第4話 東の別世界

 長崎県 北西方面の海域


 現代的なエンジン式の白い船を追って中世の帆船が航行する異様な光景が日本の海にあった。


「この船、帆がありませんがもしや水魔法だけで走っているのですか?」


 アニンが大真面目に近くにいた海上保安官に疑問を投げかける。

 もし水魔法だけでこの速度を出しているのだとしたら、かなり強力な水魔法だろうと思った。


「まほ……? いえ、のディーゼルエンジンですが」


「でぃーぜるえんじん? ええと、それはどういった?」


「だいたい車のエンジンはガソリンエンジンですがそうでなく軽油を――」


 説明しながらも保安官はアニンが全く理解していないと感づいた。

 特に興味が無ければエンジンの種類なんて知らないよな、と思いながら話はじめたがもっと根本的に何か埋められないような差があると感じた。

 保安官は早めに話を切り上げるが、アニンがまた質問をする。


「では、あの黒い物はなんでしょうか? バリスタの一種ですか?」


 アニンが甲板の先を指差す。

 そこには35mm機関砲があった。アニンはそれが何か分からなかったがかろうじてバリスタ据え置き型弩砲に形状が近いと感じた。


「えー、あれは機関砲でして――」


 保安官はまたしてもアニンが理解していないと感じた。

 説明もそこそこに質問をし返す。


「あなた方の船はどういったエンジンを? 軌跡が通常のエンジンとは違うように見えますが」


「特に変わったことはしていません。帆に風魔法と水面に水魔法を使い――」


 今度はアニンが話を理解されていないと感じた。

 そんなやり取りが船上で繰り広げられるなか、船内放送が響き渡った。


「海上保安部到着予定時刻はマルゴーヨンマル午前5時40分。総員、各部最終点検、停泊準備せよ」


 保安官が腕時計を見ると時刻は5:28だった。

 空はまだ薄暗く、ずっと暗い海が続いていたがようやく見慣れた長崎の街が見え始めた。

 古くから異国との交流の街として栄えた長崎の街。

 異国からの影響を受けた古き良き建物を覆い隠すように現代文明を象徴する建物が立ち並び煌々と灯りを照らし続けていた。


 保安官は故郷に帰ってきたことに安堵した。ふと、横を見るとアニンが茫然と立ち尽くしていた。


「大地に星空が……」


 アニンはそう静かに呟いた。

 彼にとってその街はまるで星空が大地にそのまま落ちてきたような煌びやかさだった。



 *************************

 長崎市 長崎港周辺


「青田船長、お疲れさまです! 保安部よりお迎えにあがりました」


 若い保安官が車から降りて敬礼する。


「ご苦労、代表者1名のみ庁舎まで同行してもらう。他の船員達は船内で待機してもらおう」


 既に海上保安官らが停泊している帆船の周りを取り囲むように警備している。

 ニワント王国の海軍だと称する彼らはここまで敵対の意思を見せていないが、不法入国や日本国内でのテロを企てている可能性もあり、50人以上もの人間に日本の土を踏ませる訳にはいかなかった。




 アニンは船から降り、言われるがままに車の座席に座った。やがて窓の先の景色が目まぐるしく変わり続け、ただ茫然としていた。


 神が建てたとしか説明しようのないような天をつんざくほど巨大な摩天楼が建っていた。そこから不思議な光をいくつも放ち、どんな星空よりも明るく輝いている。

 馬車のような物が馬無しでいくつも規則正しく走り抜けていく。

 大地をまたぐ橋があったかと思えば大蛇のような魔獣が唸り声を上げながら進んでいった。


 ニワント王国の東に国が存在していたという新事実だけでも驚愕であるのに、そこにはまさに全くの別世界が広がっていた。


「とんでもないところに来てしまった……」


 アニンは一度、世界最強の国家とも言われる西の大国 パロンバン帝国に赴いたことがある。そのときも驚きの連続だったが、とてもその比では無かった。

 驚きのあまり、素の感情を静かに呟いた。


 あの白い船の船員と話が噛み合わなかったことに合点がいった。自分たちと彼らでは住んでいる世界が全くもって根本的に違うのだと。


 突然、乗っていた馬無しの馬車が止まる。


「着きましたよ、アニンさん。まもなく外務省より外交官が訪れますので3階の応接室までご案内します」


 *****************

 新陽新聞社 東京本社


 日本の大手新聞社の一つ、新陽新聞社では早朝にも関わらず朝刊の大幅な書き直しを上層部が命じ、末端の記者たちは死にもの狂いで働いていた。


 元々、地方で起きたショッキングな事件を1面にし、後は新聞配達員の受け取りを待つだけだったが比べ物にならないほどのショッキングな出来事が空に起きたことで1面の書き直しを余儀なくされていた。


「なんやこの記事、もうちょい何か書けるやろ!?」


 若い中堅記者の増田は部長に記事をダメ出しされた。

 輪の月について気象庁に問い合わせても『調査中である』との繰り返しで分かっていることは何もなく書けることはこれ以上は無かった。

 確かに自分の書いた記事は1面としては短かったがちょっと理不尽だなと増田は思いながらもデスクへ戻って何とか捻りだそうとする。


「増田さん、お疲れ様です。」

米道よねみちさん、お疲れ様です。こっちはもう大変で……。国際面の方はどうですか?」

 増田は話しかけてきた国際ニュース担当の国際部の女性記者に聞く。


「こっちは海外支社と全く連絡取れなくて……。というより海外のどことも連絡とれなくて、もう大変で……。

 あっ、その記事こう書けばいいんじゃないかな? 今後の――」


 なんとか書けそうだと増田がアドバイスをありがたく思っていると突然オフィスに記者の一人が慌てて入ってきた。


「九州支社より電話です。長崎の海上保安庁が妙な動きをしていると」


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 長崎海上保安部 応接室


 アニンは懐から懐中時計を取り出した。この魔力で動く時計はパロンバン帝国西の大国で買った高級品でかの国が最高峰の技術力を持つと示す証左でもあった。

 時刻は6時半前であった。実際には少しの時間であるのになんだか随分とこの部屋で長いこと待たされている気がした。


 この土地に降り立ってからまるで小さいころ母が読んでくれたおとぎ話の主人公になった気分であった。

 しかし、あのおとぎ話の主人公が最後にはどうなったかどうしても思い出せなかった。


 それでもこの部屋はいくらか落ち着けた。

 なめした獣の皮を使った高級そうな椅子に、木で出来た大きなテーブル、壁に掛けられた絵画。

 多くが少しは見慣れたものだったからだ。


 女性の者がテーブルへ薄緑の水が入った椀を持ってきたが得体が知れずに、まだ手を付けれないでいる。

「もしかしたらこれがパロンバン西の大国の貴族が飲む茶というものだろうか……」


 つい独り言が多くなっていることに気付いたアニンは服の襟を正し直す。

 ちょうどそのとき、部屋の扉が叩かれた。


「失礼します、外務省より参りました。外交官の影山です」


「ニワント王国 外交部のアニンと申します。このような素晴らしい所にお招きいただきありがとうございます」


「いえ、お気使いなく。本来は外交官同士なら正式な場を設けるべきなのですが何しろ異例なもので」


 アニンは本心からこの海保の庁舎の小さい応接室を素晴らしい所だと褒めたが影山は気づかわれたのか、それとも皮肉なのか判断に困った。相手の真意がうかがい知れず、慎重にゆっくりと話し始める。


「申し訳ありませんが我々はニワント王国という国について存じ上げません。まず貴国がどういった国なのかお教えください」


「はい、わが国は――」


 *****************************

 東京郊外 ある住宅街


 時刻は朝の7時を過ぎていた。もう職場や学校へ向かう国民も多い中であったが、早くに目覚めて輪の月を目撃した者、海外との連絡が取れずに困惑する者もいた。そしてネット、テレビ、新聞、あらゆるメディアから徐々に国民にこの異常事態が知れ渡り、パニックが起こり始めていた。


 東京郊外の住宅街、ある家では携帯電話の音が鳴り響いていた。


「はい、山田ですが」


 1人の男が布団に潜りながら電話に応答する。


「課長の鈴木だ」


「すっ、すいません寝過ごしまして! すぐに向かいます!」


「いや、今日は来なくていい」


 山田は大手の航空会社に勤めていたが、ついに度重なる遅刻に上司から解雇を言い渡されたのかと早合点したが、ふと携帯の時計を見ると7時前。

 充分に余裕を持って出勤できる時間だった。


「政府から全便自粛の要請があった。それで今日は休業だ」


「なにかあったんですかね?」


「それについてもうすぐ記者会見をするらしい」


 その後、二言三言会話が続いて電話を切ると山田はネット掲示板を開いた。

 掲示板には月を輪の形に編集したような画像が溢れていて『宇宙人が月を攻撃!?』との一文が付け加えられているものもあり、また変なものが流行っているなと思った。


「とりあえず、朝飯買いに行くか」


 山田は歩いてすぐのコンビニまで向かう。

 たまにはパンにするかと考えながらぼっーと店舗へ入った。


「え……!?」


 コンビニの商品棚は全くの空っぽになっていた。


 *****************************

 日本 首相官邸


「総理! 記者会見の準備できました。」


「分かった、すぐに向かう」


 この異常事態を少しでも収め、国民の理解を得るため、嶋森総理は記者会見を開くことを決定していた。


 嶋森が会見室の裏手に来るといつも以上に多くの記者が詰めかけていることを空気で感じた。

 前任の天田総理内閣のとき、防衛大臣としてあの場に立ったことは何度かあるがこれほどまでに記者の熱気を感じたことは無かった。

 嶋森は大きく前に進む。


 嶋森は深く一礼した。

 記者たちの方へ、記者たちの持つカメラの先にいる国民の方へ向かって。


「本日、未明より月が輪の形で観測されるなど、天体の異常が相次いでいます。また海外との連絡が一切取れなくなっており。政府ではこれらがなんらかの原因による一連の災害であると現状判断しております。政府としてはこれらを『異常天体及び大規模通信障害災害』と称して至急、災害対策本部を起ち上げ対応にあたります。

 すでに全国的に食料品等の買い占めが発生し、インターネット上では真偽不明の情報が多く出回っておりますが、国民の皆さまには冷静な行動をお願い申し上げます」


「続いて質疑応答に移ります。質問は1人1つとさせていただきます」

 官僚がそう言うと、すぐさま記者の全員が手を上げた。


「やまと新聞の浅川です。空の便は国内線含め全便運休、漁協には近海に至るまで全て自粛を要請されていますがこれはどういった意図でしょうか。またこれに伴う損害に政府として支援策などはありますか?」


「国内線や近海に対する自粛要請はあくまで万が一の予防的措置であり、ただちに国内周辺が危険というわけではありません。本件について詳細が分かり次第、不要であると場合にはすぐに要請は解除致します。また政府としては適切な支援策を検討していく構えです」


「新陽新聞の増田です。長崎市で海上保安庁が見慣れない帆船を停泊させているとの情報がありました。これもについてお聞かせください。また、これも一連の災害と関係があるのでしょうか?」


「えー、本災害との関連性は調査中ですが、海上保安庁の動きにつきましては通常の活動の範囲内です。日本の領海内において、違法な物品を積載した船舶があったためこれらに対し、任意同行を求めました」


「違法な物品とはなんですか? 海保が重装備で警備していたとの情報もありますが」


「それは……詳細は捜査の機密上、お答えすることが出来ません」


「総理! 関東テレビの山――」


「まだ皆さま、質問があると思いますが時間が押しておりますのでここで質疑応答を切り上げさせていただきます」


 3人目が質問しようところで官僚が切り上げると一気に会見場が騒がしくなる。


「総理! どういった原因を予想されていますか?」

「スマホの位置情報が読めなくなっていますがこれも関係が?」

「他国の侵略行為の可能性は?」


 嶋森は本当は1つ1つの質問にゆっくりと答えたかったが総理である自分には時間があまりにも無かった。

 このタイミングで記者会見を開いたのはかえって国民を混乱させたのではないかと自分の未熟な行いを顧みた。


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