第2話
車の中で僕たちは他愛もない話をした。彼女はバイト先のガールズバーにやってくるおじさんをおもしろおかしくののしり、僕はサークルの運営がいかにずさんであるかを隅から隅まで告発した。そのあいだ、彼女は僕が口にした「ひどい」の二倍くらいの数の「きもい」を口にした。
話の流れは渓流のごとくとめどなく続いた。会話が途切れてしまうことに二人ともどこか恐怖を感じているかのように思えた。それでもある時点まで来ると、バッテリーが切れたスマートフォンみたいに、言葉のキャッチボールはぴたりと止んでしまった。僕と彼女のどちら側にボールがあるのかもわからなかった。
二人が黙ると、夕闇のとばりが降りるように、ずっしりとした空気のかたまりがのしかかった。そのかたまりはあまりに重く、僕は心臓を圧迫されている感じがしていよいよ口を開けなくなってしまった。
少しでも神経をなだめようと、僕は左手をハンドルから離して、ジャケットのポケットからたばこを取り出して火をつけた。彼女にも勧めると、彼女は丁重に断った。
「ごめんなさい、たばこは吸わないの。あとできれば窓を開けてほしい」
そう言われると僕も気をつかわないわけにはいかなかった。ついたばかりの火を押し消し、運転手側と助手席側の窓を三分の一ほど開けた。
それからまた沈黙が車の中を支配した。さっきのが空気のかたまりだとすれば、今度は水のかたまりと言ってよかった。僕は意識を呼吸に集中させた。ときおり流れるカーナビの無機質な音声がいやに響いている。ふと助手席に目をやると、彼女は窓にもたれかかるようにして目を閉じていた。本当に寝ているのかあるいは寝たふりをしているのかは判別できなかった。しかしいずれにせよそれは僕をとても楽にさせてくれた。
変わり映えしない景色の高速道路を走っていると、断片的な記憶たちが泡のように浮かんでくる。運転に気を配りつつ、僕はそれらを素直に受け入れる。どれだけ昔のことでも思いを馳せることはできるが、明日のこと、いや、今日これからのことさえ恐ろしく、とても考えることはできなかった。未来は希望に満ちていて、過去は後悔に満ちている、と人がいうのを聞いたことがあるが、あれは嘘だ。いつだって未来は僕を不安にさせ、過去は僕を慰めてくれる。
先生の青ざめた表情。罵倒の嵐。その中に垣間見える不安と恐怖。たぶん、当時の僕は現実というものをきちんとは理解できていなかったと思う。いや、今だってどうだろう。親は? 親はなんて言っていたんだっけ? 緊急の三者面談のとき、どんな顔をしていたんだっけ? よく思い出せない。クラスメイトの視線。もとから好かれてはいない僕を、あからさまに遠ざけるようになったクラスメイトたち。でも彼ら、彼女らは悪くない。当然の報いだ。彼女は、彼女は確か泣いていたんだ。しかしそれがいつなのかどこなのかはぼんやりとしていてよくわからない。僕は? 僕は何を思っていたんだろう……
光陰矢の如し。もう七年くらい前のことになる。この七年間、母校の中学校はずっと修学旅行を実施していないらしい。事の重大さを鑑みれば仕方がないのかもしれない。未成年であった僕たちの名前が一切世間に漏れなかったのは、奇跡といってもいい。そうでなかったなら、僕はめちゃくちゃな人生を送っているだろう。そもそも生きているかもわからない。でも、あれは誰のせいでもなかった。そう、誰のせいでもなかったんだ。
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