report7. ミノタウロスとの戦い



「『位階クラス:2』の魔物がなぜここに……!」


 目を見開きながら、すかさず短剣を両手に構えるアッシュ。彼につられる形でジークもわたわたと自らの剣を手に取った。


 『位階クラス』。それは魔物の強さを分かりやすく表現するための指標だ。

 全部で5段階あり、『位階クラス:1』が一般兵レベルでも一対一で太刀打ちできる程度の魔物。そして『位階クラス:2』には歴戦の戦士か、あるいは統制の取れた一個小隊でないと対処が難しい魔物が分類される。

 『位階クラス:2』のような魔物が城下町の近郊で現れるなど、ここ十年で数回あったか否か。


 つまり、大事件だ。


「まさか、魔王軍がすぐそこまで迫ってきてるってことかよ!?」

「いや、どうだろう。もう一体、他の魔物の痕跡は残っているけど今は近くにいないみたいだ」


 パウルとマシューもまた、戦闘態勢に入る。

 マシューの瞳はもう光ってはいなかった。あれが何だったのか聞いてみたいところだが、今はそんな余裕はなさそうだ。


 飛び上がっていたミノタウロスが着地し、ずしんと地面が揺れる。筋骨隆々とした上半身をやや前にかがめ、背中の方へ右腕を回す。ぬらりと取り出したるは、その分厚い肉体の半分ほどの大きさはあるであろう巨大な斧である。刃こぼれ激しく、まともな手入れがされていないことは一目見て分かるが、重量からして凶悪な鈍器となることは間違いない。村を破壊し尽くしたのもあの得物のようだ。


「一体だけならこの規模のパーティでもまだ対処できる。まずは俺が毒を仕込むから、前衛のジークとフェンロンでヤツの機動力をいで……ってジーク?」


 短剣に毒を塗り、初撃の準備にかかるアッシュであったが、隣にいるジークの様子に気づいてぎょっとして手を止める。


 ジークは震えていた。

 顔は青ざめ、全身をがくがく震わせ、剣を握るどころか立っているのもやっとであった。


「ご、ごめん、俺、実戦は初めてで……」

「は? 冗談言ってる場合じゃ」

「冗談じゃないんだよっ! おとといまでただの訓練生だったから……!」


 そんな馬鹿な、と愕然とするアッシュ。その後方から駆ける音。振り返れば人家の柱のようなものを肩に担いだフェンロンが走ってくる。その先端には深紅に金獅子の国旗がたなびく。何をするつもりだ、と声をかける隙は無かった。


