを拾っただけだよね?」


「それだけでも、十分な理由じゃないですか?」


「だからって、ここまで恩を返す理由になるのかなって……」


「私にとっては十分な理由です。このハンカチは大切なものですから」


 大切なハンカチだということはわかった。

 咲夜にとっては十分な理由なのだとも。


 それでもやはり、しっくりと来ない。


「それで、俺のことを好きになったの?」


「はい、ダメですか?」


「ダメって言うか……、わからないんだよ。感謝されて恩返しも行き過ぎとはいえまだわかる。ただ、好きになるほどなの?」


「……好きなんですよぉ」


 俺は背筋が凍る。

 咲夜の雰囲気が一気に変わった。


「好きで好きで好きで好きで……、ずっと遥人さんのことを忘れられませんでした。ダメですか? 私は必要ないですか? なんでそんなこと言うんですか? 遥人さんの幸せ以外、私は何もいらない。ただ遥人さんが幸せなことが私にとっての幸せなんです」


 なんとなくわかってしまった。

 理由は些細なものでもいい。理屈なんて通じない。きっかけもほんの少しのスパイスで構わない。

 咲夜は常識外れのヤンデレなのだ。

 そのことに俺は気が付いてしまった。


「遥人さん。遥人さん。私はダメですか? いらない子ですか? 一緒にいないことが遥人さんの幸せなら私は――」


「ま、待って。大丈夫、いてくれていいから。いらない子なんて言ってないし、俺は咲夜と一緒にいたいよ」


「……そうですか」


 咄嗟に出た言葉だが、咲夜は落ち着いてくれたようだ。

 そして俺の言葉はあながち嘘ではなかった。


 ――存外、俺は咲夜との生活が気に入っていた。


 ヤンデレだという新事実は置いておいて……だが。




 結局のところわかったのは出会ったきっかけと、咲夜が俺のことを好きになった理由だけだ。

 いまだにわからないことは多かった。


 それからも咲夜との生活は続く。

 咲夜の暴走はあれ以来なく、穏やかな生活が続いていた。


 そして、咲夜のような可愛い子に好かれているということを改めて実感した俺は、嬉しさを覚えていた。

 献身的に尽くしてくれて、俺のことを支えてくれる。

 そんな咲夜のことが……、


「好きだ」


「……えっ?」


「俺は咲夜のことが好きだ」


 好きになっていた。


 思春期だから単純だということもあるかもしれない。

 それでも俺は咲夜に惹かれている。


「彼女として、俺と一緒にいてほしい」


 彼女なんてできたことがない。

 それでも俺は咲夜のことを大切にしたかった。

 いつもそばにいてくれる咲夜の気持ちに、俺も応えたかった。


 涙に目を浮かべながら、咲夜は笑顔で口を開く。


「……少し、考えさせてください」


 ――なんで?


