第3話 アルバイト初日 1

「咲良ちゃん、一緒に帰ろ」


 階段教室の一番後ろまでやってきて、小首をコテンと傾げた可愛らしい子犬が、いや陽向が、咲良にしっかり視線を合わせて言った。

 周りのザワメキがピタリと止まったのは、驚き過ぎた咲良がフリーズしたからではないだろう。実際に教室にいた全ての生徒が、喋るのを止めて咲良と陽向に注目していた。

 咲良に話しかけないのは、言わずもがなな教室内の不文律だ。咲良の人を寄せ付けない雰囲気のせいでもあるが、自分が咲良に話しかけるなんて烏滸がましいという一般庶民的感覚からきていた。


 その不文律を破った強者に対する憧憬と嫉妬の混じった男子の視線の中、陽向はニコニコとした人好きのする笑顔を崩さず、咲良の返事をジッと待っている。


(え? この可愛い陽向君と一緒に帰るの? しかも、名前で呼んでくれたよね? )


 沙綾の脳内のパニック状態は、その表情には全く反映されておらず、ただ無表情で陽向をジッと観察しているように周りには映った。普通の男子ならば、この状態には三秒も耐えきれず、きっとすぐに「自分なんかが声かけてごめんなさい! 」と叫んで逃げ出すんだろうが、陽向は一分はそのまま耐えきった。


「今日、バイトでしょう? 僕もシフト入っているからさ。ね、一緒行こうよ」

「……バイト」


 咲良はなんとか頷くことで了承を伝える。その動作を見守っていた全生徒が、緊迫した雰囲気を脱したように息を吐いた。

 帰り支度をした咲良が陽向の後について教室を出ると、教室内はドッと騒がしくなった。


「あ、あの、ひ……上杉君」

「陽向でいいよ。みんなヒナって呼ぶし。僕も遠藤さんのこと咲良ちゃんでいい? ほら、バイトの同僚だし、大学の同級生だし、もうお友達だよね」


(陽向君とお友達! これって夢? まさかの夢オチとかじゃないよね?!)


 咲良は、ゆっくりと、でも大きく一回首を縦に振った。それを見て、パアッと咲き誇るような笑顔を浮かべた陽向に、咲良は脳内で悶絶して転がり回る。


(可愛い、可愛い、可愛いッ!!!)


 バイトへ向かう道すがら、陽向が人懐こい性格をしているからか、相槌をうつしかできない咲良に、陽向は楽しそうに色んなことを話しかけてきた。厭味なく咲良のことを褒めたり、大学のこと、バイトでの失敗談や面白いお客さんのこと、陽向の話題は豊富で、しかも他人を貶める内容がない為、聞いてて耳に気持ち良い。

 いつもは無表情が多い咲良も、見慣れた人(親兄弟)が見ればわかるくらいには、笑み(唇の端が三ミリ程上がっていた)を浮かべていた。

 そんな咲良の顔をジッと見た陽向が、心底嬉しそうに喉を鳴らした。


「咲良ちゃん、機嫌良さそう。すっごい可愛いな」


 まさか、わかりにくい自分の笑みを汲み取ってもらえるとは?! 

 しかも可愛い? 

 綺麗とか美人とかは言われ慣れているが、可愛いと言われたのは幼稚園入る前か……いや、赤ん坊の時だって「目鼻立ちのハッキリした美人ちゃんね」とか、「綺麗な赤ちゃん」と言われていたらしいし、もしかして「可愛い」と形容されたことはなかったかもしれない。


(初めての可愛いいただきました!!)


 咲良の頬がほんのりピンクに染まった。


 ★★★


 クールビューティー。大学での咲良の二つ名だが、クールというか、まるで人形のように綺麗に整ったその顔立ちは、感情の振り幅が少ないようで、話しかけてもあまり反応がない。


(反応薄っ……)


 女子に受けの良い笑顔を振りまきつつ、陽向はバレない範囲で咲良の胸をチラ見する。ル○ン三世のフジコちゃん並みのナイスバディは眼福です。バイトでスカート不可だからか、身体にピッタリフィットしたスキニーズボンに、ボーダーのワイシャツを前だけインしているんだけど、盛り上がったワイシャツの前身頃は、ボタンがはち切れそうだし、ズボンはお尻の形そのまま丸わかりで、ムチッとした太腿からキュッと細くなる足首に向かって真っ直ぐ伸びる足はモデル並みに長い。

