第5話 こども会のあった場所

 日枝辰美から届いた思いもよらぬ提案について、何も返せないでいるうちに放課後になった。


 白状するが、俺は完全に困惑していたと言っていい。あの日枝辰美が、2人きりで俺と遊びたい? こだわりなく信じられる方がどうかしている。


 帰りのHRが終わると、辰美はクラスメイトと言葉を交わしてから、教室を出ていった。(帰り際こっちの方へチラッと視線を向けた気がしたが、目を合わせないでおいた。)


 自席で1人さみしく課題をやってるふりをしながら出ていったのを確認し、俺は返事を返した。


〈いきなり、どういうこと?〉


 ……。


 反応は、すぐにあった。


〈私、この学校にあんまり友達いなくて。この機会に友達になれたらいいなって思ったんだ。


〈だから、まず君とどこか遊びに行ったりできないかなって〉


 あの日枝辰美が、俺とトモダチになりたいと言っている。一体なんのつもりだろう?


 俺も教室を出た。移動しながら、草食か肉食かも判らない動物に手持ちの食べ物を投げるように、感想を投げてみる。


〈日枝さん、新しいクラスでもみんなと話してるし、友達多そうだけど〉


〈そう?


〈そんな親しくしてる子はいないけどなあ〉


〈でもネットとかでも有名らしいし。仕事とかの、邪魔になるといけないから〉


〈考えすぎだよ~。まぁ、言いたいことはわかるけど〉


 続きを送ろうとしていると、その前に次の文章が届いて、


〈今日あったこと、決してマイナスではなかったと思うの。こういうのって、人と深く知りあえるチャンスかなって。だからどう?〉


 なんだ、この押しの強さは…。少々たじろいで、いったんスマートフォンを仕舞った。


 なんとか断る方に持っていきたい。どうしても固辞したい理由があるわけでもないが、俺の性分だ。友達はあまり増やしたくない……特に、彼女のようにキラキラと目立つ相手は。


 そうだな、ハッキリ言おう。彼女がどうかではなく、俺の気持ちとして。


〈いや、でも俺の方が困るよ。あんまり注目とかされたくないんだ。


〈今日だって、教室出て話したけど、またあんなふうになるだろうし。場所もないし、難しいと思う〉


 ――今更だけど、なんで俺はこんな言い方をしたんだろうな? 思えばこれが運の尽きか、さもなくば開きはじめだったのかもしれない。


《ナルホド!》と、深緑の奇妙な生命体(よく見るとイグアナっぽかった)のスタンプを日枝辰実は送ってきて、


〈じゃあ、


〈場所があれば、いいんだね?〉


     * * *


 それは3時半頃に学校が終わり、しっとりと雨の降る午後。


 俺と日枝辰美は、それぞれ傘を差して、いつもと少し異なる道を歩いていった。


 マンションや集合住宅が居並ぶエリアを過ぎると、一軒家が増えていき、お年寄りとばかり擦れ違うようになる。途中で知らないお婆ちゃんから会釈され、俺も頭を下げた。


 辰美が立ち止まったのは、シロツメグサやタンポポ畑の広がる敷地だった。寂れた公園のようにも見え、彼女に続いて足を踏み入れると、雨に濡れた草のいい匂いがした。


 その敷地の脇に、平屋建てがある。ここが目的地だったらしい。辰美は鍵らしき物を取り出すと、ドアのところでガチャガチャやっていたが、


「入っていいよ」


 引き戸を横ずらし、手招きした。


 玄関で靴を脱ぎ、家に上がった。長い廊下があり、広い畳敷きの部屋があった。一見したところ、旧い日本家屋のようだった。


「ここ何? 日枝さんの家?」


「ううん、家は別にあるよ。ここは昔、この学区の子供会に使われてたんだ」


「子供会?」


 なんとなく懐かしい響きだった。夏休みにラジオ体操をやってスタンプをもらったり、冬休みにクリスマス会をやったりするアレだろうか。


「うん。月1でここに集まって、催し物をやったりしてたんだけど。近所に住んでる子か少なくなって、子供会は解散しちゃったの。で、この建物は、元々うちのお爺ちゃんの物だったから、いまは私が使わせてもらってるんだ」


