存在
水凪
第1話
僕の話を語ろうとするとまずどこから話し始めるか、そこから考え始めて悩みに悩み、本当につまらない人生の些細なミスを拾い上げてくるだろう。そしてそこからネガティブにロマンチックな展開を踏んで、如何に自分が存在をしなくてもいいようなちっぽけな人間であるかをチクチクと語り始める。只管に不毛な時間である。そもそも僕の話を述べること自体無駄だ。
そんな時間の無駄は、あって得するような無駄ではないが……ある日、ある時に現れた彼女の、彼女との話となればまた別だ。
「わぁ、おいしそう!」
嬉々として足音を鳴らす彼女が止まったのは、とあるケーキ屋さんだった。ショートケーキを主に様々な種類に乗るクリームの質は、安っぽいようには見えない。夕暮れの朱がいちごをさらに赤に染めあげ、可愛らしさに少し郷愁が入り混じった感情で僕の目に映った。
「こないだテレビでやってたやつだ」
今流行りの、カップルで行くオススメのお店という特集でやっていたのを他人事のように見てた記憶がある。
「そうなんだ。いやはや、手が出せるお値段ではありませんなぁ」
そういう彼女の目が、少し大きめの、両手の平に乗せても溢れそうなケーキに移る。倣って僕もそれを見ると、なんともおいしそうにコーディネートされているその下に……ぶっ飛んだ値段が何気なさそうに貼られている。
「バイトでもしようかねぇ」
「金欠はいつでも僕らを苦しませる」
仕方ない、とその場から離れようとしたが、どうしても彼女の最初にみた反応が過る。パアッと輝く笑顔で頬張る彼女との時間が泡沫であろうと、このお値段で買えると思えば値段はむしろ安い方に思えた。
「やっぱここ、入ってみよっか」
「お。奢ってくれる感じ?」
「うん」
「いやいや、冗談だよ。お金もちょっとだけあるし。入ろ入ろ!」
カランカラン、と入ると店内は少し落ち着いた雰囲気で、木造の床や壁がシックな印象を決定している。店員さんに通されて、端の、窓際のテーブル席に二人流れるように向かい合って座った。心理学的には向かい合うより隣り合うほうが良かったのだけれど、その流れに逆らってアクションを起こす勇気が僕にはなかった。
「どれ食べるの?」
彼女は早速メニューを開いて、僕に尋ねてくる。
「うん? 僕は食べないよ」
「あれ、食べるために入ったんじゃないの」
「君に食べてもらうために入ったんだよ」
「でも私お金全然ないよ」
「僕が払うよ」
「……奢ってっていったの、冗談だよ?」
「知ってる。君のことは、君ほどに」
そういうと彼女は照れ臭そうな申し訳なさそうな顔をしてメニューに目を通した。
「じゃあ、これ食べたい」
「そんな小さいのでいいの? 他は?」
「いいよ。君もそんなにお金持ってないでしょ」
「……お金持ちではないにせよ、もやし生活で日々凌ぐをほどではないからね」
「じゃあ一緒にこれ食べようよ。半分こ。」
「全部食べなよ」
「一人で食べるより、君と食べたいんだよ」
「……じゃあ、それなら」
さっきまでの遠慮がズレたのか、先ほど店前でおいしそうだと言っていたケーキ。僕は軽く頷いて、ベルのボタンを押して店員さんを呼ぶ。
「お待たせいたしました、ご注文はお決まりでしょうか?」
「あ、はい。えと、……これ、ひとつください」
「ショートケーキがお一つ」
「……以上で」
「かしこまりました。お飲み物はあちらのほうにありますので。どうぞごゆっくり」
そういって店員さんはカウンターの奥のほうへ向かっていった。
「コミュニケーション」
彼女は意味深にその単語を口にする。
「放っておいて……」
「解釈一致だよ。大丈夫大丈夫」
励まされてるのか馬鹿にされてるのか。いや馬鹿にされてるな。
「じゃ、私水汲んでくるよ。君は?」
「あ、じゃあ……僕も水で」
「おっけい」
彼女はとてとてとドリンクバーの方へ歩いていった。何気なく友達感覚でいるけど、彼女とは本当にこの間会ったばかりで、お互いのことをそこまて喋っているわけではない。それに、僕の生きている世界と彼女の生きている世界での約束事がある中でこんなに近い距離感にいるというのは、緊張感があるけど赦されている安心感みたいなものがどこかにあった。
「嬉しそうだね」
そう彼女がそう言葉を発して、自分のことだと気づくのに時間がかかった。
「え?」
「いや、なんでも」
なんでもなさげには聞こえない声。
「どうぞ」と彼女は水の入ったグラスをこちらの方へ置いてくれる。
「あ、ありがとう」
「ん」
彼女が席についてから先ほどの言葉について聞いてみる。
「そんなに嬉しそうかな、僕」
「初デートで浮かれてるんじゃないの? ん?」
