第13話 大海原の炎

 日本 首相官邸 


 昼間だというのに突然、雨が降り出した。

 総理の嶋森は首相官邸に着くとハンカチでスーツを軽く拭く。


「総理、お久しぶりです。」


「おお、久しぶりだな。もう1ヶ月ぶりになるか」


 首相官邸に到着した嶋森に最初に声をかけてきたのは自衛隊のトップである山下幕僚長だった。彼と嶋森は1ヶ月ほど前のあの転移初日に会議で同席したぶりだった。


「事のあらましは聞いているが君も呼ばれたということはやはり……」


「はい、事態は穏やかではありません」


 少し遅れて防衛大臣の剣持も到着し、共に会議室へ入ると既に閣僚達が一堂に集まっていた。

 挨拶もままならないうちに外務省の職員が口頭とスライドを使って説明に入る。


「ニワントの影山大使によりますと本日、昼前にニワント王国最西端のルマシーキ地方に突如、武装勢力が侵入し住民を次々と殺害。さらに田畑や家屋等に放火を繰り返したとのことです。

 ニワント王国政府はこれをカミン王国による軍事侵攻と断定し、王国軍を出動させました。

 端的に言えばニワント王国とカミン王国の戦争です」


「戦争……」


 誰かが、あるいは何人もがそう呟いたかもしれない。

 正常性バイアスというものだろうか。心のどこかで戦争など起こらない。

 そう考えていたのかもしれない。

 誰しもが頭を殴られたような衝撃を覚えた。


「はい。しかし現状では西部のみの局地的な戦闘の発生であり、全面的な戦争になる可能性がどれほどあるかは定かではありません。

 現に多くの日本人がいます東部では戦闘の発生は見られず、日本人や関連施設への被害報告もありません」


 ざわざわとしていた会議室も時間と共に落ち着きを取り戻し、閣僚達はこの事態を現実のものとして、そして余りにも危険であると受け止めていた。

 ニワント王国との距離は地球の日本と台湾よりも近い距離にある。

 "極東有事"なんて距離ではない。日本最先端の与那国島からニワントまでは100kmも無い。100kmとはもし音速を超える地球の戦闘機が最速で飛翔すればわずか2分でたどり着く距離だ。


 もちろん閣僚達はこの世界の主力航空兵器である飛竜がそんな速度では無いことは分かっていた。それでも事態がそれほどに切迫していると閣僚達が認識するには充分だった。


「武装勢力の目的がどこまでなのか読めないため、ここからの動向は未知数ですが徐々に東進しているとの情報もあるようです。

 そして、ニワント王国は自衛隊の出動を要請していますが……」


「総理、ここは集団的自衛権を行使して防衛出動をするべきです」


「あの……。少々、よろしいでしょうか?」


 会議室の耳目が一斉に1人の男に注がれる。

 その男は外務大臣の斎藤であった。

 普段、滅多に自分から発言しない影の薄い男であり、外務省の幽霊などと陰で渾名をつけられている。

 その男がこの期に何を喋るのかと視線が集まる。


「つい先ほど、影山大使に対してニワント王国のナスマバルト軍務卿より。"我々の勇猛なる兵達が敵を撃滅している。貴国の援軍など必要ない"と伝えてきたとの報告が……。あ、私からは以上です」


 会議室がしんと静まる。

 その静寂を打ち破ったのは嶋森だった


「派遣して欲しい、必要ない。全く逆の要請か……。ニワントの指揮系統が混乱しているのかもしれない。斎藤外相、至急ニワント政府に正式な判断の再確認を取ってくれるか?」


「それから法務大臣、防衛出動の可能性についてどう考える」


「天田内閣で閣議決定された憲法9条に基づく武力行使の新3要件がありますが……。まずは今一度、これを確認致しましょう」


 そういうと年増ほどの女性である法務大臣がスクリーンにスライドを映す。

 どうやらこの短時間で準備していたようだ。


(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること


(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと


(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと


「まず第一の要件ですが現状では日本の存立が脅かされているか、存立危機事態というものですね。これに該当すると言い切るのは難しいです。例えばカミン王国軍と思われる武装勢力の狙いがもしルマシーキ地方の武力による編入のみならば、それが日本の存立の危機になるとは言い難いです」