 いつも履いているヒールじゃなく、ペタンコのスニーカーだから身長も陽向よりやや低くて、キスするのにちょうどいいよな……なんて喋りながら妄想する。まぁ、キスなんかよりその魅力的なオッパイに顔を埋めたいんだけど。


 八割顔、二割オッパイを見ていたら、ほんの僅か咲良の表情が変わったのに気が付いた。多分、オッパイ見ていた瞬間に変わったからだと思うが、口の端が僅かに弧を描き、クールというか能面のように表情のなかった顔が、少し……本当にちょっとだけれど楽しげに見えた。


「咲良ちゃん、機嫌良さそう。すっごい可愛いな」


 陽向がそう言った途端、表情はそのままにほんのりと頬がピンク色に色づいた。


(えっ?! 照れて無いか? )


 クールビューティーの分かりにくいけれどあまりに可愛らしい変化に、陽向はお腹の奥がムズムズするような感覚を覚えた。


(表情が変わりにくいから分かりづらいけど、実は照れ屋さんなんじゃないのか? こんか美人さんなのに、褒められ慣れていない? いや、“可愛い”がツボなのか? )


「咲良ちゃんて、いつもクール系の格好とかしてるけど、案外ガーリーな可愛い系も似合いそう。パッと見のイメージって当てにならないね」

「そう……かな? 」

「うん。形はガーリーでも色味をクールにしてみるとか、トップスをガーリーにしてパンツをクールにするとか、甘辛コーデにすれば、凄く咲良ちゃんらしさが出て可愛くなる気がする」


 咲良の口の端がヒクリと反応する。やっぱり可愛いに反応しているようだ。


「私らしさ? 」

「うん、綺麗と可愛いが混在している感じ? あ、でも、すでにハイレベルなのがさらにスーパーハイレベルになっちゃったら、僕なんかは話しかけられなくなっちゃうかも」


 アハハと陽向が笑いながら言うと、咲良はさらなポポポと頬を赤くした。


(何これ? 本当に可愛くないか?私が綺麗なのは世の中の常識よみたいな顔していつもクールにすましているのに、やばいでしょ?! 実は照れ屋で褒められなれてないとか)


 最初は咲良のダイナマイトボディにしか興味がなかった陽向(最低だな、誰だよそれ? 僕だ)が、咲良の見た目と内面のギャップに悶る。俄然咲良に興味を持った陽向は、スマホを取り出すと咲良をカシャとカメラで撮った。


「ごめん、あんま可愛かったから撮っちゃった。駄目だった? 」


 スマホを唇の下に持ってきて、ごめんねのポーズをとる。普通の男がやったらキショイポーズも、陽向だから許されるのである。


「いや、別に、駄目じゃなぃ……」

「じゃ、待ち受けにしよっかな」

「え……っと」

「だって咲良可愛いんだもん」

「え? えっ? 」


 一気にちゃん付けもとって距離を詰めてみた。ニコッと微笑みかけると、明らかに狼狽えたように視線が動く。それなのに表情が変わらないとか、表情筋が死んでるとしか思えない。


「ね、アドレス交換しよ。ほら、スマホ出して」


 咲良はワタワタとスマホを出したが、アドレス交換の仕方がわからないとか、そんなとこも意外で可愛いポイントが上がる。


(そっか、意外も可愛いなんだな。勉強になるなぁ)


 陽向があざと可愛いを狙っているのは、まさに女子受けの為だけだ。無害な可愛い系ワンコを演じていると、女子は勝手に警戒を解いてくれるし、スキンシップが好きな女子は、女友達のノリでベタベタしてくるのだ。そのついでにラッキースケベやワンチャンの機会が上がったりする。

 故に、どんな素振りや態度が女子をキュンキュンさせるか日々研究しているのだが、可愛いを研究している陽向から見ても意外性いっぱいの咲良には可愛いを沢山感じた。


(これは勉強になるかも)


 あくまでもいかに女子の懐に飛び込んでワンチャン狙えるかの為のゲスい勉強なんだが、陽向は大いに咲良に興味を持った。そのナイスバディ以外にだ。


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