⑰大事な人
日曜日迄がアッという間過ぎて、心の準備をしないまま当日を迎えてしまった。
けれど、準備をしたところできっとあたしは気持ちを乱してしまうだろう・・・それならば、いっその事、ぶっつけ本番で挑んだ方がいいかも知れない。あたしは、気持ちの整理ができていない事を自分の中でそんな風に言い訳した。
十三時過ぎに玄関チャイムが鳴ったので、でっきり瑛子ちゃんだとばかり思って緊張して出たのに、下の階に住む大森さんで拍子抜けしてしまった。
ご近所で何かトラブルがあった様で、大森さんに呼ばれた母さんは、「ちょっと出て来るわね。冷蔵庫にケーキあるから、瑛子ちゃん来たら出してね」と言って慌ただしく出て行ってしまった。
(ケーキなんて食べながら話す事じゃないんだけど・・・)
と思ったけれど、今日何故瑛子ちゃんがここに来るのかを母さんには伝えていなかったので、その言葉は心の中にしまっておいた。
母さんが出た直後、瑛子ちゃんはやって来た。余りのタイミングの良さに驚いた。
「さっき、階段で薫さんに会ったよ」
玄関で靴を脱ぎながら微笑む瑛子ちゃんに、「近所でトラブルあったみたいで、呼ばれたの」とあたしは無表情で淡々と答えた。
「どうしたの?・・・何か、いつもの咲ちゃんじゃないみたい」
瑛子ちゃんは眉毛を八の字にしながらあたしを見た。
(そりゃそうでしょうよ。怜也の事を『好きな人』なんて言っておいて・・・この人、正気なの?)
だけどあたしは、その言葉も心の中にしまっておく事にした・・・否、今はまだ出す時ではないと思って、一旦しまっておく事にした。
あたしの部屋に誘導しようとしたら、「ここでいいじゃない」、と瑛子ちゃんは居間で立ち止まった。
(どうしよう・・・)と一瞬迷ったが、隠れてこそこそする話でもないと思い直し、あたしは素直にそれに応じた。
「カフェでできない様な大事な話って、なぁに?」
勝手知ったるで居間のテーブルのいつもの場所に腰を下ろすと、瑛子ちゃんは笑顔であたしを見上げた。その正面に座って、あたしはゆっくりと口を開いた。
「・・・短刀直入に、訊くね」
「怖い顔して・・・どうしたの?」
「怜也から、全部聞いた」
「・・・何を?」
(この期に及んで、しらばっくれるつもり?)
あたしは頭に血が上るのを呼吸法で抑えながら、次の台詞を探した。
「怜也のバイト先に行ったり、嘘ついてまで怜也を『珈琲屋』に呼び出した理由を、教えて」
「・・・わかんないの?」
「え?」
(この人は一体何を言っているのだろう)、と真剣にそう思った。
「言っとくけど、怜也くんを好きになったとか、そういうのじゃないから」
「じゃあ・・・じゃあ、何で?」
瑛子ちゃんの
「怜也くんが咲ちゃんの大事な人だから」
「言ってる意味が、わかんないんだけど」
「咲ちゃんが、私の一番大事な人を私から奪ったからよ?」
(この人は何を言っているんだろう・・・)
日本語なのに、理解できない。英語よりも理解できない。
「あたしの・・・あたしの質問の答えに、全然なってないんだけど!」
語尾が、怒りで大声になってしまった。
「なってるわよ、ちゃんと」
冷淡な表情と声色で、瑛子ちゃんはあたしを真っ直ぐにみつめながら言う。
「瑛子ちゃんの一番大事な人なんて、あたし、奪ったり・・・してないから」
声が震えてしまった。
悪い事なんてしていないのに、悪い事をしたと言われた様な気がして、震えてしまった。
「奪ってるじゃない」
瑛子ちゃんは、今度はとても低い声であたしを睨みつけた。
「あたしが・・・あたしが誰を・・・奪ったって、言うの?」
睨みつけられてたじろぎながら、あたしは混乱する思考の中で訊ねた。
瑛子ちゃんは、
「・・・薫さんよ」
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