第11話、『妖女ちゃん♡戦記』遅れてきた勇者。
「──魔王よ、覚悟しろ! 本日2月14日こそが、おまえの年貢の納め時だ!」
広大で豪奢でありながらも、窓も明かり取りもなく、照明の類いも最小限しか設けられておらず、全体的に薄暗く陰鬱な雰囲気をかもし出している、魔王城の謁見の間にて、大音声を響き渡らせたのは、軽装の鎧を細身ながらも鍛え抜かれた身体に着込んだ、年の頃いまだ十五、六歳ほどの、類い稀なる美少女であった。
あたかも太陽の光を凝縮したかのようなブロンドのセミロングヘアに縁取られた、彫りの深く端整なる小顔の中で、強い決意の光を放っている、サファイアのごとき二つの碧眼。
「……な、何で、おまえが、年貢の納め時かと言うと、実は2月14日というのは、こことは別の世界である『現代日本』において、『ヴァレンタインデー』という、女性から意中の男性に告白することを許される日なのであって、今から私がおまえに、三日三晩かけて作った本命チョコを渡して、愛の告白を──」
しかしなぜかその少女勇者は、突然顔を真っ赤に染め上げると、しどろもどろの口調で、わけのわからないことを宣い始めるのであった。
それに対して、ほとんど暗闇に包まれて視界の届かない最奥の玉座のほうから、いかにもあきれ果てたといった感じで、大きな溜息交じりの声が返ってきた。
「──このおつむの足りない、お兄様のストーカー勇者めが、今日はすでに、2月15日よ!」
本来は、当代の魔王しか座ることの赦されないはずの玉座にて、尊大極まる目つきで女勇者のほうを睥睨するかのように座していたのは、あたかも闇を凝らせたかのような全身黒ずくめの、年の頃四、五歳ほどの幼き少女であった。
そのあまりに華奢で小柄すぎる肢体を包み込む、現代日本においてはネオゴシックと呼ばれる、シックな漆黒のワンピースドレス。
つややかな烏の濡れ羽色の長い髪の毛に縁取られた、まさしく人形そのものの端整で小作りの顔の中で鈍く煌めいている、文字通り宝玉のごとき黒水晶の瞳。
同じ魔族からも、『漆黒の悪魔』とか『お兄ちゃん大好き♡ヤンデレサイコ幼女』などと恐れられている、魔族最強のプリティガールにして当代魔王の実の妹、それこそがこの私、ヤミ=アカシア=ルナティックであった。
「ほえ? ユージンではなくて、ヤミちゃんだったんだあ。えっ、えっ、今日が15日って本当⁉ ──あ、そうか! 魔族国に入る時に、日付変更線を越えてしまったのかあ!」
「だから気安く、人のことを『ヤミ』って呼ぶなって、いっつも言っているでしょうが? この
「な、何だと? ──っ、そうか! おのれ魔族どもめ、勇者である私を魔王城に近づけさせないために、時空間を歪めたな⁉」
「たった一日到着を遅らせるためだけに、そんな超高度な魔術を使ったりするものですか⁉ あなたが勝手にカレンダーの日付を見間違えただけでしょうが!」
「ええーっ、ちゃんとカレンダーには大きく赤丸を付けて、それに合わせて徹夜続きで、どうにか手作り本命チョコを完成させたというのに、すべてがおじゃんじゃん」
「知るか! しかもやっていることは完全に、初めての本命チョコ作りに浮かれ回って気持ちばかりが先行して、まんまと失敗してしまう、恋愛初心者のJCそのまんまだし、あんた本当に勇者なの⁉」
「うん、ちゃんと大神殿で、神託をもらったよ? それに勇者以外絶対抜くことができないと言われていた聖剣『ソラリス』も、あっさり抜くことができたし」
……そうなのである。
このいかにも頭の足りない、しかも一番たちの悪い天然のストーカー気質である、全異世界レベルの忌まわしき存在は、人間の国の王女でありながら、非常に不本意ながらも私たち魔王兄妹の幼なじみでもあり、誰もが認める絶世の美少女であるのを始め、何と大陸最大規模の大神殿において勇者としての神託を授けられた、その身に秘めたる魔導力も、人間離れした身体能力も、歴代の武闘派魔王に匹敵する、人類最大の希望であり、憎き神どもが創り出した『人間兵器』なのであった。
「──いやそもそも、何で勇者がヴァレンタインデーに、魔王に本命チョコを渡そうとしているのよ⁉」
「あはは、勇者とか魔王とか言うまえに、私たち
「……くっ、これほど我が身に流れる、穢らわしい人間の血を呪ったことはないわ」
これもおっしゃる通りであって、何と私たち兄妹の今は亡き母親は、かつて人間国で王女の身分にあったのだ。
それでお互いに幼い頃から、兄とこの女は、魔族と人間との垣根を越えて、お互いの国を行き来していたのだが、とても魔王の跡継ぎ(当時)とは思えないほど、弱々しく陰のある兄に、このパワー馬鹿女は母性本能をこじらせて、すっかり惚れ込んでしまっているのだ。
「……もう、いっそのこと、
「おおっ、本気かい⁉ やった、私もヤミちゃんとは、一度ガチでやり合ってみたかったんだよね!」
私の苦渋の選択に、むしろ嬉々として、莫大な攻撃魔法力を誇る、聖剣を構え直す女勇者。