 即答されると思っていたが、咲夜の答えに俺は戸惑いを隠せなかった。

 しかし、戸惑っていたのは咲夜も同様だった。


「嬉しいです。だからこそ、気持ちの整理ができなくて……。それに、遥人さんからそんなことを言ってくれると思っていませんでしたから」


 笑顔のまま咲夜は告げる。


 一方的な感情だと思っていたら、俺の方から告白したことで気持ちが溢れたのだろう。

 そう解釈した俺は「わかった」とだけ言った。




 その翌日、咲夜は家から姿を消していた。




「ただいま」


 俺が声をかけても返事はない。

 いつもなら玄関に入る前に、咲夜は玄関の前で出迎えてくれる。

 不思議に思った俺は部屋の中を回った。


「咲夜、帰ったよ。咲夜ー?」


 どれだけ声をかけても返事はない。

 それどころか、すべての部屋を回っても、咲夜の姿はなかった。


 この時間なら家にいるはずだ。

 急に押しかけて来た咲夜の連絡先を知らない。咲夜が携帯をいじる姿を見たことがないため、もしかしたら携帯自体持っていないのかもしれない。


 俺は咲夜のことを何も知らないのだ。


 買い物に出かけたのかもしれないとも考えたが、明らかに不自然だ。

 咲夜の荷物が丸々なくなっている。

 リビングに行くと、書置きのメモ用紙が残されていた。


『今までご迷惑をおかけしました。私は遥人さんの前からいなくなります。遥人さんの幸せを願っています。私がいなくなることが、最後の恩返しです』


 俺は胸が焼き切れそうなほど、苦しくなった。


 ――迷惑だなんて思っていない。

 ――このまま幸せになんてなれない。


 ――いなくなることが恩返しなんかじゃない。


 俺は鍵をかけるのも忘れて玄関から飛び出した。


 ――咲夜、咲夜、咲夜、咲夜!


 すでに咲夜に心を奪われていた。

 もしかしたら依存までしてしまっているかもしれない。


 それでも一ヶ月近く一緒に生活をして、俺は咲夜がいない生活が幸せなものになるなんて思えなかった。


「咲夜っ!」


 どうやってたどり着いたのかわからない。

 俺は突き動かされた衝動のままに走っていると、駅のホームに着いていた。


 そして叫んでいた。


「遥人……さん?」


「咲夜! いなくならないでくれ!」


 俺は思いのままに叫ぶ。

 周りから奇異の視線を向けられようとも、構わずに言葉を続けた。


「咲夜と一緒にいるのが俺の幸せなんだ! 咲夜のいない人生なんて考えられない! いなくなることが恩返しなんて言うな!」


 感情的になって涙が溢れてくる。

 それほどまでに、俺は咲夜なしではいられない。


「……なんでですか? 私は遥人さんのことをこんなにも思っているのに。何でそんなことを言うんですか? 私なんかいない方が、遥人さんは幸せになれるんです!」


「そんなことない!」


「あります! わかっています! 私は周りと違うんです! 自分がヤンデレって言われるような人だってわかっています! こんな私と一緒にいると、遥人さんは不幸になります」


 咲夜はわかっていた。

 自分が変わっているということに。


 確かに咲夜は変わっている。

 でも……、


「そんな咲夜だからいいんだ! それに変わってるからなんだ! 人はみんなそれぞれ違うんだよ!」


 人はそれぞれ違う。

 それでも、咲夜は更に特殊ではある。


 ただ、俺にとっては些細なことだ。


「本当にそう思っていますか?」


「ああ、俺だって変わってるよ。俺から離れていく咲夜を追いかけようとしてるんだから」


「……確かにそうですね。でも、何か確かなものが欲しいです」


 咲夜はそう言うと、神妙な面持ちとなる。


 確かなもの。

 まだ高校生の俺にはわからないが、俺のわかる確かなものはこれしかなかった。


「結婚してくれ!」


 つい出た言葉だった。

 それでも、嘘偽りのない本心だった。


「……はい」


 涙ながらに咲夜は返事をする。


「ごめんなさい。こんな面倒な女ですけど、一緒にいてください」


「……ああ、一緒にいるよ」


 電車が到着し、人が入れ替わる。

 そんな波が押し寄せていても、俺たちは駅のホーム……邪魔にならないように避けた場所で佇んでいた。




 俺はこっぴどく叱られた。

 いきなり大声を出し、女の子に詰め寄っているという断片的な情報だけが伝わったようで、駅員の人にストーカー扱いされてしまった。

 咲夜がかばってくれたため、厳重注意だけで済んだが、一つ間違えたら大変なことになっていたかもしれない。

 ……もう二度とこんなことはしないと心に固く誓った。


 ようやく解放され、俺たちは駅から出た。


「一緒に帰ろう。……俺たちの家に」


「……はいっ!」


 俺たちは俺の……俺たちの家に向かう。

 ……手を繋いで。


「あっ、結婚するなら、また私の両親に会ってくださいね?」


「……はい」


 これからのことは前途多難だ。

 そんなことも、実は少しだけ楽しみだったりもしていた。

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ヤンデレの恩返し【読み切り版】 風凛咏 @kazari_furin

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