第2章 可庭戦争 『尚も日は高々と昇り、大地を照らし続ける』

第12話 戦禍の炎

 日本 国会議事堂内 衆議院食堂


 日が最も高く上がる時間。

 日本の国会議事堂内にある衆議院議員向けの食堂にある男はいた。


「すみません、総理。あいにく、ご提供できませんので……」


 その男、嶋森総理はがっかりした。

 ここは食堂と言っても幾つかの店舗が軒を連ねる場所である。

 久しぶりに時間の取れた嶋森は和食屋に入り、議員達に人気のざる蕎麦を頼もうとしたがそば粉が入って来ず提供できないと断られてしまった。


 日本が異世界に転移してから1ヶ月以上が経過。

 数日前にようやくニワント王国との貿易が始まりだしたがそもそもの食文化が違う上にニワント王国の農業・漁業生産量は日本国民1億3000万人の空腹を満たすには余りにも足りなかった。

 巷では家庭菜園ブームだとか、昆虫食だとか培養肉だとか言われ出しているがそれもどれほど効果を上げるのか分からない。


「いや、仕方がない。ではこちらの海鮮丼をお願いできるかな?」


 海鮮丼の主材料である米と海産物。これらはともに国内生産で何とかまかなえていた。

 今度は店員が快く返事をし、厨房へ小走りで向かっていく。

 ふぅと息を漏らした嶋森に不意に、後ろから声が掛けられた。


「やあ、嶋森」


 振り向くとそこには歳は50代後半の目つきの悪い顔の男がいた。

 嶋森はその男の顔を幾度と無く見てきた。


剣持けんもつ防衛大臣か……」


「剣持でいい。昼休みくらいお堅い喋り方は無しだ」


 思えば、嶋森がまだ総理大臣で無かった頃、比較的若いのもあって公の場以外ではよく砕けた口調で話しかけられたものだ。


「お前、午後からの予定は在日米軍司令官との電話会談だろ」


 テーブルに海鮮丼が2人分、運ばれてくる。

 いつの間にか剣持も同じものを頼んでいたらしい。


「ああ、米軍の処遇についての議論をすることになっている」


 そう言って丼に盛られている海鮮を口に運ぶ。久しぶりにちゃんとした昼食を、いや食事を取った気がした。ここの海鮮丼がこんなに美味かったのかと驚いた。


「俺に言わせりゃ、もう在日米軍はダメだ。仮に今、米軍の軍艦が事故で大破したとする。横須賀に修理ドッグはあるが、部品はどこから仕入れる?

 もちろん日本しかない。もう政府が存在していない国の艦艇を直してやる余裕が今の日本にあるか? この異世界転移を機に日本は防衛を見直すべきだ!」


 剣持が口から唾どころか食べカスすら飛ぶ勢いで持論を捲くし立てるように早口でベラベラと語る。

 嶋森は汚ないなと思いながら紙ナフキンで念のため自分の顔を拭く。

 そう言えば、この男が転移初日に防衛出動を真っ先に進言してきたことを思いだした。


「脱米論か? 私には分からないな。確かに予算や基地の負担もあるが彼らが日本の抑止力になっていたのは間違い無い。それは今も変わらないと思うぞ」


「ああ、核兵器の抑止力のおかげでな。だいたい米軍に頼らず、自衛隊だけの防衛体制を築こうとするのは、お前の恩師、天田前総理もそうだったんじゃないか? でなければ、2018年のあの在日米軍7割撤退のときもっとアメリカ政府に泣きついてたさ」


