第3話 Win-Winの関係

「あ? Win-Winの…カンケイ?」


 どちらも勝つ、互恵的関係を意味しているのは解ったが、

 どうしてこれがそれに当てはまるのかサッパリだった。


「一休寅江が1人で残ってたから、辰美が助けてやった……って言いたいのか?

 他の連中も、そんなふうに呟いてたのを見たけど」


 そんな自分が惨めになるようなお節介。俺が一休の立場だったらいい迷惑だと思いそうなものだ。


 が、卯砂斗が言いたいのはそういうことではなかったらしい。


「ノンノン。それもあるけど、大事なことを見落としてるよ。助けられたのはむしろ、辰美サンの方さ」


「なんだって?」


 卯砂斗は用を足し終え、洗面台の方へ移動しながら続ける。


「さっきの状況、『どこの班が日枝辰美を獲得できるか』で競っていた。あのまま行けば日枝辰美は、あの中からどこかを選ばなければならなかっただろう。

 でも、彼女自身は、あまり決まった相手と仲良くしたくないんだよ」


「どうして。自分だって目立つんだから、同じように華やかな奴らと仲良くしてればいいんじゃねーの?」


「レヴェルが違いすぎるのさ」


 自分自身にも諦念を感じさせる肩のすくめ方だった。


「日枝辰美は、ネットやなんかでも有名な、本当の影響者インフルエンサー

 それだけ影響力があるから、学校でも誰か特定な個人、特定なグループとだけ仲良くなると、クラス全体のパワーバランスが崩れてしまうんだ」


「パワーバランス?」


「うん。今はクラス替えして間もないから、まだお互いの性格も、人柄もわかっていない状況だ。

 もしかしたら誰かが、学校やSNSでの発言力を高めるために、『自分は日枝辰美とこんなに仲が良いんだ』と自慢して回るかもしれないし、今日はどこで何をしたのと、プライベートな情報を流されるかもしれない」


「それはまた。想像しただけでかったるくなるような状況だな」


「だよね? だから日枝辰美としては、そんなことが起こらないよう程々に、平等に付き合っていきたい。たぶんそれは、彼女自身がこの学校生活でよく心がけてる事じゃないかな?」


 そこまで聞いて、俺は卯砂斗が言わんとすることを理解した。


「――なるほど。それで孤立していた一休寅江と、近くにいて偶然数が合っただけの俺たち。

 わざとそういう微妙な相手と班を組むことで、トラブルを未然に防いだってことか」


「そゆこと」


 一見クラスメイトたちには、あぶれ者になってた者たちを助けるように見えた。


 しかしそれは、あくまで表面上の話。実は日枝辰美にとっても、重要な班決めを望ましい結果で終わらせることができた。


 これが、日枝辰美の処世術。


 知りたくもなかった、駆け引きの実態を聞かされて、俺はただ一言、


「めんどくさ」


 つい本音が漏れた。班決めごときで政党政治さながらの駆け引きなど馬鹿馬鹿しい。


 俺も手を洗う。鏡ごしに卯砂斗が、制服のポケットから取り出したハンカチを広げながら、


「それでも、ボクら現代っ子はそういう面倒くさいことを重ねていくのさ。

 誰もが自分の幸せを、願ってるのなら――ね」


     * * *


「あ、いたいたっ」


 教室に戻ると、日枝辰美が俺たちのことを探していた。走ってくるだけで今朝電車の中で見た清涼飲料水のCMを思い出させるような、そんな女子校生ぶりである。なんでああいうのって制服着て無駄に爽やかなのが多いんだろ。昔からか。


 で、何の用かと思っていると、 


「申彦くんの連絡先、教えてくれる?」


「え?」


 あの日枝辰美が、俺の個人情報を欲している……? 


 なんのつもりなのだろうか。もしかしたら、アイドル事務所や広告代理業者に売って、欲しくもない宣伝メッセージを毎日配信してくるつもりなのかもしれない。


 個人情報の取り扱いには慎重にならなければならないと、俺は小学生の頃から、否、幼稚園児の頃からそう聞かされ育てられてきた。いまこそ、学んだことを生かす時だ。


「そんなの聞いて、どうすんの…?」


 怪しまれぬよう、慎重に探りを入れた。


「どうするって……同じ班の話し合いに使うに決まってるじゃない」


「ですよね」


 こうして俺、東照宮申彦と、日枝辰美は連絡先を交換した。それを終える頃には、辰美はなぜか笑顔になっていて、


「くすくす。申彦くんって面白いね~。これからヨロシクね?」


 何が面白いのかサッパリだが、この表情を見て、心躍らずにいられるのは俺くらいのものだろう。


「ああ、うん」


「ボクもよろしく~。この班のグループ、作っておこうか?」


 横にいた卯砂斗が提案した。彼も同じ班なので途中から加わり、ちゃっかり連絡先を交換していた。


「あ、卯砂斗くん助かる! 寅江ちゃんにはさっき聞いたから、私から招待しておくね? それじゃ、また明日」


 彼女は俺たちに手を振ると、早々に背を向けて教室を出ていった。


「あらら、辰美たん冷たいなぁ。さすがに彼女くらいになると、ボクの本性もイロイロ見透かされてるのかも……残念」


「なんだよ。さっきトイレでしてた分析はどうした」


 得々と語っていた悪友に、葉っぱをかけてやったが、


「いやあ、あれは一歩引いたとこから分析してただけだよ。いくらボクでも彼女くらいになるとねえ。万が一どうにかなったら、ネット上を騒がせるスキャンダルになってしまうかもしれないし」


 それはまた、面倒なことだ。


 だが、それは俺たちの共通認識でもあった。ただでさえ少なめな男子――言いそびれてたけど、うちの学校は女子の方が比率が多い――を見ていると、誰もが『日枝辰美とお近づきになりたい!』と一方では思いながら、同時に『いや自分じゃとても…』とも感じている。


 クラスで(あるいは学校で)1番人気の女子に対し大いに興味はありながら、それでかったるい出来事や騒動に巻き込まれてしまうのは、御免蒙りたいのだ。


 ま、俺みたいに関心や興味を最初から遮断してる人間には、縁のない話なんだけど。


 ちなみに。もう1人の班員である一休寅江は、すでに教室にはいなかった。先に帰ったのだろう。


 あのくらい周囲を気にしないでいられる人間を、少々羨ましくも思う。俺もいずれ現代人の戒めから抜け出して、何に対しても無感動・無関心、きりがない人間になりたいものだ。




 ……なんて。思ってた時期が私にもあったのですよ。


 俺自身がすっかり忘れていた行為のせいで、

 誰もが仰ぎ見ていたこのクラスの中心:日枝辰美を狂わせてしまうのは、翌日のことである。

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