第19話 統合作戦第一号

 日本 首相官邸 総理執務室


 総理執務室には各メディアの夕刊や号外、ネットニュース等のコピーが山のように積まれていた。


 これを田元官房長官や総理補佐官たちと総出でとにかく全てに目を通す作業が続いていた。

 室内にはテレビやラジオの声もずっと流れ続けている。ずっと防衛出動についてのニュースが続く。

 防衛出動が国会承認という大事件。メディアの伝え方一つが世論に大きな影響をもたらす可能性があるなかで間違った情報、不正確な記事には先手を打っておきたかった。

 嶋森としては、これからの決定の指針の参考に自ら目を通しておきたかった。


「ふぅ……」


 田元官房長官が眼鏡を外して目元を擦る。

 彼もだいぶ歳だなと嶋森は思った。


 そう言えば、もっとお歳の天田先生は元気にしているだろうか。出来ればこの決定がための閣議の前に会いに行きたかったが、そんな時間は無かった。


「報道だと、世論は賛成が多いようですね。僅差ですが……」


「まあな。メディアによって世論調査の結果にバラけはある……」


 嶋森の手元にはとある新聞の夕刊が開かれていた。この新聞社の世論調査では『防衛出動に賛成か反対か』との問いに対して、賛成が4割、反対が3割、どちらとも言えないが3割といった具合だった。


「ん……?」


 嶋森は何か違和感を覚えた。一つ、新陽新聞だけが他とどうも写真の選出が違う。

 他の新聞社は必ずどこかに炎上するせとぎりの写真を持ってきているが、ここはそれが全く見当たらない。


「総理もそろそろ統幕の方へ」


「ああ、分かった」



 官僚に声を掛けられて、嶋森は車へと乗り込んだ。

 首相官邸から統合幕僚監部のある市ヶ谷まで車で約10分。


「おっと……!」


 急ブレーキが踏まれた。

 気付けば前方が騒がしい。


 嶋森は防犯用である暗幕を少しめくって前を覗き込む。

 そこにいたのはデモ隊の列だった。


「戦争反対!」


「人殺しで得た食べ物は要らない!」


 そんな声が聞こえてくる。

 嶋森は気が滅入った。そういう意見があるのは分かっていたが、それを肉声で直接聞くというのはまた違った響き方をする。


「失礼しました。迂回します」


 ドライバーは車を切り返すと、あまり見ない道路へと入った。

 嶋森には見慣れた東京の街が少し違うものに見えた気がした。


 ************************************

 ニワント王国 仮設日本大使館


「クソッ……」


 影山は画面が暗転したPCに向かって、つい悪態が出た。


 停電していた。

 アチット地域に敷かれていた送電線がカミン王国軍の攻撃でやられたらしい。

 ここまで繋がれてたタオヒンの郊外にいるというアニンとの通信も途切れてしまった。

 夕方ではあったが幸いにも、非常用電源が電灯を灯したことで暗闇の中では無かったが、ネットワークは完全にダメになったらしい。


 連絡要員として影山大使をはじめ数名の防衛駐在官駐在武官を含む外務省官僚のみが残っていた。

 政府から既に防衛出動決定の報は自分達には伝えられたが、まだアニンに、ニワント側には伝わっていない。


 明日の朝には自衛隊が到着する予定だ。

 しかし、その事情を知らないニワント軍から敵と誤認されて攻撃されるかもしれない。

 この東側の地域ではカミン軍がゲリラ的な攻撃を行っているらしく、対処に当たっている東部ニワント軍はかなり気が立っているようだった。


 ならば、外交官である自分が伝えに行くべきか?

 公用車はあるが、タオヒンまで行くのは遠いし危険だ。

 東部ニワント軍を統括するのはマボドフ侯爵。合同演習のときに顔合わせはしていた。

 とりあえずは彼に伝えれば、自衛隊が誤認されるのは避けられるか?