「いや、それは……」
「なに? こんなに可愛い子といて嬉しくないとか言ったらフォークで目を……」
「あ、いや、えと、嬉しいです、はい」
「でしょ? ふふん」
得意げに彼女は鼻を鳴らす。時々行う彼女の仕草は可愛らしく、微笑ましい気持ちになる。それと同時に、彼女の知らない部分があることに少しだけ戸惑う。彼女が自分から生まれたということと、彼女は僕の心と重なっているということは同じ意味ではないのだろうか。
「いや、なんか。夢みたいでさ」
「夢じゃないの?」
「いや、夢だけどさ」
なんだかこんな状況下では夢という言葉の意味が変に伝わりそうで、何か違う言葉で言い表せられないだろうか。
「冗談だよ冗談。わたしは夢から現実に出てきた人間で、君は現実の人間でしょ。そして現実味を帯びてないってことを伝えたいってことでしょ」
「あ、うん。そういうこと」
「ふふ、知ってるよ。君のことは君ほどには、だっけ」
「なにその恥ずかしい台詞」
「えー! 言ってたじゃん!」
明度の低い歴史を記憶でひた隠したところで、店員さんがショートケーキを運んできてくれた。
「お待たせしました。こちら、ショートケーキとなります」
「はい、ありがとうございます」
僕と彼女は店員さんに軽く会釈すると、早速目先のケーキに釘付けになる。小さいが、その体積に甘さが凝縮しているのではなかろうかと思うほどのしっかりとした上品な質量があった。
「食べなよ」
「やったー! じゃあはい、あーん」
そういうと彼女はクリームとスポンジの刺さったフォークをゆっくりと僕の口まで運んでくる。
「え、……危なくない?」
「どういう意味でさ」
「複数」
「えぇ……」
まず特有の甘い雰囲気に耐えられない。これは僕の問題だ。他にも心情的にまずいものはあるが、一番まずいと思っているは「触れあうのではないか」ということだ。
「多分大丈夫なんじゃない?」
見透かしたように答える彼女。
「軽く言うね、君は……」
「別に手と口がぶつかるわけじゃあるまいし」
「ちょっと待って、それが出来た全例を調べてみるから」
「ええ~。ムード考えようよ~! 手が疲れちゃうよ~」
「一旦皿に置くという発想はないの……」
そして調べてみたが、検索に引っ掛からない。触れ合えるラインがどの程度なのかは、服を通しての接触はダメ。ガラスの厚さが5㎝以上での接触は大丈夫。鉄は……
「う~~~~ん、よくわかんない」
「前例なさそ?」
「多分」
「じゃあ私たちで作り出そうぜ! ほら、あ~~ん」
「う、」
僕は拭い切れない不安とケーキを一思いにパクっと食べた。久しいクリームの感触と甘さが口全体に広がり、鼻に抜ける。端的に片付けるとおいしい。
「どう?」
「おいひい」
口の中の水分がスポンジに吸い取られていく。
「私が愛情を乗っけたからかな~??」
「うん、多分」
「なんか適当じゃない?」
「……とりあえずおいしいから食べてみなよ」
「はい、じゃあ、あーんやって!」
そう言ってフォークを渡される。
「……」
「ほら、待ってるから」
「いや、その、」
「恥ずかしい?ウブだなぁー、きみは」
「まぁ、うん。それは否定できないんだけど。そうじゃなくて……」
何やら言葉に出すのが恥ずかしくて、口ごもってしまう。
「もしかして間接……」
「……うん」
「なんでそんなに恥ずかしがってんの! なんか、こっちも恥ずかしくなってくるじゃん…」
「そうなんだけど、その、」
「間接的にも触れて大丈夫なのかなって」
「……」
「直接触れ合うわけじゃないけど、君が……いなくなってしまうんじゃないかって、思って」
それは、言葉にしてしまうと口の中の甘みをかき消すほどに動揺を生む。
「……そだね。確かに」
「もいっこフォークもらおっか」
「……うん」
店員さんに言ってもう一つフォークを貰った。
「きみは優しいねぇ」
「え、……なんで?」
彼女はパクパクとケーキを食しながら、語り出す。
「私のために気を使ってくれてさ」
「いや、別にそんな」
そういいかけて、口を閉じた。彼女の瞳の奥が、僕を真正面から捉えたからだ。
「私は消えてしまってもいいよ」
流しそうになった彼女の言葉に、ワンテンポ遅れて顔を上げた。
「よくないよ」
「どうして?」
「どうしてって……死ぬのが怖くないの?」
「怖くないよ」
そう答える彼女の目は、揺れ動くことなく僕の目を射抜いた。ただ、真っ直ぐに。
「君は怖いの?」
「怖いよ」
「あんなに死のうとしてたのに?」
「……死ぬよりも生きてるほうが怖かったってだけの話だよ」
「今は死ぬほうが怖い?」
「君がいるからね」
「……じゃあ簡単には消えられないなぁ」
