⑲大人の事情

 部屋に入るなりあたしは、ベッドの上に倒れ込んだ。手や足の震えがなかなか治まらない。あたしは横になり胎児の様に全身を丸めた。

 目を閉じると瞼の裏に、瑛子ちゃんを抱き締める母さんとまるで子どもの様に泣きじゃくる瑛子ちゃんが再現された。

 未だ、思考が整理できていない・・・否、「従姉妹だと思っていた瑛子ちゃんが、実はあたしの姉だった」という事柄は、容易に理解できた。

 だけど・・・それが理解できたからといって、その事実を納得する事は今のあたしには到底できそうになかった。

 そして、この状況が哀しいのか、辛いのか、苦しいのか、それとも腹立たしいのか・・・今の感情を言葉にする事が難しかった。

 閉じた目から流れ出る涙で、シーツが濡れた。

 あたしは横たわったまま、部屋の向こうから聞こえてくる二人の音声を聞くとはなしに聞いていた。そして、その音は徐々に小さくなっていって・・・最後には、無音になった。途端、急激に眠気に襲われたあたしは、布団も掛けずそのまま眠った。(寒い)という感覚すらその時のあたしには、無かった。


「咲子?・・・咲子、起きてる?・・・咲子?」

 どれくらいの時間が経ったのだろうか・・・。その声に目を開けると、真っ暗だった。母さんによって開けられたドアの隙間から向こうの電気の光が漏れ入って来てはいたが、それでも部屋は真っ暗だった。ドアの所で母さんが待機しているのが見えた。

「・・・今、起きた」

 あたしがそう言うや否や、パチン、と音がして、部屋が一気に明るくなった。眩しさのあまり、あたしは目を細めた。

「・・・今、話せる?」

 母さんが、少し掠れた声であたしに訊ねた。

「・・・瑛子ちゃんは?」

「一時間くらい前に、帰ったわ」

 あたしは、上半身だけをゆっくりと起こす。手脚の震えは治まっていた。

「・・・うん。話せる」

 そう返事をすると、母さんはこちらに近付いて来てベッドサイドに腰掛けた。

「驚かせちゃって・・・ごめんね」

 瑛子ちゃんが帰った後も、居間で一人で泣いていたのだろうか・・・謝る母さんの声は、やはりれていて少し鼻声だった。目も赤かった。

「驚くって言うか・・・今、感情が無い」

「・・・そぅ」

 そう言うと母さんは、淋しそうな表情であたしをみつめた。至近距離で見る母さんの顔には、目尻に沢山の皺があった。

「ねぇ・・・瑛子ちゃんは・・・瑛子ちゃんは本当にあたしのお姉さんなの?」

 あたしは、答えが解かっていながら質問をした。どうしても母さんの口から聞きたかったから・・・。

「・・・そうよ。瑛子は母さんが産んだ子よ」

「何故・・・何故、みんなはそれを今まであたしに内緒にしてたの?」

「云う必要が無いと・・・そう判断したからよ」

「けど・・・けど、あたしは知っていたかった」

「そうね。今になって思えば・・・ちゃんと説明しておけばよかったと後悔しているわ・・・本当に・・・」

 母さんの目に涙が溢れるのが見えた。

「瑛子ちゃんがあんなに辛い想いをしているのを、大人達はみんな気付いてなかったの?」

「・・・少なくとも、母さんは知らなかったわ。姉さんも何も言って来なかったし。だから・・・だから、安心してた。もしかしたら、瑛子の記憶の中では姉さんが本当の母親にすり替わっているのかも知れない、なんて・・・都合のいい事を思ってた・・・母親、失格ね・・・」

「どうせなら、あたしを・・・どうせなら、何の記憶もないあたしを小川原にあげちゃえばよかったのに」

 無意識にあたしはそんな事を口走ってしまっていた。

「姉さんが。姉さんが瑛子を欲しいと・・・そう言ったの。生まれたばかりの赤ちゃんよりも瑛子の方が、愛着があるからって。」

(確かに)と思ったが、掛ける適当な言葉がみつからなかったので、あたしは黙ったまま只々母さんをみつめた。母さんは続けた。

「だけど。・・・本当の間違いはそこではなかった・・・私が、私が頑張って二人を育てる選択さえしていれば・・・そうしてれば、瑛子は・・・」

 そう言いながら目を伏せた瞬間、母さんの目から大粒の涙の玉が流れ落ちた。

「・・・明日、姉さんに会って来るわ」

「解かった」

 あたしは小さく頷いた。

 その時、初めて、部屋の寒さに気が付いて身体が少し震えた。

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