report8. ジーク覚醒



 ほとんど地平線に落ちかけた西日が照らす、荒れ果てた農村。周囲を包み込む敗北の静寂。しかし敵はまだ去ってはいない。村のはずれの方で咆哮が響き、こちらに向かってくる足音がする。


 意識を取り戻したジークは、倒れているアッシュのかたわらで膝をついて慟哭していた。


 悔しい。情けない。己が腹ただしい。


 あの時、無謀に突っ込んだりしなければ。

 この村に寄ることを提案しなければ。

 そもそも、勇者になるなんて安請け合いしなければ。


 ジークが意識を失ってから何が起きたのか。それは辺りを見渡せば明らかであった。マシュー、パウル、フェンロンの三人もそれぞれボロボロの状態で倒れている。アッシュが倒れたことで統率が取れなくなり、あっという間にやられてしまったのだろう。

 このままでは全滅だ。

 特にアッシュの傷は深い。敵に斬られた背中には血がにじんでいるし、その前に受けた毒もある。


「アッシュ、アッシュ! 絶対死ぬな。死んだらだめだっ……!」


 ぼろぼろと涙をこぼしながらうつ伏せになっているアッシュの身体を揺する。

 すると、ピクリと彼の指先が動いた。


「ジー、ク……目が覚めたのか……」

「アッシュ!?」

「頼むから、そう動かさないでくれ……」

「っ! そ、そうだよな、傷が開くといけない」

「いや、そうじゃないんだが……まぁいいか……」


 彼はうつ伏せのまま掠れた声で力なく言う。


「とにかく、俺は大丈夫だから、他の三人を連れて逃げるんだ。俺はもう少し回復するのを待って……ヤツを倒す」

「何言ってるんだよ! アッシュが一番重傷だろ!?」

「それでもこの中でまともに戦えるのは俺だけだ」


 正論だ。言い返すことなどできず、ジークは押し黙る。

 しかし、彼には彼なりの譲れないものがあった。


「……俺、『勇者伝説』に憧れてるって話をしたよな」


 なぜこんな時に、とアッシュは怪訝そうに見上げてきたが、ジークは構わず続けた。


「父さんも一緒だった。父さんも『勇者』に憧れて、才能ないのに騎士に志願して、そして――死んだ」

「っ……!」

「一緒にいた騎士団の人の話によるとさ、今の俺たちみたいに格上の魔物に出くわして、誰もやりたがらなかったしんがりを引き受けて、それで仲間を逃がして……父さんだけ死んだんだってさ」


 ジークはその知らせを聞かされた時のことを思い出し、ぎゅっと奥歯を噛み締める。


「父さんの口癖は『人には才能相応の役目がある』だったんだけど、自分の最期には才能超えた役目に挑戦して人助けてんだよ。本当に『勇者』になったんだ。カッコいいだろ。でもさ……ずっと泣いてる母さん見て、『死ぬのだけはダメだ』って思った」