 2017年、保守系のアンダーソン大統領が世界から相次いで米軍を撤退させた。

 自国の経済力の低下もあり本国防衛に力を入れるためだ。

 日本もその例外でなく、在日米軍の7割が本国に戻されている。

 そのころのことを思いだした嶋森の頭の中には自分が防衛大臣を務めていた天田内閣時代があった。


 ****************


「明夫くん、防衛大臣としてこれからの国防でもっとも大事なものはなんだと思う?」


 西暦2017年、首相官邸のある一室で内閣総理大臣、天田陽一は1人の男にこう質問した。

 男は30代後半。政治家としては比較的若く、まだフレッシュさがあった。


「そうですね、昨年に認められた集団的自衛権。これを元にした米軍との更なる強力でしょうか・


 その男、嶋森防衛大臣はそう答えた。

 しかし、天田総理は首を縦には振らなかった。


「では、サイバーや宇宙といった新空間での戦争。これへの対策かと」


 またしても天田総理は首を縦には振らなかった。


「違いましたか。では離島防衛でしょうか? そのための日本版海兵隊や空挺部隊を……」


 それでも天田総理は首を縦には振らなかった。


「では、対テロでしょうか? NBC兵器を使用したテロをも想定して……」


「明夫くん、確かに君の言ったことはどれも極めて日本の国防に大事だ。

 だが、それらを根底から支える重要な要素がある。それは――」


 *********

「おい、嶋森!」


 長々と過去を思い出していた嶋森は剣持に呼ばれてハッと我に返る。


「先生は……。天田前総理は、脱米論とかそういう者ではないよ。もっと違う考えを持っていた」


「そうか? ならそのすごい人の元で防衛大臣をしていたお前の考えは?」


「そうだな……。米軍が抑止力になっているのは核だけじゃない。陸海空の実動部隊がいるからこそじゃないのか? それに天田先生も言っていたが――」


 嶋森のポケットから音が鳴る。

 嶋森に官僚から電話がかかってきた。失礼と言って手刀を切り嶋森は電話に出る。


「そうか、分かった。すぐ向かう」


「剣持防衛大臣、緊急の呼び出しだ。すぐに首相官邸に戻る」


 そう言いながら財布から嶋森はお札を出す。


「ん、総理大臣も大変だな。残ってる分、勝手に貰うぞ」


 剣持が嶋森の残っていた海鮮丼に箸を延ばそうとする。

 しかし箸が丼にたどり着く前に嶋森はそれを止める。


「防衛大臣! 君も首相官邸に行くんだ!」



 **********************

 ニワント王国 ルマシーキ地方


「レンギ、精が出るな」


 レンギと呼ばれた農夫が声の方を振り向くとそこには何人かの従者と1人の貴族がいた。

 ギョッとしてくわを投げ捨てるように地面に置き、姿勢を整える。


「こっ、これはロンホー伯爵様! このような畑に如何なる御用で?」


 その高貴な身分の方が自分のような一介の農民の名前を知っていて、さらに声を掛けてくれた。元からロンホー伯爵がそういうことをしていると噂はあったのだが、その噂は本当だったのかとレンギは驚いた。


「なに、民の仕事ぶりを見に来たのだ。どうだ今年の出来は?」


「はぁ、今年は太陽が良く出ていましたからきっと大豊作でございます」


「そうか、それはよかった。私も詳しくは知らぬのだが陛下は新たな国と国交を結んだらしい。その国はとにかく食料を求めているとのことだ」


「では、もしや我々の取り分が……」


 レンギが収穫した麦や野菜を今まで以上の割合を政府にいわゆる年貢として納めなければならないのかと心配を口にするが、ロンホーはその言葉を遮る。


「いや、私と他の諸侯たちで今まで通りにして頂くよう陛下に掛け合った。その心配は……」


 言葉の途中でレンギの視線が自分のずっと後ろにあることにロンホーは気づいた。


「伯爵様、何か遠くからとても大勢の人影が見えますが……」


 その無数とも言えるほどの大量の人影の正体はカミン王国軍だった。

 2万人を超える軍勢である彼らはレンギもロンホーも誰もが状況を頭で処理できないほどに一瞬でこの土地に広がる緑豊かな畑や家を炎魔法と飛竜のブレスで焼き尽くし、この土地で日々暮らしていた人々を剣や槍で殺める。


 これほどの大軍勢は見たことが無い。きっと国境沿いを守っていたニワント王国軍は一瞬で蹴散らされたのだろう。

 緑豊かなルマシーキの土地は瞬く間に灼熱の炎と人々から流れた血みどろの2つの赤で埋め尽くされ地獄と化した。


「カミンの畜生どもが!! 執事! すぐに私の馬と鎧を!」


 自分のずっと見てきた土地が灰塵と化し、そして何よりずっと見てきた民たちが悲鳴を上げ、殺される。ロンホーの怒りは頂点を遥かに超えていた。


「旦那様! 戦われるつもりですか!? それはなりません。すぐにお逃げに」


「早くしろ!! 命令しているんだ!」


「なりません! お一人であの大軍勢に何が出来ますか。お逃げください!」


 執事はロンホーの腕を無理矢理にでも掴み、引きづるようにする。


「行かせろぉぉぉぉ!!」


 叫びでなく、もはや嗚咽に近い声を伯爵は上げて執事の腕を振りほどく。

 農民の反撃にでもあったのだろうか、カミン兵の死体を見つけ、剣を拾い上げる。

 彼は走った。民の、兵の死体と炎だけが埋め尽くしたその大地を。


「よくも私の土地を! 私の民を!  うおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!」


 そして彼は凄まじい雄叫びを上げて2万人を超えるカミン王国の大軍勢へと1人で走り、姿が見えなくなった。

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