「ふぅんッッ!!」


 フェンロンはそれをミノタウロスに向かって思い切り投げつけた。強弓から解き放たれた矢のごとく、柱はミノタウロス目掛けて風を切る。

 凄まじい筋力。躊躇いのない先手攻撃。それはいい、それはいいのだが。

 飛んでいく柱を見つめ、アッシュは口の端を引きつらせた。


「……馬鹿だ」


 彼がそう呟くのと、ミノタウロスが「ブモォ!」と湯気の如く荒々しい鼻息を吹き出して柱を両断したのはほぼ同時のことであった。


 そう、ミノタウロスの性質は牛に近い。闘牛と同じくたなびく布に興奮する性質があるというのはわりとよく知られた基礎知識である。


「あれを防ぐとは、なかなかやるな……!」

「感心している場合か! ミノタウロスとやりあうならまずは角を折るのが定石! 武闘家ファイターなら接近戦は得意だろ!?」

「すまんが無理だ!」

「はぁ!?」


 清々しいまでの即答ののち、フェンロンはヒュッと軽々跳躍して崩れ落ちずに残っている民家の屋根に飛び上がった。


「待て、フェンロン! 無理ってどういうことだ!」

「あんな薄汚い魔物、直接触れるわけないだろう! 王城の扉の何倍汚れているか……!」

「汚れ? お前は何を言っているんだ?」

「だから、触りたくないと言っているんだ! オレは潔癖症だから!」

「……転職した方が良いのでは??」


 言わずもがな、武闘家ファイターとは本来、己の肉体を武器に近接戦を得意とする職業ジョブである。

 しかし、潔癖症の武闘家フェンロンが敵に近づく気配はなく、屋根のレンガを剥がして投擲することでミノタウロスを狙う。


「ブモォォォッ! ブモォォォッ!」


 ミノタウロスが斧を振り回し、レンガが砕ける。いくつか命中はしたが、遠距離からでは力不足だ。ミノタウロスの強靭な肉体を傷つけるには至らない。


「なんだ、角を折ればいいんだろ?」


 不敵に笑い、一歩前に出てきたのはパウルである。

 そう、ミノタウロスの巨大な角は放置しておくと突進の時の凶器になるので早めに対策しなければいけない。その重量ゆえに、片方でも折ってしまえばバランスを崩すことになるので戦いやすくなるのだが。


「いや、君は神官プリーストなんだから前に出てこなくても……」

「まあ見てろって!」


 そう言って得意げにメイスを担ぐと、葉巻を咥えてダッと駆け出した。魔物との直線上に葉巻の煙が線を引く。回復役ヒーラーのそれとは思えぬ、真正面からの攻めだ。


「ブモォッ!」


 ミノタウロスは単純な性格をしていて、一番近くに迫ってくるものを第一標的として狙ってくる。

 肉薄するパウルに気づくやいなや、彼の胴目がけて巨大な斧を水平に薙ぐ。


「っとぉ!」


 パウルはそれを自らのメイスで受け止めた。金属と金属が激しくぶつかる音が響く。力はまさかの拮抗。他の職業ジョブに比べて非力な者が多い神官プリーストらしからぬ剛力だ。


「知ってるか、牛さんよ」

「ブモォォォォォ……!」

「戒律で牛肉食が禁止されてんのはなァ」


 パウルはニヤリと口角を吊り上げると、ミノタウロスの顔面に向けてプッと葉巻を吹き出した。反射的に顔を背けるミノタウロス。その力が一瞬緩んだ隙に、パウルは足払いをしかけてミノタウロスの姿勢を崩した。


「――教会のお偉方が美味い肉を独占するためなんだとよッ!」


 間髪入れず、振り下ろされるメイス。鈍い音を立ててミノタウロスの左の角を粉砕した。


「すごい……!」


 思わず感嘆の声を上げるジーク。

 すっかり観客然とした彼にアッシュは呆れた眼差しを向けるが、パウルの戦闘スキルが高いことは否定しない。

 戦い方が神官プリーストのそれではなく、路地裏のチンピラに近いのはやや気になるものの、『位階クラス:2』の魔物の部位破壊ができるメンバーがパーティにいるのはかなり心強い。


「で! この後どうすんだ?」


 パウルが振り返ってアッシュに尋ねる。

 その後ろでゆらりと立ち上がるミノタウロスの影。

 アッシュはハッとして声を張り上げた。


「油断するな! すぐに結界術を――」

「ブモォォォォォオオオオオオオオ!!」


 ミノタウロスの憤怒の咆哮。

 まずい。が来る。

 しかし察しているのはアッシュだけのようだ。他の四人はただうろたえるだけ。


「パウル! 結界術だ! 初級ので良いから早く!」


 結界術とは神官プリーストが得意とする味方を守るための術である。神官職であれば誰もが使えるはずなのだが。

 パウルは結界術を出すそぶりを見せず、ポリポリと後ろ髪をかく。


「あー……悪ぃけど、結界術は使えねぇんだわ」

「は!?」

「日頃の行い、ってやつか? カミサマの力を借りるような技は上手くいかなくてな」


 それはつまり、神官プリーストの本領である回復術や結界術を期待できないということである。


「ふざけるなよクソッ!!!!」


 アッシュは最大級の舌打ちをして、強く地面を蹴った。目にも留まらぬ速さで接近、小柄な体躯で高身長なパウルを荷物のように脇に抱えると、再び強い踏み込みで引き返す。

 できるだけ遠く、遠く。

 ミノタウロスから距離を取らなければいけない。

 敵はもう、攻撃態勢に入っている。

 天を仰ぎ、ぷくーっと頬を膨らませて、


「ブシュアァァァァッ!!」


 緑の飛沫しぶきを噴水のように噴き出す。

 近接戦を得意とするミノタウロス唯一の間接技、「地獄の毒霧ヘル・ミスト」だ。たいした威力はないが、近くで浴びると毒に侵されてしまう。

 神官プリーストに解毒を期待できないパーティにおいては、一人でも食らったら致命傷だ。


「アッシュ、お前、肩が……!」

「俺のことはいいから目と口閉じてろ!!」


 なんとかパウルを抱え、毒霧の範囲から逃れたアッシュ。その右肩には緑の毒液がべったりと付着していた。ジュワジュワと音を立てて服を焼き、皮膚から染みこもうとしている。それでも彼はうろたえず、パウルを下ろして息を整えるとマシューに向かって言った。


