第2話 本屋でのアルバイトを決めました

「……アルバイト募集」


 咲良は最寄りの駅前の本屋の前で立ち止まった。中をチラリと覗くと、眼鏡をかけたちょいポチャなおじさんがレジ前に座っていた。他にも主婦っぽい丸っとした人と、高校生くらいの女の子がエプロンをつけて働いていた。

 見る限り女性が多そうだ。

 本屋のアルバイトのチラシが目に入ったのは、陽向が本屋でアルバイトしていると聞いたからというのもあるが、別に陽向がここでバイトしていると思ったからではない。同じ本屋のバイト繋がりで、少しは大学で陽向と会話できないかな……なんて、ちょっと不埒な目的が頭によぎったからだったりする。

 大学の近くには大きな本屋が駅を挟んで二つあるし、まさか三駅離れたこの本屋で陽向がバイトしているなんて、咲良は全く思っていなかった。


 別日、咲良は本屋にアルバイトの面接申込みの電話を入れ、その日のうちに面接に呼ばれて、履歴書持参で本屋に向かった。

 レジにいたのは前見た眼鏡のおじさんで、「僕が店長の大津太一です」と自己紹介してくれた。履歴書を出すと、ホーホーと頷きながら履歴書を見、主婦のパートさんを手招きした。二人並ぶと、丸ポチャッとした感じがなんか似ている。


「玲子さん、彼女にバイト来てもらおうと思うんだけど、どうかな? 」

「まぁ、すっごい美人ちゃんね。いいんじゃない。はなちゃんが急にバイト辞めちゃったから、できれば明日からでも入ってもらえると助かるわ」

「そうだね。えーと、本屋のバイトって、けっこう肉体労働なんだけど、大丈夫かな? 」


 そう言えば、陽向もそんなことを言っていたなと思い出す。特に腕力に自信がある訳じゃないが、だからって非力な訳じゃない。「やん、重くて持てない〜」と大した重さじゃない物をヨロヨロ持つ女子は可愛いなとは思うが、咲良はそういうタイプではない。コメカミに青筋をたてながら、無表情で「全然大丈夫です」と、さらに重ねて持とうとして自滅するタイプだ。


「ボディビルダーが持つような荷物は持てないけど、十代女子の平均並みの体力と腕力はあると思います。高校時代図書委員だったんで、本の棚卸しや新刊の搬入、ポップ作りとかはしてました」

「あ、本好きな人? 」


 店長が嬉しそうに言う。丸い頬に押しつぶされて小さい目がなくなる。なんだろう、拝みたくなるような福々しい笑顔だ。


「そうですね。活字が好きです。特に好きなジャンルはないんですけど、どちらかというと、紙で読みたいタイプです」


 これは少し嘘だ。クールを装う為に、いつも本を読んでいたのは本当だし、読む本がなくて手当り次第図書館にあるいろんなジャンルを制覇したのも本当。ネットで読むよりも紙媒体派だ。でも、一番好きなジャンルは王道の恋愛物。可愛らしい主人公にキュンキュンし、その言動のあざと可愛いさに萌えまくっていた。


「もう、採用! 太一君、いいよね」

「うん、そうだね。あのね、実は玲子さん……僕のお嫁さんなんだけど、妊娠5ヶ月で、重い物を持たせたり高いとこの本の入れ替えとかさせたくないんだ。だから、玲子さんの指示で動いてくれるアルバイトを募集してて、基本彼女が出来たことだから、普通の女の子なら出来るんじゃないかな。お願い出来る?」

「はい、よろしくお願いします。あ、妊娠おめでとうございます」

「うふ、ありがとう」


 丸いと思っていたが、お腹に赤ちゃんがいるのかと納得する。玲子の照れ笑いした顔も福々しく、夫婦揃って穏やかなイメージだ。


 それから週に何回入れるか決め、一ヶ月のシフト表を制作した。咲良は週に四回、大学の授業が三時終わりの月•水は四時から八時まで、金曜日は授業が午前休みなので九時から十二時まで、土•日は他のバイトの人との折り合いでどちらか一日の九時から三時か、ニ時から八時のどちらかになった。


「こちらとしては融通きかせてもらえるのは助かるけど、本当にこんなに入ってもらって大丈夫? もう一人くらいバイト入れるつもりだから、そうしたらもう少しシフトもゆったり取れると思うんだけど」

「……多分。もし大学の勉強に差し障りがあるようなら、また相談させてください」

「大学生って、サークルの付き合いとか飲み会とか、いろいろあるでしょう? お友達と遊んだり、彼氏とデートしたり」

「サークルは入ってないので大丈夫です」


 大学ではまだ友達はいないし、彼氏は生まれてこの方出来たことないし、その問題はクリアです。全く問題なしです。……と、胸を張って言える訳もなく、咲良は表情も変えずに涼やかな眼差しで言った。