 しかし、彼がどこにいるのか分からない。

 むやみに外に出ていけば、カミン軍に殺されるかもしれない。


 通信が全く途絶えるというのは現代ではなかなか想定しにくい、盲点だった。


「ここは自衛隊の到着を待つしかないのか……」


 ************************

 日本海 西部 いずも艦内


「改めて、本作戦の総指揮を取る陸将補の松間だ。本作戦は自衛隊で初めての大規模な戦闘が予想されることは言うまでもない」


 ニワントとの合同演習でも指揮を執り、異世界の軍隊を目にした経験を買われて、松間陸将補がこの作戦の現場総指揮を任されいた。


 ふぅ、と松間は指令室で無線を切ると一端、一息ついた。


「大沼二佐、君も何か言うべきじゃないのか? 私と違って実戦経験者だ」


 一応、君の思っていそうなことは代弁したぞと松間は言葉を続ける。松間の言い方はどこか子供っぽかった。しかし大沼はなかなか口を開かなかった。


「いえ、隊員を死なせた私に何かを言う資格はありません……」


「だからこそ何か言うべきだ。皆、君が何を感じたのか知りたいはずだ」


 そう言うと、松間は大沼の背中をドンと叩き、マイクの方へと寄せる。

 マイクのスイッチが入り、艦内に雑音が走る。


「……。せとぎり艦長、二佐の大沼だ。先刻は私の指揮ミスが一名を死に至らしめた。私は艦長失格だと考えた。だが、そんな私は本作戦の特別アドバイザーを任された……」


 そこで大沼は言葉に詰まる。

 彼自身、松間と同じく経験を買われた選任なのは分かっている。それも実戦の経験だ。


「私はそのとき、これは償いの機会だと思った。亡き磯下隊員への償い。そして、二度と同じことを繰り返さないための改悟かいごの機会だと……」


 大沼は言葉に詰まる。本当は命を大事にして欲しいと言いたかった。

 だが、日本国民を護るために命を賭ける覚悟をしている隊員たちには無粋かもしれないと思い立ち、別の言葉に言い換えた。


「それから、ドック入りしたせとぎりの分まで頑張ってほしい」


 そう言って、大沼は松間へマイクを戻す。少しは、気が晴れたと感じた。


「んんっ……」


 指令室で咳払いが響いた。

 その主はいずも艦長の速水はやみだった。自衛官らしくない長めの髪に威圧感のある釣り上がった目の男だ。

 速水は自分そっちのけで話が進んでいたのが気に食わなかったらしい。


 一等海佐にもなって未だに、少し我が強いところはある。

 しかし腕は確かで、いずも艦長に任命されているのがその証拠だった。


「松間陸将補、現時刻はフタマルマルゴー20:05。現場到着は朝の予定ですが、作戦をもう一度確認しておいた方が良いのでは?」


「う、うむ……」


 速水のそれは上申というより命令のような口調だった。

 しかし正論ではあった。

 松間は作戦資料を机に広げる。


「おお、これは何度見ても荘厳だな」


 速水が満足気な口調で言う。

 確かに海自の編成は先日のせとぎり被弾の影響もあってか、やや過剰とも言える編成だった。


 横須賀の第1護衛艦隊より

 DDH-183 いずも(ヘリ搭載護衛艦)


 これを旗艦として

 DDG-179 まや (ミサイル護衛艦)

 DD-101 むらさめ(汎用護衛艦)

 DD-107 いかづち(汎用護衛艦)


 さらには任務の不透明性を考慮してより多様な動きをするためにいくつかの自衛艦も編成に加えられた。

 FFM-1 もがみ(多機能護衛艦)

 SS-513 たいげい(潜水艦)

 MSC-601 ひらしま(掃海艇)

 LST-4001 おおすみ(輸送艦)

 LST-4002 しもきた(輸送艦)


 他、上陸作戦がための輸送艇やエアクッション艇に補給任務等等を務める補助艦艇で構成された海上自衛隊史上、類を見ない大艦隊。

 輸送艦である、おおすみ・しもきたには陸・空の装備が満載されている。


 中でも特筆すべきは、いずもの甲板はF-35戦闘機の発着艦を可能にする改修がなされていることだ。元々は政治的配慮から実質的にヘリ空母として設計された、いずも型護衛艦。


 しかし、米国のアンダーソン政権が誕生し、外交において強固な単独行動主義を実行する。在日米軍の数は大幅に削減されることとなったが、日本政府や米国野党の頑張りも有って見返りに米国はいずも型護衛艦の早期改修にかなり協力的だった。


 結果、時の総理だった天田総理の意向もあり、ごく短期間でヘリ空母たるいずも型護衛艦はF-35戦闘機の発着艦が可能になった。

 そして、本作戦でも当然織り込み済みだった。


「では、作戦概要の確認を」


「本作戦は統合作戦第一号と呼称。作戦の最終目標はカミン王国軍を撤退させ、日本とニワントの貿易路の安定化させることにある」


「アチット港周辺への陸海空の大規模な上陸作戦後、要衝を確保。陣営を設置したのちは、海空による周辺区域監視、陸によるニワント軍との接触、通信網・補給網の整備に当たる」


 そこまで松間が説明する。

 速水は作戦名のネーミングはきっと松間の趣味だなと内心冷笑しながらも、話を大沼へ振る。


「大沼二佐、こちらの奴らも空母を持っているらしいがそれはいずもの敵、か?」


 速水は敵という単語を強調しながら何ともねっとりした口調で大沼に尋ねる。


「いや、飛竜の速度はヘリより遅い。F-35の速度に彼らは太刀打ち出来ないはず。そもそも近SAM近距離艦対空ミサイルの射程なら安全圏内から――」


 そこまで言って大沼は言葉に詰まる。それはつい先刻、自分が出来なかったことだろと、自責の念に駆られた。

 それを見かねた速水はフンッとあしらった。


「カミン王国軍に見せてやろう、本物の空母を!」


 この世界で、圧倒的な異質感を持つ鋼鉄の艦隊。


 それが確実にニワント王国の東海岸。アチットへ近づいていた。

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