「ジーク……」

「だから、今のアッシュに無理はさせられない」


 ジークは涙をぐいっと拭うと、アッシュの側に落ちていた彼の短剣に手を伸ばした。


「待て、ジーク。何をする気だ?」


 制止を聞き入れる様子はなく。

 短剣の柄を握った瞬間、ギンと彼の瞳に炎が灯ったような気がした。


「ブモォォォォォォォォォッ!」


 ミノタウロスの咆哮。話し込んでいる間にこちらの気配を察して近づいてきていたようだ。


 ジークはゆらりと立ち上がると、敵に正対して短剣を水平に構え、呟く。


「俺はお前を許さない。――料理してやる」


 その落ち着いた声の響き、芯の通った立ち姿にアッシュはぞわりと肌が粟立つのを感じた。

 まるで人格が変わったかのようだ。

 しかし、実戦が初めてというのは変わらない事実のはず。アッシュはハッと我に返ってジークに向かって声を掛ける。


「だめだ、ジーク! 今からでも遅くない! 早く逃げるんだ!」


 相反して、敵に向かって駆け出すジーク。

 このままではまた同じことの繰り返しになる。

 ミノタウロスもそう思ったのだろう、返り討ちにしてやろうとカウンターの構えをとる。

 だが、ミノタウロスの間合いに入ったところでジークはひゅっと姿勢を崩して地面を滑った。フェイント。そして通り過ぎざまに短剣で大腿を横から切りつける。


「ブモォッ!?」

「まずはモモ肉」


 攻撃の威力自体は大したことはない。せいぜい硬い皮膚に傷をつけた程度だろう。しかし短剣の刃には戦いの前にアッシュが塗っておいた毒が仕込まれている。敵の動きを奪う麻痺毒だ。

 切られた方の足が痺れて片膝をつくミノタウロス。その隙に落ちていたミノタウロスの角を拾ったジークは、フェンロンの投擲を真似るようにして角を投げた。


「ブモォォォッ!!」


 見事先ほど切りつけた大腿に命中。ジークの腕力で攻撃が通らなくとも、ミノタウロス自身の角であればじゅうぶん通用する。自らの角が突き刺さり、雄叫びをあげる敵に対し、ジークはあるものを拾って距離を取る。


「ジーク! そろそろ麻痺毒が切れるぞ!」


 アッシュがそう言ってすぐのこと、ミノタウロスは鼻息荒くしながら角を引っこ抜いて立ち上がった。血走るまなこ。完全に怒っている。

 しかしそれをさらに挑発するかのように、ジークは「こっちだ!」と赤い布を振る。フェンロンが初撃で投げつけた柱の先端にあった国旗である。


「何をやってるんだ、あいつは……!」


 やきもきするアッシュ。彼はまだ身動きが取れない。

 ジークは旗を持ったままとある場所へ向かって走っている。その後を怒涛の勢いで追うミノタウロス。あとわずか、追いつかれるか否かのところで、


 シュワァァァァァァァァッ!!


 ミノタウロスの足元から間欠泉が吹き出した。

 そう、ジークはマシューの魔法で温泉が湧いた場所へと誘導したのである。

 されど温泉。たかが温泉。

 間欠泉の勢いに多少ミノタウロスの身体が浮きはしたが、時間稼ぎ程度でそれで致命傷を与えることはできない。


 間欠泉が収まり、いよいよ怒り心頭のミノタウロスが目の前のジークに襲いかかろうとしたその時。


 異変が起きた。


 ミノタウロスががくんと姿勢を崩して倒れたのだ。


「モッ!?」


 ミノタウロスの背後には、すでに短剣を振り抜いた後のジーク。


「火が通ったら、薄くスライス」


 彼がそう呟くと同時、ミノタウロスの脚からわっと血が噴き出した。足首から大腿にかけて無数の等間隔の切り傷ができていたのだ。一つ一つの傷はさほど深くはないが、腱を切っているので立ち上がることはできない。


「ブモォォォォォッ! ブモォォォォォッ!」


 地面に這いつくばり、悔しげに地面を叩くミノタウロス。

 ジークは短剣に付いたミノタウロスの血を振り払うと、魔物の傍らに立ち、一言。


「これで、仕上げだ!」


 鮮やかな短剣捌きでミノタウロスの首を掻き切った。

 どすんと重量のある牛の頭部が地面に落ち、辺りは急に静けさを取り戻す。

 ジークの爛々と輝いていた瞳はとろんと気だるげなそれに変わり、糸が切れた人形のように脱力する。


「腹、減った……」


 後ろ向きに倒れそうになったところで、背後から優しく彼を受け止める者がいた。


「よくやった」


 アッシュの声だ。

 初めて聞く彼の穏やかな声音と、背中に当たる、なぜだか羽毛の入った柔らかい布団のような感触に安堵を覚え、ジークはそのまま眠りに落ちていくのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る