「へえ……」


 そういうことがあるのか。そういう施設を私的に利用できるってことは、日枝の家は昔この地域で勢力があった家系だったりするのかもしれない。


 そのへんは突っこむとややこしい話になりそうなので黙っていた。ただ、ここで何をしてるのか想像が浮かばなかったので、 


「使うったって、けっこう広いよな。何に使うの?」


「1人になりたい時とか、集中して勉強したい時とかね。ここならゆっくり話せるでしょ? あ、ちょっと待ってて」


 辰美は勝手(台所)の方に向かった。流し場で軽く手を洗い、冷蔵庫を開ける。


 冷蔵庫は大型だったが、大して物は入ってないみたいだった。麦茶やリンゴジュースのような飲み物と、オツマミがいくつか。


「何か…」


「さっきの部屋行っててくれる? くつろいじゃっていいから」





「………」


 言われた部屋に向かい、荷物を置く。


 白茶の畳が敷き詰められた、かなり広い座敷だ。端の方に木造りの座卓が置いてあった。長方形のものを繋げて、さらに長くした形。子供会があった頃は、ガキ共がこの上でテーブルゲームでもやっていたのだろう。


 そのへんに腰を下ろした。畳の上に座るのは久しぶりだ。


「おまたせ」


 皿に添えて持ってきたのは、クラッカーとチーズ、そして蟹蒲かにかまだった。

 練り物でカニを模した、赤と白が織りなすコントラスト。サラダなどに足してもいいし、これだけでもツマミになる優れ物だ。


 勧められるまま麦茶を手に取る。辰美も座卓の前に腰を下ろした。


「ね、いい場所でしょここ?」


 蟹蒲を剥きながら、自慢げに言う。俺は麦茶を飲みながら、クラッカーを囓った。


「ああ、わるいとは言えないな」


「いちいち面倒な言い方をするよね、申彦くんって…。でもここ、水道とか電気は止まってたんだよ」


「そうなの? でもさっきは――」


 台所で手を洗ったのを思い出し、そう言いかけると、


「あ、うん。私がお金入るようになってから、引いてもらったの。ネット配信とか、CMの出演料とかで」


「はぁ……なるほど」


 自然と溜め息がこぼれた。そこにめられているのは感心が半分、嫉妬が半分だ。


「場所がないって言ってたけど、これで問題解決だよね」 


 対する日枝辰美は、何やら上機嫌だった。学校で話している時と異なり、リラックスしているようにも感じられた。


 高校生が(もしかしたら大人も)羨むマル秘スポットなのは確かだが、ここで何を話せというのか。

 話を聞くのは好きな方だが、自分からは話をふれず、自己紹介カードではいつも趣味・特技の欄に悩まされる俺である。提供できる話題も、披露できる芸もない。


 その疑問のままに、呟いてみる。


「なんで自分なのか、分かんないな。友達がほしいなら、俺でなくてもいいんじゃない?」


 辰美は割いた蟹蒲を頬張りながら、


「ワタシ、苦手なものは克服したいタイプなんだよね」


 軽くせた。苦手なものとは、随分ヒドイ言いようだ。


「弱点だから呼ばれたのかよ……」


「エヘヘ、ごめんね? でも友達になりたいのは本当だから。それに――」


 言いかけたのを途中で止めた。彼女にしては、珍しい。まだそう長い付き合いではないが、こんなふうに黙りこむのは初めてだった。


「何?」


 しかし、それを俺に伝えようとする意志は固かったようで、決心したように顔を上げた。


「ワタシ、どうしても申彦くんに、伝えておきたいことがあるの」


「伝えておきたいこと?」


「申彦君。あれから、考えたんだけどね、」


 キッと効果音が鳴りそうなほど凜々しくも美しい貌でこちらの方を見つめ、俺にしてみれば、まったく信じられないことを、日枝辰実は言った。


「すぐ人をブロックするの、良くないと思う」

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