梔子こう子は死んでいる

ミトト

第1話

 私の通う学校には、登下校の幽霊というオカルト話がまことしやかに囁かれている。曰く、その幽霊に顔を合わせてはいけない。なぜならあちら側の世界へ道連れにされてしまうから。


 こちらが素知らぬふりをしていれば、その幽霊は取り立てて害がないらしい。

 ただ、朝の登校時間と放課後の帰宅時間、生徒達に紛れて学校からの通学路を行ったり来たりしているだけだからだ。


 入学して間もない頃から、その手の話は割と溢れかえっていた。この学校は他所と比べると怪奇現象の目撃例があるらしく、例えば……そう、4:44に忽然と消えた生徒の話もあったのだとか。私の数代前の先輩に当たる方らしく、クラスの子達はその話を部活の先輩に聞いたとかで、震えながら、あるいは面白おかしく話していた。


 私こと梔子こう子も、今現在、ある意味怪奇現象と呼べるような出来事に巻き込まれている。残念ながら、相手は霊などの類ではなく、人間だ。それも同じ学年の男の子から付き纏いを受けている。もちろん恋愛などではなくて。


「梔子こう子。おまえは既にしんでいる」

「はあ」


 こんな感じで、朝の通学時間と放課後の帰宅時に毎度同じ事を言われ続けていた。


「きみさあ。ほぼ初対面の人にそんなこと言わない方がいいよ?」

「俺は嘘を言わん。しんでいる人間にしんでいると言って何が悪い」

「はあ」


 目の前の、威圧的な喋り方をする男子生徒は神谷という。クラスは1-2組と言っていたから、私の隣のクラスになる。真っ黒い吸い込まれそうなほどに澄んだ切長の瞳が特徴的で、目深に被った真っ黒い帽子と襟元までしっかりと締めた制服を着こなす少し……いや、だいぶクセのある人間だ。


 なんでも、実家が寺だという神谷は、霊に対する知識や対処法に詳しいのだという。制服の内側に護身用のお札を常に忍ばせているのだと言っているが。詳しい事は知らないが、もし普段からこんな感じだったら、こいつはおそらく人から敬遠されるタイプだろう。たぶん悪気はないんだろうが。


 憐れみを込めた視線を向けると、神谷はなにか言いたげに小首を傾げてこちらを見つめ返してくる。


「なんだ。何か言いたげに」

「いえ、なんでもないっす」

「……今はまだ正気を保っているようだが。このままでいれば、いずれ悪霊になるだろう。早く成仏しろ。これはお前のためでもある」

「はあ」


 そんな事を言われても……別に身体が透き通っているわけでもないし、地面にだって足がつく。至って普通の女子高生だ。ついでに言うとしんでないし。


「ちなみに何を根拠に言ってるんでしょうか」

「……お前。自分で気づいていないのか?」

「はあ」

「霊は見える人間からは生きている人間と大差なく見える。まあ、よほど酷い事故に遭わない限り、生前そのままの姿だからだ。だが、それでも生きてる人間とは徹底的に違うところがある」

「ははあ」


 神谷は生返事をする私の態度に呆れたらしく、はあ、溜息をついた。


「影」

「影……?」

「そうだ。霊は得てして影がない」

「へえ〜」


 そう言って視線を落とす神谷に釣られて、私も足元を覗き込んでみた。影は……たしかにある。でもおかしい。まだ日が出ていて明るいはず。それなのに。影は神谷の足元から伸びているだけ。一人分しかなく、私の影はそこになかった。


「うわ……マジじゃん……」

「そうだ。だから言ったろう。登下校の幽霊はお前だと」


 やっと話を聞く気になった私を見て、神谷は疲れたようにやれやれと首を振る。こいつが言う通り、私は本当に死んでいたらしい。


「霊になってしまった人間は、日常と同じ行動を好み、死ぬ直前までしていた行動をなぞる。お前は未練となっている事さえ思い出せればいい。それがきっかけとなって成仏に繋がるはずだ」


 神谷はそう、説明をする。そうはいってもどうやって未練だなんて思い出せばいいのだろう。死ぬ間際、私は何を思ったろう。思い返してみれば、自分はいつから通学路を往復していたのか記憶がない。いつのまにか朝と放課後にこうして歩いていて、それ以外の事は不思議と頭の中にもやがかかったように思い出せないのだ。