「また、第二要件の他に適当な手段が無い。これについても容易に言い切ることが出来ません。全く外交努力を尽くしてすらいませんので」


「なるほど。だが、もし東部まで武装勢力……。いや、日本もカミン王国軍と見よう。そのカミン王国軍が東部まで侵攻してからでは手遅れだ。少なくともその地域で戦闘が起きる前に現地の日本人の帰国を促したい。外務大臣!」


 自衛隊法の在外邦人保護には外務大臣との協議が必要だった。

 外務大臣の斎藤は嶋森に呼ばれ、少し動揺した。


「自衛隊法の第84条の3項の1号ですね。長いですので少し要約したものを準備しております」

 法務大臣が言われるまでも無くまたしてもスライドを切り替える。

 そこまで用意していたとは随分と用意が良い。


(1)当該地域の安全を現地の当局が確保し、戦闘行為が行われることが無いこと

(2)武器使用を含む自衛隊の活動について領域国が同意があること

(3)当局との連携や協力が見込まれること


「私は邦人保護に反対しません。ただ、実際にニワント政府に確認して同意を得なければなりませんが……」


 ぼそぼそと斎藤が言う。

 会議はさらに続いていった。


 ***********************************

 ニワント王国 王都タオヒン 王城 枢密院


 国王ショーハンはこれまでに無い程に神経が張り詰めていた。


「先ほどからナスマバルト軍務卿の姿が見えぬが……。こんなときに一体どこへ……」


 ショーハンが部屋を一瞥する。

 何度見ても武官も文官も一堂に会している中で軍務卿のナスマバルトの姿だけがそこに無かった。


「やむを得ない、始めよう。総参謀よ、戦況は?」


 総参謀と呼ばれた男。彼はニワントの全軍の最高司令官であった。

 戦略・戦闘の総指揮については彼が行い、戦争についての政治的な判断は軍務卿がし、それらをさらに統括し、最終的な判断を下すのが王の役目という役割分担がなされていた。


「敵はルマシーキを既に掌握、我が兵達も必死で戦っております。戦では守る方が有利ではありますが流石にこちらの全軍の2、3倍近く装備面でも不利な敵が一斉に奇襲してきたのでは……。既に西の都市はいずれも地獄と化しております」


「陛下、敵の狙いは王都! 陛下のお命です! どうか一刻も早くお逃げください」


 侍従の1人がそう声を荒げる。


「それは出来ない。この土地は太祖ニワヌティーナ王から受け継がれたもの。

 この土地と民を捨てて逃げれば私は愚かな王としてニワント民族の汚点となるだろう」


「陛下!! お言葉を返すようですが……!」


「まだだ、日本からの援軍の要請はどうなっている」


 ショーハンが恫喝するように机を大きく叩く。


「それが、先ほど返答がありまして……」


「援軍が来るのか!?」


 強張っていたショーハンの表情が少し緩む。

 しかし、話しだした外務卿の表情は何とも硬かった。


「いえ、それが何とも要領を得なくて……。そのまま読み上げ致します。

 えー、貴国領内の我が国の国民を保護するためにアチット周辺に自衛隊が武器使用を含む活動をすることに同意し、貴政府が当該地域の安全を確保し、我が国と連携することを要請する。

 また貴国軍務卿が自衛隊派遣について不要との伝達があった。これが貴国の正式な決定であるかの回答を望む」


「軍務卿!? ナスマバルトめ……。一体なにをやっているんだ……!

 自衛隊とは日本の軍隊の呼び名であったな。こちらにいる民の保護を名目に援軍を送ってくれるということでは無いかの?