 あとは、他のバイトさんについて大まかな説明を受けた。

 平日夜に入るダブルワークの男性、咲良と同じ大学生の男の子、高校生の女の子、午前中だけ入る主婦がバイトのフルメンバーらしい。咲良が入る前に、週五で入っていたフリーターの人がいたらしいが、急に辞めてしまったので、その穴を埋める為のアルバイト募集だったそうだ。

 高校生と大学生の子は基本週ニの契約だったらしいが、今は辞めてしまった人の代わりに新しいバイトが決まるまで週四で出てもらっているそうだ。


「エプロンは支給だけど、洋服は自前だから、汚れてもいい格好で来てね。後、脚立に登って作業とかするから、できればズボンと平たい靴のがいいわね。じゃあ明日、四時五分前には来てね」

「はい」


 スキニーのズボンなら数本あるから、あれで良いだろう。靴は探さないとわからないから、何にでも似合いそうなスニーカーを一足購入して帰ろうと考えながら店長と玲子さんにお辞儀をして帰ろうとした時、店に男の子が一人走って入ってきた。


 ★★★


「店長、セーフ? 」


 陽向は頬を赤く上気させて、アルバイト先の本屋に駆け込んだ。


 本当なら今日はバイトの日ではない。急遽辞めたバイトの先輩の穴埋めで臨時に入ったシフトだった。店長達には言えないけど、先輩が辞めた理由(陽向宅での彼女とのバッティング)は多分(絶対です)自分のせいだし、シフトが増えてしまったのは自業自得ということで、甘んじてバイトの日数が増えることに同意したのだ。


「ヒナ君、五分アウトだよ」

「ウワッ、ごめんなさい。大学で友達に捕まっちゃって」

「いいよ、いいよ。裏で支度しといで」

「うん。あ、バイトの人? 決まったの? 」


 履歴書を持った店長の目の前に、ふんわりウェーブした栗色の髪の女性が立っていた。後ろ姿だけど、確実に美人だってわかる。ほっそいウエストに、魅力的なプリンとしたヒップ。ミニスカートから伸びる足は真っ直ぐで長い。折れちゃうんじゃないかってくらい細い足首は、絶対にアンクレットが似合う筈。身長はヒール履いてて陽向よりやや高めだが、まぁそこは大した問題じゃない。


 陽向の声に振り向いた女性は、切れ長の目を僅かに見開いたように見えた。


「あ……れ? もしかして遠藤さん?」


 もしかしなくても遠藤さんだった。あの魅惑的なオッパイが二つとある訳がない。いや、もちろんその整った顔立ちもだけど。


「ひ……なた君? 」

「やっぱり遠藤さんだ! 」

「あれ、ヒナ君知り合い? あぁ、同じ大学だね」


 店長は手元の咲良の履歴書を見て頷く。


「うん、同じ学部。遠藤さんもここでバイトするんだぁ。シフトは? あ、月水が被ってる。土日は半々かぁ。なんかバイト来るの楽しみになった」

「ヒナ君、咲良ちゃんは確かに美人ちゃんだからテンション上がるのはわかるけど、仕事はちゃんとしてね」


 玲子にデコピンされ、エヘヘと女子に受けの良いあざと可愛いと言われる笑顔を浮かべた。


「あったり前でしょ。玲子さんに無理させられないからね。バリバリ働くよ」

「もう! ヒナ君可愛過ぎ! 」


 玲子はワシワシと陽向の髪の毛を撫で回した。


「髪の毛がぐちゃぐちゃになっちゃうでしょ」

「うーん、可愛いわぁ。ヒナ君はうちの本屋のアイドルなの。中高生からおば様に至るまで、女性のお客様に大人気なのよ。おかげで売上も上がってね」

「そうそう。きっと咲良ちゃんが店頭に立ったら男性客も増えそうだね。芳信堂ほうしんどうは二人がいたら安泰だね」


 それは確かに。

 自分の見目が良いのは事実だし、咲良は日本人離れした正統派美人だ。何よりスタイルがいい。この二人がいれば客寄せ効果無限大だろう。ただ、咲良の場合は要注意かもしれない。下手したら店はストーカーで溢れそうだ。


 咲良の美貌は文学部だけでなく、W大全ての学部に轟いているし、何なら他の大学でも有名らしい。彼女を見る為だけにW大に忍び込む奴も多数いて、そのあまりの多さに、大学内に入る時に学生証の提示が義務付けられたくらいだ。そんな超超有名人の彼女は、四方八方から寄せられる秋波を見事にスルーして、いつも一人で授業を受け、誰一人寄せ付けることのない凛とした表情と立ち居振る舞いで帰って行く。まさにクールビューティーの名にふさわしい。


 見た目はともかく、あのダイナマイトボディに興味がない訳じゃなかったが、自分とは住む世界が違う人種として、今までは目の保養的存在でしかなかった。


(もしかして、ワンチャンありかな?)


「失礼します」と、華麗なお辞儀を披露して店を出て行く咲良の後ろ姿を眺めながら、可愛らしい笑顔の下でゲスいことを考える陽向だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る