蜘蛛の巣

平島真司

蜘蛛の巣

1月4日 18時。 アパートの一室で、俺は伊東と2人だけで話をしていた。

「作業着で行くわ。そこの家、ちょっと前に水道局が来てたから」俺はそう言い、コップに入った水を飲み干す。

伊東は煙草の煙を吸い込みながら2回頷き、煙を吐き出してから返事をした。

「分かった。気をつけて」

俺は通販で揃えた作業着に身を包み、リュックを背負って玄関に向かった。

「あ、柴原」

「どうした?」靴を履こうとしていたところだった。

「蜘蛛の巣には気をつけろよ。」

またそれか、と思った。

坪田と金田の事もあって、気にしているのだろうか。

「分かってるよ」

靴を履きながら生半可に返事をし、ドアノブを回して外に出た。

電車で3駅先にある西原学園前(にしはらがくえんまえ)駅。その駅を出て右を歩いて行くと、古治(こはる)町に入る。

防犯灯をつけている家が少なく、駐輪場ではない場所に停めている自転車が散見する。

警戒心があまりない町だなと思っていた。

駅を出て右方面を20分ほど真っ直ぐ歩き、つきあたりの五差路(ごさろ)を左に曲がると、目の前に坂があり、その坂を上った途中の右側に、今回の家がある。

このあたりは街灯も1つしかなく、相変わらず人通りも少ない住宅街だ。

3日間下見したが、この家は人がいる気配はない。ただ、1日目と2日目の昼に、おそらく水道局の業者が来ていたので、人が住んでいるのは分かっていた。人が住んでいない家の工事なんかするはずもない、根拠はないがそう思っていた。年末年始だから、帰省や旅行で家を空けているのかもしれない。そうとなれば絶好の機会だ。

正面の門扉を抜けると、すぐに玄関がある。左側面には大きな木が3本たっており、裏側の庭は、奥の森林と隣接している。右隣りは空き地だが、右側面が周りから見えないほど大きな木が何本もたっている。ただこっち側は2つの雨戸しかなく、中に入るには時間がかかるので、選択肢から外した。

この家は、大きな木に覆われているため周りから見えづらく、いざとなれば奥にある森林のほうに逃げやすい構造になっている。空き巣をしてくれと言っているようなものだ。

築何年だろうか。外観からして、だいぶ前に建てられた家だ。

1分ほど家の前で突っ立っていたかもしれない。周りに人気(ひとけ)がないうちに行動しなければ。

門扉の横にあるインターホンを鳴らして在宅確認をした。

人が出たら何も言わずその場を離れるつもりだ。小学生の悪戯とでも思うだろう。

2度鳴らしたが、応答はない。ドアチャイムの乾いた音が鳴るだけだ。家の中には人がいない。

まずはOKだ。右隣りにある空き地を通り、一旦奥の森林に入った。

リュックの中から着替えを取り出し、全身を黒で身に包む。ここまで段取り通りだ。

軽く深呼吸をしてから手袋をはめ、家の左側面の位置に移動した。

鉄格子も何もされていない小窓に目を向ける。下見の際、入るならここだなと思った。

リュックのサイドポケットからアイスピックを取り出し、窓ガラスに小さな穴を開ける。

その穴にアイスピックをねじ込み、クレセント錠の鍵を下に下げ、窓を開けた。

あまり音もたてず、難なく部屋に入れた。

そこは、古い日本人形などが置かれている和室だった。私物置き場のような部屋だ。

金目の物はなさそうなので、引き戸を開け、部屋を出た。出て目の前の5m程ある廊下を歩き、奥にある部屋を開けた。開けてすぐ目の前に炬燵があり、奥にキッチンのある四畳の部屋だ。右側に三段ある焦げ茶色のタンスがあり、まずはそれを物色する事にした。

上から順に引き出しを開けるが、金目の物は出てこない。

三段目に差し掛かろうとした時、体に電撃が走った。

まずい、人がいたか・・・。そう思ったのも束の間、目の前が暗くなった。

目を覚ますと真っ暗な地下牢のような所にいた。冷え込んでいてとても寒い。真っ暗で何も見えないが、壁に背中が密着し、手足をロープで縛られていることは分かった。それに、なんだか血生臭い匂いがする。

暗闇に目が慣れてきて気づいたが、目の前に男が立っていた。右手にスタンガンを持っている。警察に通報したのだろうか、5年はムショだな。そんな事を考えていた瞬間、右手の小指に痛みがした。小指がコンクリートの床に落ちて、コツンと音をたてた。自分の小指の爪がこっちを向いている。切断された小指の部分から血がポタポタと垂れた。痛みが、波が押し寄せるように増長し、激痛に変わった。

何が起きているのか分からなかった。警察が来るまで、俺が逃げないよう束縛していたのではないのか。いやそれなら地下牢に入れる必要がない。小指の痛みを感じながら、頭の中で考えが交差し、激しい動悸(どうき)がした。

男は、落ちている小指を眺めてからこちらへと顔を向け、口を開いた。

「おれはな、お前らみたいな網にかかった奴をいたぶるのが好きなんだよ」

暗がりでもわかるほど猟奇的な表情をしていた。

「ひっ、、」思わず声が出た。恐怖と寒さで震えが止まらない。

男の後方、向こう側で、同じように縛られた人間が視界に入った。左の掌に刃物が刺さっており、刺された部分から手首の真ん中あたりにかけて、血が垂れている。

大の字に縛られ、股の下あたりに、首から上が転がっていた。

縛られている人間だけじゃない。両手足がなく、大量の血を流した人間が、3人は床に倒れていた。もはや、転がった首が誰の物か分からないほど蹂躙(じゅうりん)されていた。

血生臭い正体はこれか、おれもこうなるのか。ここに坪田と金田もいるのだろうか。2人とも3日間連絡がついていなかった。

男は左手で俺の右腕を抑え、大きめの刃物を振りかぶった。ボトッとあれ(・・)が落ちた音がした。右腕の感覚がない。感じたことがない痛みだ。血がドバドバと出ているのが分かった。

ぴちゃ、ぴちゃ、と早いリズムで血が床に到達し、音を鳴らす。

自業自得だ。今さら後悔してもしょうがない。

空き巣が好む外観を構えた家に、俺はまんまと引っかかったのだ。

そんな空き巣を引っかけて、人の体を傷つけて楽しんでいる。

この男は相当頭がおかしいと思った。

いや、4人でグループを組み、人の家に侵入して金目の物を盗んで生活している。俺も頭がおかしいのだ。

犯罪者が犯罪者の家に侵入したのだ。その構図におかしくなって、思わず薄ら笑いをした。

俺は死を覚悟した。

男は刃物を俺の腹部に差し込み、グリグリとほじくるように動かした。

「ゴフッ」

咳き込んで口から血が出た。鉄のような味がした。

意識が遠のいて、クラクラしてきた。しだいに痛みを感じなくなった。


どうせ誰かの作り話だろう。伊東に言われても、いつも聞き流していた。


「蜘蛛の巣」

一度入ると、生きて帰った人間はいないという。

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蜘蛛の巣 平島真司 @mok66

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