 今すぐに同意すると伝えよ!」


 ショーハンの心境は怒りと焦りがい交ぜになっていた。

 斯くして、自衛隊が在外邦人保護へと派遣されることとなった。


 *******************

 ニワント王国 西の海域


「ハハッー! 頭ぁ! カミンの船がまた沈んでいきますぜ!」


「ガキみてぇに喜んでいる暇は無いぞ! 次だ次だ!」


 ニワント王国の西の海ではカミン王国海軍の軍船20隻に対してニワント海軍の軍船僅か5隻が元海賊のタプスの指揮の元で数を物ともしない奇跡的な善戦を続けていた。


「左方向! 魔導士ども! 水魔法だ!」


 タプスの指示で魔導士たちがカミン軍船の手前の水面めがけて水魔法をかける。

 海にたちまち巨大な水柱が生まれ、カミンの軍船はバランスを失って転覆する。

 元は20隻あったカミンの船は半数近い数になろうとしていた。


 この魔導士たちは元海賊ではなくニワントの魔道学院で研鑽を積んだ精鋭達であった。彼らの魔法技術が高度な攻撃や機動を可能にしているのは元より、国王から与えられたそれに耐えうる最新鋭の軍船や武器。

 海賊だったころタプス達は古臭い船に乗り、鈍らの剣を持ち、魔法が使える数名と共に海で生きるために非道な行いをしていた。そしてカミン海軍に追い回される日々を送っていたタプス達はその恨みを士気の高さに変えた戦いを繰り広げる。


「ふん、海戦を知らぬカミン共め。3番、4番船にあの孤立している船を衝角で狙えと魔信しろ」


 海では遮蔽物が無く、奇襲などの絡め手は取りづらい。

 よって海戦では陸以上に船の性能、そして指揮官の指揮能力が重要となる。


 海原に矢が飛び交い、魔法が放たれ、ときに船が衝角をぶつけ合う。

 そして時としては、船に乗り込んでの白兵戦が繰り広げられる。

 それがこの世界の海戦の常識であった。

 この奇跡的な善戦は何よりもその全てを知っていると自負するタプスとその指揮能力の高さにあった。


「なんだ……。感じたことの無い、潮の流れ……。まさか日本軍か。

 ふん、まあいいだろ。あの巨船ならせめて良い盾くらいにはなるだろう」


 歴戦の船乗りにしか分からない僅かな潮の流れの変化をタプスは感じた。

 あの時見た、仄暗い巨船をタプスは思い出す。その性能までは正確に計れないタプスだったが少なくとも矢避けぐらいにはなるだろうと考えていた。


「頭ぁ! 遠くに、平たくて細長い船が! 船から飛竜が来ます!」


「奴らは本当に海戦を知らんらしいな。海での飛竜など、矢の的でしかない言うのに」


 飛竜の主たる攻撃手段である、炎のブレス。

 それを海に浮かぶ船に正確に当てるためには当然、低空を低速で飛ばなければならない。それは船に乗る数十人が一斉に弓を構えれば単なる動く的にしかならなかった。

 そのため海戦で飛竜を使うことはほぼ無い。索敵か、攻撃手段に使うとしても孤立している船を狙うのがせいぜいであった。

 それがタプスの知る海戦の常識であった。


「そっ、それが頭ぁ! 数が! 50はいます!」


「馬鹿言え! 船に50体も竜が乗せられるか!」


「で、でもぉ……。本当にあの細長い船から……」


 タプスが空を見ると空に無数の姿が見える。

 徐々に近づいてきたそれが鳥や虫では無いと気づく。


「ふざけやがってぇ!! 者ども! 矢つがえ!、杖構えぃ!」


 矢と魔法がタプス達の船から放たれる。

 何体かの竜が海面に叩きつけられたが、矢がなかなか当たらない。

 竜の速度もニワントの物とは違っていた。

 魔法で竜の飛行速度を上げる高度なことがなされていた。

 その竜が一斉にニワントの軍船5隻を襲う。


「うわああああぁぁぁ、燃えてます!」


 いつの間にかタプスの乗る船の後部に火の手があがる


「クソぉ、カミン共めぇぇ! もう無理だ! お前ら、海に飛び込め!!」


大海原にいくつもの火柱が生まれる。 

しばらくしてその海面には20体近い竜の死骸と無数の船の残骸、そして両国の水兵の死体が無数に浮かんでいた。





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