空のグラスを優しく包むその手に、少しだけ力が入ったように見えた。
「でも、なーんか命を投げ捨てようとしてた人が命を説くのってなんか釈然としないような……」
いや、逆に説得力があるのか? と考える彼女。
「まぁ、……エゴだよ」
「身勝手?」
「うん」
「だから君が死にたいと思うなら、死んでもいいと思うよ。ただ、僕は、君が死んでしまったら、すごく、こう……寂しい」
「あれ、素直じゃん」
「言葉がなかったんだよ」
「でも、私が消えたとしても。誰かさんの記憶の中で生きれるでしょ?」
彼女は人差し指で自身のこめかみ辺りを指した。
「そんなの、とても曖昧だよ。いつ思い出せなくなるかも、いつまで君を保って覚えていられるかも」
「それで十分なんだよ」
彼女の言っていることがよくわからなかった。ただ彼女は窓から透過する空を見ていた。僕はその彼女を見ていた。
「不思議だね。もともと私は夢なのに」
いつの間にか僕のグラスも、空になっていた。
「今は生きてる」
「これを、命と言っていいのかな」
「少なくとも、僕は君を人間だと思ってるよ」
「なんか、そう言ってくれるの、うれしいね」
「いや、……ごめん」
「え?どういう意味よ」
「複数の意味で」
「あー! またそれ! もう誤魔化すの禁止!」
「しーっ、あんまり大きい声出したら迷惑でしょ」
「話をそらすなぁ!」
こんなにも人と話すのは久々で、どんな話でも出来たことが嬉しかった。それは彼女がどこまでも僕を理解しているからかもしれない。
しばらくゆっくりしてからケーキ屋さんを出て、人通りの少なくなった都会を歩いていると、空はまだ昼の最中だった。少し前まで人で賑わっていた場所は、寂れているように思えて心なしか景色の彩度が低く見えた。
「いつになったら触れ合えるのかな」
少しだけ距離を置いて横を歩く彼女がふいに呟いた。
「……そうだね」
「ねぇ」
そして、彼女がやっと僕のほうを見た。
「人の体温ってどんなの?」
「どんなのって」
人の体温を知らない人にそれを伝えるという状況を今までの人生で考えたことがない。
「ほら、例えば、なんかこう……あったかいとか?」
「それなら……生温かい、かな」
「ぬるま湯みたいってこと?」
「まぁ、温度はそのくらいかな」
「へぇー……なんかあんまり魅力的じゃなくなったかも」
ぬるま湯の何とも言えない感覚を思い出しているのか、彼女は少し冗談じみた失望を口にした。
「でも、君にも知ってほしいな」
「いいものなの?」
「悪いもんじゃないよ」
温もりとは、何か別のものだ。温もりだけで人の温かさは、代えられない。
「なんか他の子を夢で見れないの? そんでここに連れてこれたらさ」
「それはなんか難しいような……」
「いいよ、いいよ。君は私だけを見ててよ」
そうおどける彼女のほうを見た。でも、彼女は前だけを見ていた。
「家ってどっちだっけ」
気付けば分かれ道まで来ていて、そこで彼女は立ち止まった。
「僕はこっちの方。君は?」
「私は反対側だね。じゃあ、この辺でお開きとしますか!」
「うん。今日は、ありがとう。楽しかった」
「私も楽しかったよ。じゃ、またね!」
「うん。ばいばい」
そういうと彼女と僕は別れ、それぞれ帰路を歩き始める。
何気ない一日だ。
そして、それがかけがえのない一日だ。
一歩、また一歩踏み出して、なんとなく、振り返った。夕が紺色に滲んでいる空と、空虚な都会が視界に入り込む。そこにいたはずの彼女は既に、街に溶けていた。辺りは静けさを寄せ集めて、僕の周りを囲っていく。
まるで今までのやり取りが全て、
(……帰ろ)
変な考えを止めて僕は体から少しずつ、力を抜いていく。目を閉じると浮遊感がして、少しずつ体が軽くなっていくのが分かる。
一歩、また一歩と足を踏み出すと、段々と足に地面の感触が無くなり、それと同時に風が足を攫い、夜風の一部となっていくかのような感触がする。目をゆっくり開けると眼下に広がる町が淡く澄んだ空気に微睡み、色を変えていく。とても鮮やかに、けれど柔らかいような、そんな色に。
空が下りてくる。そろそろ、時間だ。
僕は足から頭に向かって徐々に薄くなっていった。それは夜空に溶けたいと願ったことのある僕のちょっとした夢の叶う瞬間だった。
そして、完全に夜と同化する。僕が家に帰った瞬間だ。
じゃあ、おやすみ。
そんな声が聞こえるほどに澄んだ風が、夜に佇むあらゆる光を連れて、どこか遠くへと飛んでいった。
存在 水凪 @mize_mize
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます