12.初めての夜
試験が終わったことには夕日が西の空に沈みかけていた。
広い王都の街を歩いていると、いつの間にか夕日も完全に沈んで月明かりに照らされる。
商店街を通れば明かりがたくさんあって、昼間と変わらないくらいに賑やかだ。
あまりに騒がしくて、俺はそんなに好きじゃない。
ちょっとわき道にそれながら、人通りを避けて進んでいく。
王都外れの住宅が並ぶ区域に、一軒の古い家があった。
玄関には錆びて読めなくなった看板がかかっている。
俺はポケットから取り出した鍵で扉を開けて、中へと入った。
「明かり、明かりは……っと、ここか」
明かりが灯り、部屋の様子が見て取れる。
埃で窓ガラスがくすんでいるけど、思っていたよりも頑丈そうな造りだ。
「これなら掃除すれば普通に住めそうだな」
「……みたいだね」
「師匠に感謝しないとな」
「あの、さ……」
ハツネがモジモジしながら尋ねてくる。
「本当に私も泊っていいの?」
「もちろんだよ。女の子を一人で野宿させるなんて危険なことさせられない。かといって俺もそんなにお金は持ってないから、宿屋代を代わりに出すのも難しくてさ。こんな場所でごめんな」
「ううん! 私はとっても嬉しいよ!」
「そう言ってくれると安心するよ」
ここは昔、師匠が王都で修行していた頃に使っていた工房らしい。
表にあった看板はその時の名残だそうだ。
昔も昔、三十年以上前のことらしくて、鉄の看板が錆びるくらいには放置されている。
一通りの設備も整っているから、鍛冶仕事もやれる。
師匠は騒がしいのが苦手で王都を出たそうだけど、俺にとってはベストすぎる環境だよ。
「さて! まずは掃除から始めないとな!」
「うん! 頑張って綺麗にするよ」
それから俺たちは、二人で手分けして家中の大掃除をすることに。
一階は裏手が鍛冶場で表は店舗、二階部分が居住空間になっている。
一日で全部を綺麗には出来ないから、先に暮らすスペースのある二階を片付けることにした。
と言っても、酷く目立った汚れはないようだ。
三十年分の埃が溜まっているだけで、それ以外は特に気にならない。
しいて言えば、ベッドやソファーも埃まみれで掃除が必要だから、今夜は硬い床で眠らなくてはいけないことか。
試験の疲れもあるし、今日くらいは宿をとって休んでも良かったな。
「今さら遅いか」
「グレイス君! こっち拭き終わったよー!」
「お、ありがとう。じゃあ次は風呂場を頼めるかな?」
「はーい!」
ハツネが元気よく返事をして、風呂場の方へと歩いていく。
その後ろ姿を見ながら、賑やかなのも悪くはないなと思ったりして。
掃除は夜遅くまで続き、不意に見た時計のかけ時計は一日の終わりを指し示していた。
ちょうど日付が変わるタイミングで、奥の掃除を終えたハツネが戻ってくる。
「終わったよ!」
「こっちも終わった。今日はもう遅いしここまでだな」
「うん! さすがに私もヘトヘト」
「ははっ、俺もだ」
朝から試験があって、その後も休みなしに掃除をしていたんだ。
さすがの俺も疲れを感じている。
今夜は寝て、明日から残りの掃除も再開しようと話した。
「埃まみれじゃ眠れないし、シャワーを浴びないとな。ハツネが先に使って良いよ」
「ふぇ!」
思わぬ反応に俺も驚いてしまう。
ハツネは恥ずかしそうに頬を赤らめていた。
「え? 何だよ……」
「の、覗いちゃ駄目だよ?」
「なっ! 覗かないよ!」
ハツネに言われて今さら気づく。
何気なく誘ってしまったけど、今日からしばらく女の子と二人で生活するのか?
考えもしていなかった。
意識し始めると面倒なことに、ドキドキで胸が痛くなる。
どうやら俺も、年頃の男子らしい感情は持っていたらしい。
それから俺はしばらく悶々としながら時間を過ごし、お互いにシャワーを浴びて、あとは眠るだけになった。
ベッドは洗って使えないから、今夜は硬い床が寝床になる。
その点は不服だが、ハツネにしてみれば野宿よりずっとましだろう。
「ふぅ……」
俺は二階のベランダから、王都の空を眺めていた。
改めて戻ってきたのだと思うと、感慨深いものがなくもない。
やっとここまで来られた……
「いや、何言ってんだか。まだ始まってもいないだろ?」
「何が?」
「ん? ハツネ」
気が付くと隣にハツネがいた。
完全に気を抜いていたから気配に気づけなかったのだろう。
「寝たんじゃなかったの?」
「なんだか眠れなくて。グレイス君も?」
「まぁな」
俺は徐に空を見上げる。
「色々……思い出してた」
「昔のこととか?」
「そんな感じ」
「……聞いてもいい?」
小さな声で尋ねてくる。
俺が振り向くと、彼女の瞳は月明かりに照らされ、仄かに潤んでいるように見えた。
「何を?」
「グレイス君の昔のこと……試験中に言ってたよね? 貴族だったって、今も」
「ああ、その話か。たいして面白くもないぞ?」
「……聞きたいな。グレイス君のこと……どうして、どうやって強くなったのか。私は知りたい」
そう言ったハツネは強い目を向ける。
彼女の興味は俺の過去そのものより、強さへと向いている気がする。
「わかった。じゃあ、ちょっと長くなるけど」
「うん」
話しても良いと思ったのは、彼女も俺と同じ……強さを求める人だとわかったから。
この夜だけはいつもより長く感じられた。
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