第8話 カンボジア アンコール遺跡群
有名観光地。クメール族のアンコール朝が残した、密林の中の仏教遺跡群。
巨大な遺跡が数多い。チケットは1日券20ドル、3日券40ドル、7日券60ドル(旅行した当時)。
私は3日券を購入した。40ドルだ。元を取らねばならぬと3日間フルに観光した。上れる遺跡にはすべて登った(現在は登れない、アンコールワットの主殿?も当時は急な階段で登れた)。暑かった。汗をかいた。頑張った。非常に疲れた。ビールを飲んだ。うまかった。
感想。
これほどまで大きな寺院を、これほどの数つくらなければならなかったのだろうか。寺院はとても美しい。
しかし、どうして人は、まず物を必要とするのだろうか。
寺院、教会、モスク、神殿、十字架、数珠・・・。重要なものは無形の精神、精神性のはずである。建てれば功徳を積める。そう信じられていた。
ミャンマーはバガンにある大小無数の寺院仏塔も同じ理由で建てられた。それで満足できるなら良いのかもしれない。
寺院を建てた、仏塔を建てた。功徳を積んだと思い、満足する。
それでゴキゲンに暮らせる。
それなら、良い。仮に、そういった人間の願いが遺跡に込められているのなら、悪くない。遺跡群をなんとなく優しく見ることができる。
しかし、彼らは何もわかってないのだ。いや、彼らだけではない。同様に私も何にもわかっていない。
修行をする。仏教を学ぶ。寺院に行く。お布施をする。仏陀と同じように座禅を組む。
だめなのだ。考えなしでは。仏陀は宗教家というより哲学者であるという説がある。同感だ。考えなくてはならない。仏陀は考えたのだ。まず、考える必要がある。
なんだかエラそうになってしまった。感想をありのまま書いただけで、私も考えが足りていない。
アンコール・ワットやアンコール・トム内の遺跡は圧巻だった。わざわざ私が説明するまでもあるまい。充実した多くの観光WEBサイトがすでにある。
個人的に好きなのはタ・プロームやベン・メリア。ほとんど廃墟のような寺院だが、木が根が遺跡(寺院)を踏みつぶすように立ち上り、崩壊した柱には青い苔がむしている。暗い回廊、崩れた屋根。木に浸食された遺跡。崩れた壁や梁を登っていく。それはラピュタの世界。
「ラピュタは本当にあったんだ!」
と叫びたくなる確率90%。
宮崎駿さんの作風の一端をかいま見た気がした。これがラピュタ。
屋久島でもののけ姫。千と千尋は日本の温泉街(都市名忘れた)。ゲド戦記は古代のローマだろうか。
寺院の近くには露店がある。店の少女や子供につかまるのも面白かった。
こども「オニーサン、オニーサン、Tシャツ買ッテ」
わたし「いま、あそこを見に行くんだって(苦笑)」
こども「アトデ見テネ、アトデ!」
観光後、店の前を素通りすると「アトデッテ言ッタジャーン!」
と 標準語の じゃん を使うのだ、カンボジアの子供が。
「後で(見る・見てね)」といったのは、私ではなく、そのこどもなんだけどなぁ(笑)
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