第4話 ブロックされるのって、やだよね

「みんな、おはよう~。って言うほど、まだ人来てないみたいだね」


 日枝辰美がそう言って入ってきたこの日も、一見いつもと変わらない一日の始まり方だった。


 あくまで一見。表面上は。


「おはよう申彦くん」


「ああ。おはよ……う?」


 笑顔のまま俺がいる席の隣に立った辰美。


 近くから見ると昨日とは異なり、無理な作り笑いを顔に貼り付けているように見える。


 これはもしかして………怒ってる?


 でも、どうして? そうなる理由が見当たらない。


「どうかした? 今日はかなり、早いけど」 


「昨日の班のことで、ちょっと気になることがあって。一緒に来てくれるかな?」





 教室を出た日枝辰美についていく。


 渡り廊下をわたって向かったのは、別館の方だった。


 こっちの校舎は特別教室や文化系クラブの部室か集中し、授業が始まらないかぎり人は来ない。

 それほど余人には、聞かれたくない話があるということ。


『せっかく連絡先交換したんだから、そこに送ればいいのに』と思ったが――いま思うと、それを口に出さないで良かったとつくづく思う。


「どうしたの、こんなとこまで来て。なんか大事な話?」


 代わりに、俺が尋ねたのはそれで。


 ちょうど日枝辰美は、空間の大きな隅の方で立ち止まったところだった。タッと音を立ててこちらに向き直ると、俯きがちに声を出す。


「ねぇ、申彦くん。なんで――…」


 大きなめを作ってから、


「なんでワタシ、申彦くんからブロックされてるの?!?!」


「え、ブロック――?」


 そう。

 それは設定すれば相互に連絡を取ることが不可能になる、あのネットワーク上に存在する〝心の壁〟のことだ。


 もし本当にブロックされているとすれば、ここに呼ばれたのも当然と言える。お互いメッセージは送れなくなっているはずだから、こうやって面と向かい、その真意を問い質さざるを得ない。


 もしブロックされていれば……の話だが。


「わたし、申彦くんになんか悪いことした? 気づかないうちに、君の気分を害しちゃったかな? もしそうだったら、教えて欲しいんだけど……」


 これ誠に危急存亡の秋なり、と述べた諸葛孔明も慌てふためき愚策を弄してしまいかねないほど、わらにもすがる態度で尋ねてくる。俺からブロックされてしまったことが、気になってしょうがないといったご様子だ。


「いやそう言われても。ブロックなんて、日枝さんにそんなこと――」


 けどそう、ブロックなんてするはずない。だって昨日連絡先を交換してから、日枝辰美なる人物のアカウントには一切触れてないし、登録できてるのか確認さえしていないんだから。  