 このままでいれば普通の霊でも悪霊となってしまうらしい。強制的に祓う事もできなくはないが、それをすると魂そのものが消え、生まれ変われなくなるのだと神谷は言っていた。


 死んでからも色々と大変なのだなと、どこか他人事の様に思いながらも、なんやかんやで私が成仏できるよう神谷は話を聞いたり、思い出深い場所はないのかと、迷惑そうな顔をしながらも毎日のように私に付き合ってくれていた。


 一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ、これらが日常の一部となり、神谷に親しみを覚えるぐらいに軽口を言い合える関係になったところで、終わりは突然訪れた。


 夏の日差しが燦々と降り注ぐ放課後の事。校内には、部活や補習の生徒が残る中、私は神谷が来るのを心待ちにしながら、ゆっくりゆっくりと通学路を歩いていた。


 いつもなら、もう間も無く神谷はやってくる。あいつは部活には入らずに実家である寺の手伝いをしているらしく、終わり次第、急いで駆けてやってくるのだ。それも土日も関係なく毎日。あいつが所持しているお札があれば、強制的に私を消滅させることも出来るはず。


 なのにそれをしないのは……きっと、仲良くなれたからだと。私がきちんと思い残す事なく逝けるようにとあいつが思ってくれていたのだったら嬉しい。


 そんなことを考えながら足を進めていると、ふと、前方に何かが蹲っているのが見えた。動物……? 違う。——人間だ。それも、私と同じ学校の生徒だった。


「——ねえ、大丈夫!?」


 弾かれたように、私は倒れているその子に駆け寄る。急いで助け起こそうとその子へ手を伸ばすけれど、まるで虚空を掴むように私の手はその子の身体をすり抜けてしまう。

 ぎょっとして急いで手を引っ込める。なに、今の。再びそっと手を伸ばしてみるが、やはり私の手はその子の身体を通り抜け、触れる事も叶わない。


「ははは……本当にすり抜けてる。私ってやっぱり幽霊なんだ……」


 神谷はこちらに決して触れようとはしなかったから、自分が物に触れられない事をすっかり忘れてしまっていた。目の前で倒れてる子すら救えないなんて。私はなんて役立たずだろう。


 その子は苦しそうに小さく呻き声をあげながら、額にびっしりと、玉のような汗をかいている。顔色は青を通り越して、蝋のように真っ白な色をしており、今にも消えてしまいそうだった。


「……ねえ! どうしたの? なにがあったの?」


 身体すら通り抜けてしまったのだから、私の声は、きっとこの子に聞こえていない。けれどなにかしなければ。少しでもこの子が助かるように。一体どうすればいい? ……そうだ。急いで神谷を探す? でも見つからなかったら? 考えては浮かぶ思考の断片を纏めようとしているうちに、ぞわっと全身に異質な怖気が上がる。なにか良くないものがいる。そいつは、倒れているその子の直ぐ側で生える木の影から発せられていた。


 ——それを見てはいけない。連れていかれてしまうから——


 なかばパニックになりそうな脳内で、ふと、その言葉が浮かび上がった。

 どうして今、そんな事を思ったんだろうか。

 まるで、登下校の幽霊に遭遇した時の話と同じ……見てはいけない。そう、わかっていた筈なのに。無意識に私はそちらを見てしまった。


 「——っひ」


 そこには、闇色に蠢く大きな塊が、ぐちゃぐちゃと耳障りな音を発してこちらを見ていた。目は無い。それどころか、顔となるパーツは一切なく、無数の人間の手で構成されている。逃げなくてはいけない。一刻も早く。でなければ、今度こそ連れて行かれてしまう。頭の中で鳴り響く警鐘とは裏腹に、私の身体は固まったように動かすことができなかった。