「なんでもいい、敵を足止めできそうな魔法はないか? 少し時間を稼ぎたい」

「足止めか……よし、任せて!」


 マシューが分厚い魔道書を開き、ぱらぱらとページをめくる。あるところで手を止めると、そこに描かれた魔法陣に手をかざして詠唱をし始めた。空気中の魔素がマシューの元へ集結しようと、彼を中心に風の渦を作り始める。


「目覚めよ、大地の血潮――〈温泉を掘り当てる魔法スパ・エクスカベーション〉!」

「どうしてそうなるんだ!?」


 マシューが魔法を発動すると、パーティとミノタウロスとの間にシュワァァッと間欠泉が吹き出した。


「お、おお! 成功した!」


 魔法の発動を喜ぶマシューに、もはやツッコむ気力を失ったアッシュ。

 当然、温泉では魔物の気を引くことはできない。ミノタウロスはドスドスとこちらに向かってくる。


「最悪だ。盗賊シーフが一番戦力になるパーティなんて聞いたことがない……!」


 仕方なく、毒が回り始めた身体で応戦しようとするアッシュであったが、その前に一人立ちはだかる者がいた。


 ジークである。


「おい、ジーク! そこをどくんだ! 戦いに慣れてないなら退がっていろ!」


 しかし聞く耳を持たない。

 彼の前に回り込んでみると、焦点の合わないうつろな表情でぶつぶつと自分に言い聞かせるように呟いていた。


「大丈夫、ここが正念場だ、みんなを守るために俺が戦う、その役目が俺を強くする……」


 こうしている間にもミノタウロスは近づいてきていた。


「ジーク! しっかりしろ! 今は自分の身を守ることだけ考えるんだ!」


 アッシュがジークの肩を揺さぶるも響かない。

 しまいには、ドンと突き放されてしまった。

 ジークは剣を振り上げ、ミノタウロスに向かって駆け出していく。


「うわあああああああああああッ!」


 初めての戦闘でハイになってしまっているのだろう。訓練学校で教えられるはずの剣の型などすべて彼の頭から消え去ってしまったようだった。ただひたすら、敵に向かっていくだけの無謀な攻撃。

 『位階クラス:1』の魔物であればそれでも攻撃が当たることはある。そしてその成功体験が経験値となり人を強くする。


 だが、『位階クラス:2』には通用しない。


 ジークの剣はミノタウロスの残った右の角によって弾かれ、あっけなく二つに折れてしまった。


「……あ」

「ブモォッ!!」


 一撃、二撃、三撃。呆然とするジークを容赦なく殴打するミノタウロス。逃げようにも攻撃の手が速すぎて動けない。思考する余裕すら与えられない。ただ殴られるためのサンドバッグになったかのようだ。


(痛い! 痛い! 痛い……!)


 鎧を着ていても敵の攻撃は重かった。意識が朦朧とし始めた時、ミノタウロスの攻めが一瞬止んだ。解放される――その期待を打ち砕くかのごとく、高く振り上げられた斧。


 死を、覚悟した。

 その時だった。


「この馬鹿がっ!!」


 ズドンと強い衝撃が鳩尾みぞおちに入り、ジークの身体が吹き飛んだ。

 脇からミノタウロスとジークの間に入ったアッシュが、ジークを蹴り飛ばしたのである。


(だめ、だ……アッシュ……!)


 飛ばされながら、ジークはアッシュに向かって手を伸ばす。

 しかし届くことはない。

 遠のく意識の中で、ミノタウロスの斧がアッシュを袈裟斬りにするのを見た。

 声をあげる間もないまま、ジークは瓦礫に背を強く打ち付けて気を失ってしまうのであった。


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