 と、言いかけたが、そこで。


「――あ、いや、待った」


 俺の脳裏に甦ってきたのは、入学間もない頃、

 桜舞い散る窓際で、はじめて日枝辰美とすれ違った時のことだった。


   > > >


「こっちかな」


 俺の通う学校:私立植花学園の、入学式があるその日。

 掲示板で自分が所属するクラスを確認すると、俺は配られた地図を頼りに、廊下を歩いていった。


 ふと。


 俺の隣を、少女が通りすぎていった。


「―――っ」


 素肌と制服が織りなす、白と黒の残像。ほのかな、桃の花のような香り。


 それが美少女であった、と認識するのさえ遅れていた。ただ、匂いやかな容姿と、凡人とは異なる雰囲気をまとっていたのは確かで。


 それまであった現実がゆらぎ、触れられなかったものが、――いや、見ることさえ叶わなかったものが、眼前をよぎったかのような不思議な感覚。


 窓から入りこんでくる風にも、花の香りが付いたように感じられるのは、あるいは錯覚か。

 その風は続けて、衆生しゅじょうの囁きを運んでくる。


「この学校まじで日枝辰美かいるんだ~信じらんないんだけど!」

「実物の方が可愛かったねー」

「ねぇねぇ、一緒に写真撮っていいか頼まない?」


『……なんだ。よく知らんが、この学校有名人がいたのか?』


 俺もまだ、これから始まる新生活に一縷の望みを抱いていた時期でもある。


 話題に乗り遅れたらいけないような気がして、スマートフォンで〝ひえだたつみ〟という名前を検索してみた。


 すると、何人か候補がいる中で、該当する人物がトップに出てきた。


 プロっぽく加工された写真――ちと癪だが実物の方がどうのという意見には賛成だ――が、SNSのプロフィール画像に設定されている。


 そこに掲げられているのは、どこの雑誌に出たとかWEB配信がどうのとか、見も知らない情報の羅列。

 だけど。彼女がした発言や投稿はどれもこれも、俺なんかとはケタ違いな――1つや2つどころか3つや4つは違う――数の、イイネと引用がなされていた。


 彼女が去っていった方角を見る。

 俺の1年生のクラスはすでに目の前にあり、日枝辰美は別な教室へと消えていった。


 どうやらクラスは違うらしい。けど学園も同じだし、生活していれば目撃したり、擦れ違ったりすることがあるだろう。


 このあいだ義務教育を終えたばかりなのに、高校入学の段階でフォロワーが2万を超えている、あの信じられないような名声の持ち主と。


『日枝辰美。こんな大物が同じ学校に、同じ空間にいるってのか? こんなのもう、迷わず――…』


   < < <


「即ブロック」


「なんで?!?!?!」


 話を聞かせていた辰美が、驚きの声を挙げた。


「そこはブロックじゃなくて、フォローしたり、お気に入りに入れたりするところだよね!? 何か話聞き飛ばしたかなっ?」


 辰美は、完全に取り乱してしまった。


「…あ、わかった、ボタン間違えて押したんだ。まだ間に合うよ? チャンネル登録は、コ・コ」


 ウィンクしながら笑顔で画面上のボタンを示してくる辰美。


 そこには営業スマイルだけに終わらない、人を温かくする愛嬌が溢れていた。それはたぶん、一般人がどんなに欲しがっても得られない、天性のものだ。


 が――思い出した以上は、本当のことを答えてやるのが人情だろう。


「……あ、いや、間違ったわけじゃない。俺は間違いなく、自分の意志で、君をブロックしたんだよ」


「自分の意志で? …理由、聞いてもいいかな?」


 真剣なまなざしで、耳を傾けてくる日枝辰美。そこから相互理解のヒントを得ようというのだろう。


 彼女が納得いくとは思えないが、仕方ない。感じていること・思っていることをありのまま語ってやろう。


「いや、だってさ。俺と年も変わらないってのに、比べものにならないくらい、格の違う有名人がいるんだぜ?

 そんなの見たくないし聞きたくないし、話題にさえしたくない。最初から余計な情報が入らないよう、ブロックするに決まってるじゃないか?」


「え――…」


 俺の発言を聞き、辰美はあまりのショックに蒼然となった。

 文字どおり青ざめた。


「なんで?? どうして???」


 どうやら、本当に理解できないらしかった。どうも俺の存在は彼女にとって、完全なイレギュラーであるようだ。

 未知なる生命体を目の当たりにされているみたいで少々つらい。俺が変なのだろうか?


 いや、そんなことないだろう。こんなの、誰もがやっていることだ。

 ただ学校の人間は誰も、辰美の前でそうした態度を見せなかったというだけのこと。


 わかりやすい例を引き合いに出して、説明を試みることにする。


「何も不思議なことはないって。話が合わない相手はブロックして、情報を遮断し、最初から見えないようにする。そういうことは、大人だってやってるだろ?」 


「そういえば……。たしかにこの前も、偉い政治家や芸能人や研究者が、『あなたとは意見が合わないから』って言ってブロックしているのを見たわ」


「だろう? つまり尊い地位にある人間も、話が合わなければ当然のように他人をブロックする。ソレが健全なコミュニケーションであると、示してくれているんだ。

 だとすると、いま大人になりかけている俺たちが、それを見習うのは当然の話。そうすることで効率よく時間を使い、自分に害を及ぼす感情をシャットダウンすることができる。

 自分から見て・聞いて・嫌な気持ちになってたら世話がないからな。そんなものは最初から、存在しなかったことにするのが一番だ。


 じゃあ、そういうことで」


「待った!!!!」


 俺は背を向けかけたが、辰美は納得しなかったらしい。


 参ったな……テストの論述問題でもこんなふうに書きたかったと思われるくらい、完璧な解答だったと思うのだが。


「……そんなこと言われたって、解んないよ。ワタシ、ブロックってしたことないし」


「…そうなの?」


「うん。中学でもよくブロックされたとかしたとか、みんなそういう話してたけど、私自身は一度もしたことないもん」


 これには驚いた。


 辰美ほど有名であれば、あまり目にしたくないような、口さがないコメントも入るだろうに。それを自分からは、ブロックすることがないというのか?


「それに………自分がブロックされるとは、思ってなかった……」


 日枝辰美は悔しそうに、ぎゅっと、柄の付いたスカートの端を握り締めた。


 俺から人生最初の初ブロックをくらったのが、よほどショックだったらしい。あの有名人が、まさかここまでダメージを受けるとは誰が思うだろう?


「ま、まあ俺も、よく考えると、親しい相手はまだブロックしたことないや。一生かかわらなそうな、縁遠いやつら限定だ」


「それって、私が縁遠い存在ってこと? 私、申彦くんと同じクラスメイトなんですけど…?」


 美少女と呼ぶほかない顔を曇らせ、ジト目で突き刺してくる。


「いや、その時はまさか、自分と関わることになるとは思ってなくて……」


 クラスが同じというだけで、仲間と考えるところはさすがに博愛主義者らしい。『こんなのどうせ今だけの付き合いだろう』なんて考えは、つゆほども持たずにいるにちがいない。


 それが突然、一切連絡が届かない、繋がらない状態にされたのだから、こうなってしまうも当然かもしれない。


 どんなお日さまも、雲がかかれば隠れてしまうし、そのままずっと隠れたままでいれば、他に新しい太陽が現れたのではないかと気にもなる。そんなことを伝えていたのは、どこの国の神話だったっけな。


 ともあれ、俺は事情を理解して、


「わかった。とにかくブロックは解除しておくよ。それでいい?」


 答えた。これで万事解決。波風立たずに日常へ復帰。と思ったのだが。


「うん………そうしてくれると、嬉しいけど……」


 辰美は何やら、釈然としない様子だった。


 時計を確認すると、後3分ほどで朝のHRが始まるところだった。ゆっくり話している時間はなさそうだ。


「用件も分かったし、俺は先に戻るよ。日枝さんは、後からでいいから」


 俺が歩きだした時も日枝辰美は、相変わらず納得できないような、何かつっかかったような面持ちで突っ立っていた。


 教室へ戻り、席に着く。ついでに、約束どおりブロックも解除しておいた。


 ドアの方を見ると、ちょうど日枝辰美が入ってくるところだった。ちらとこっちを窺ってから、自席へと向かったのがわかった。


 先に戻ったのは、俺みたいな一般人と一緒にいるところを見られたくないだろうと思ったからなのだが、それはまあ、言わないでおいた。


     * * *


 で、

 日枝辰美からメッセージが入っているのに気づいたのは、昼休みになった頃。


 それは、こんな内容だった。


〈ブロック解除してくれてありがと! 思ったんだけど、


〈今度、ふたりで一緒に遊ばない?〉


「…………へ?」

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