 ずり、ずり、と器用に手を動かしながら、そいつは私へ向かって少しずつ近寄ってくる。——あと少し、もう少し。まるでそう言っているかのように。

 もう間も無く私に触れるというところで、そいつは胎内から真っ黒な手を一斉に伸ばして私の身体に巻きつけてきた。ギリギリ、と首が締め付けられる音がする。

徐々に酸素が失われていくなか、私はこの光景を前にも見たことがある事に気がついた。そうだ。私。


 この幽霊に……放課後の幽霊に出会って連れていかれたんだった。





 あれは高校に入学して間も無くのこと。その日は、たまたま用事のあった友達と別れて、私は一人で家までの道を歩いていた。


 放課後の幽霊とは、不慮の事故で亡くなってしまった生徒の事なのだと今ならハッキリわかる。その子は下校中に乗用車に追突され、電柱と車に挟まれるようにして亡くなったそうだ。


 原因は発作で意識を失ったドライバーによる過失致死。この事故のやるせないところは被害者の生徒は苦しんで死んだのだということに対して、加害者であるドライバーは生きているということ。


 きっと許せなかったろう。自分だけが死んだだなんて信じられなかったに違いない。寂しい。苦しい。だから、道連れが欲しい。そんな考えになってしまうのを誰が咎められるだろう。


「か、は——」


 口の端からひゅーひゅーっと呼気が漏れる音が聞こえる。息が……ぼんやりとした視界の先で真っ黒な亡霊がごぽり、と音を立てて笑った気がした。

 一度私は死んでいる。その先は一体どこにいくんだろうか。けれど、倒れていた子が無事ならいい。

 ……そろそろ、限界が近い。もう、意識が持ちそうに無い。願わくば、どうか。この子と神谷が巻き込まれませんように。


「梔子!!」


 ふっと意識を手放しかけた瞬間。眩い光がキラキラと一面を覆ったかと思うと、わたしの首に絡みついていた無数の手達がホロホロと崩れ去るように霧散していった。次いで、お札のような物が端から燃え上がり、パンッと弾けて、消える。霞む視界になんとか焦点を定めると、目の前には心配そうな顔をした神谷が私の顔を覗き込んでいた。


「おい。梔子こう子! しっかりしろ!」

「——神谷……」

「お前は俺の手できちんと祓ってやる。いいか。意識を手放すな。このまま消えたら存在まで消えるぞ」

「……ふふ」


 あんなに必死に私を成仏させようとしてたのに。どことなく矛盾したような神谷の言動につい、おかしくなって微笑む。お札で成仏させられるって本当なんだな、なんて。どこか他人事のように思いながら、私はゆっくりと目を閉じた。


「梔子?」


 もうお別れが近いらしい。体が淡く輝いて、ホロホロと崩れていく感覚がする。次に生まれてくる時は、また人間だったらいいなあ。それから、また神谷と出会えたらいいのに。


「神……谷、ありがと。たのしか……た……」

「梔子!」


 こうやって誰かに見送られるのも悪くない。私の最後も、結構良いものなんじゃないかって。

 そう、思っていたんですけどね——


「いや〜まさか生きてるとはね!」

「それはこちらのセリフだ」


 ところ変わって、場所は病院の一室。ここは長期に入院してる患者にあてがわれる個室らしく、現在、ベッドの上でのほほんとリンゴを食べながら話している私は、お見舞いに来てくれた神谷と話し合っていたところだ。


 どうやら私、身体は生きていたらしい。と、いうか。意識だけが戻らず、半ば植物状態のような形でずっと眠りについていたのだとか。そして信じ難いことに、入学してすぐにあの幽霊に襲われた私は、一年間ずっと意識のないまま病室で過ごしていたらしい。


 じゃあ、神谷って……年下って、事……? ま、まあ、とにかく! そのせいで、一年上の先輩が下校中に死んだのだという噂になってしまい、梔子こう子は死んだ後、放課後に襲い掛かる幽霊となったのだとまことしやかに囁かれていたのだという。そして、放課後の幽霊に襲われていたあの生徒は無事で、現在、私と同じ病院に入院しているとの話を聞いて心底ホッとする。


 神谷はぶちぶちと文句を言いながらも、毎日の様にお見舞いに来てくれている。お医者様が言うには、私も来月には退院できる見込みとの事だから、無事に復帰した暁には、神谷に除霊について教えてもらおうと目論んでいる。また、私やあの子のような犠牲者がでないよう、今度は誰かを私が助ける側になりたいからだ。


 そんな事を思いながら、日差しの差す窓辺に視線を向ける。柔らかく風に揺れる木の葉が、なんだか私を応援してくれているような、そんな気がしてしょうがないのだ。

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