人類最強の勇者が、魔王の妹とはいえ、ほんの幼子に対して、大人げないと言うなかれ。
実は私こそは、無数の強大なる魔族の中にあっても、自分の御先祖様である歴代の魔王たちすらもしのぐ、膨大な魔導力をこの小さな身体の中に宿していて、ほんの遊び心で一つの国を消滅させることも、ちょっと本気になるだけでこの惑星の半分を滅ぼすことすらも、十分可能であったのだ。
兄である現在の魔王が穏健派であることから、勇者である彼女にとって最大の討伐対象とされているのは、何を隠そう、この私のほうだったのだ。
「ふうん、ようやくお兄ちゃんの前から消えることに、決心がついたんだあ?」
「大丈夫、
「「──何だと、ごらぁ⁉ 調子に乗るんじゃないぞ、このお邪魔虫のクソビッチが!」」
そのように怒鳴り合うとともに、お互いに臨戦態勢に入った、
──まさに、その刹那であった。
「駄目だよ、二人が本気で闘ったりしては。この大陸そのものが、海に沈みかねないじゃないか?」
唐突に謁見の間に響き渡る、いかにも温和な声音。
二人して振り向けば、何とそこには、何だか『現代日本の大学生』──いや、正直言って『浪人生』であるかのような、ぱっと見、どうにもうだつの上がらない、一人の青年がたたずんでいた。
それを一目確認するや、私はなりふり構わず突進していった。
「──うええええええん、お兄ちゃあん、怖かったあ!!!」
最愛の兄の胸元に飛び込むようにして抱きつけば、何のためらいもなく力強く抱きとめてくれる、一見頼りなさそうだが、意外にも力強い、か細き両腕。
「あのね、あのね、あの暴力勇者女がねえ、お兄ちゃんを出せって、聖剣で脅すの!」
「──あっ、てめえ、きったねえの⁉」
勇者が慌てふためいているのを横目で見て、心の中でほくそ笑んでいると、優しく諭してくるお兄様。
「大丈夫、勇者と言ってもマリエは、僕らのいとこなんだ、話せばわかってくれるよ」
「お兄ちゃん……」
チッ、さすがにこの場で完全に、あいつを『悪役』にするのは無理か。
これ以上強弁すると、むしろ兄の心証を悪くするかも知れないから、ここは控えておくか。
「マリエも、勘弁してくれないか? どうしてだかヤミは、
「あ、うん、ユージンがそう言うなら、私は構わない……けど」
「『けど』って? ──あ、そういえば、マリエはわざわざこの魔王城まで、どうしてやって来たの? 何か僕に用事でもあるの?」
……もう皆さんおわかりの通り、私の最愛のお兄様も、超弩級の天然さんなのであった。
普通勇者が魔王城に来ているのに、「何か用?」なんて尋ねる、魔王がいて堪るもんですか。
「えっ、あ、うん、いや、何でもないんだ! ……どうせ、日付も、間違っていたし」
「へ? 日付って…………あれ、その聖剣とは逆のほうの手に持っているのは、何?」
「あっ、こ、これは、な、何でもないんだ!」
そう言って、慌てて後ろへと隠す、女勇者。
──ほんと、天然はあざといな⁉
そんなわざとらしい動作をすると、完璧に『訳あり』であることが、まるわかりじゃないか!
「……もしかしてそれって、チョコレートとか?」
「えっ、ど、どうして、わかった⁉」
それでも恥ずかしさのあまり、本命チョコを差し出せずにいる幼なじみのほうへと、何と兄が私だけを玉座に置き去りにして、自ら駆け寄っていった。
「嬉しいな! 僕、親兄弟以外から、ヴァレンタインのチョコをもらうなんて、初めてだよ!」
それはまるで、文字通りお日様そのままに、まぶしいまでの笑顔であった。
そんな歓喜に溢れ返っている魔王様に対して、もはや私もこれ以上妨害する気も無くなり、女勇者が勇気を振り絞ってチョコレートを差し出すのを、ただ呆然と見守っていた。
「これは私の手作りだから、ありがたく思え!」
「へえ、マリエも手作りなのか、ヤミと一緒だね!」
「なっ、妹が実の兄に対して、手作りのチョコを渡した、だと⁉」
そしてまさに狙い澄ましたかのように繰り出される、いろいろな意味で『天然の女心クラッシャー』である、魔王様の痛烈なる一言。
「え? 別に妹が手作りチョコを作ってもいいじゃない? 家族同士では、そっちのほうが当たり前でしょう? あ、そういえば、マリエもいとこなんだから、ボクの妹みたいなものだよね! そうか、だからマリエのも、手作りだったのか!」
「か、家族だからこそ、手作りで当然?」
「い、妹みたいなもの、だと?」
まさにその時、最上の喜びから一気に絶望の淵にたたき落とされた、哀れな女の死骸が二つも、魔王の謁見の間の床へと転がった。
「うん? どうしたんだい、二人とも。そんなところに寝ていると、風邪を引くよ?」
((──この天然の、女心
この鈍感さは、ある意味『お兄ちゃん♡大好き』な私にとっては、好都合とも言えたが、このままでは自分自身の禁断の想いがいつまでたっても伝わらないんじゃないかという、切実なる危機感にも苛まれ続けていたのであった。
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