タタキツケル

砂糖

第1話

 あの、もしかして、連絡くださった方ですか?はい。そうです。安住です。すみません、お待たせしちゃいました?急に雪がひどくなってきて。困っちゃいますよね。


 もう何か注文されました?お冷で十分?……はぁ、そうですかぁ。店員さん、注文お願いします。ブレンドコーヒーひとつで。あと、こちらの方にもお冷をお願いします。

 ……なんだか気が利かないですね。こっちから言い出さないと、お冷も持ってこないなんて。


 え、名刺?どうもご丁寧に。……これ、なんで読むんですか?"ヒルマ"?へえ、珍しい苗字ですね。

 私、お店の名刺しか持ってなくて。源氏名だし、いらないですよね。あ、でもやっぱり、お渡ししてもいいですか?お店ここから近いので、気が向いたらきてくださいね。指名は"ルナ"でお願いします。ふふ。


 改めまして、安住です。都内の大学の三年です。自己紹介って、この程度でも大丈夫ですか?ほら、今って少ない情報でも特定できたりするじゃないですか。だから怖くて。……ごめんなさい、ヒルマさんを警戒してるとかそういうわけじゃないんですけど、一応です。万が一、です。

 

 そうそう、そうですよね。怪奇体験、ですよね、私の。でも、ほとんど友達にも話したことないこんな話、よく嗅ぎつけましたね。あ、嗅ぎつけるなんて言い方失礼ですよね。ごめんなさい。いや、すごいなぁって思って。ライターさんって。

 あ、本題。そうですよね。雪もすごいし、早めにお話しした方が良さそう。でも、ヒルマさん、全身防水服って感じで、濡れても平気そう。ふふふ。


 ……ええと、お話しする前に、ひとつだけ。体験したことはもちろん、嘘偽りなく、覚えている限り詳細にお話ししますけど、その他のディテールっていうか、細部にはところどころフェイクを入れてもいいですか?本題には関係のないところだけ。ほら、怖い世の中なので。


 あ、コーヒーができたみたいです。……どうもありがとうございます。わあ、ここ、コーヒーはちゃんと美味しいです。香りもいいし、あったかい。ヒルマさん、本当に注文いいんですか?え、おかわり?はぁ。……あの、店員さん、お冷のおかわりいただけますか?


 じゃあ、本題に入りますね。


 あれは私が中学2年の、真冬でした。そうですね、ちょうど今の季節です。確かあの日も、今日みたいに、夕方ごろから突然雪が降り出して。あ、私の地元は雪国なので、突然の大雪なんてよくあることでした。日常です。こんなことを言うと、雪国マウント、なんて言われるかもしれないですけど。え、ヒルマさんも雪国育ちなんですか?なんだぁ、なんだか親近感が湧きますね。

 雪国って言っても、ど田舎の、恐ろしい風習が残る不気味な村、とかではないですよ。そこそこ住宅街があって、ショッピングモールもあって、むしろ田んぼや畑なんてありませんでしたから。

 それで、その大雪になった日、たしか、雪が降り始めたのは、部活終わりに友人たちと下校しているときでした。数分前までの晴れ間が嘘みたいに、あっという間に空が白くなりました。綿を適当にちぎってばら撒いたみたいな大粒の雪が視界のほとんどを埋めて、街が真っ白になっていくんです。ああこりゃ積もるな、って、冬限定の大人たちの口癖が頭の中で聞こえました。寒さが痛みに変わっていく指先をコートのポケットで守りながら、雪に染まっていく道路を足速に、でも慎重になって歩いたのを覚えています。そんな日のことです。

 帰宅して、家族でご飯を食べて、私がいつも一番にお風呂に入るのが暗黙の了解でした。父、母、弟。なんとなくみんな、思春期の一人娘に気を遣っていたのだと思います。

 疲れた体を湯船につけると、筋肉が緩んでいくのが分かりますよね。私、昔はよく、お風呂に入るといつも寝ちゃってたんです。運動部だったので体は疲れ切っていましたから。でも、そのせいで長風呂になって、いっつも家族にどやされていました。

 そういえば、お風呂で寝ちゃうのって、実は気絶しているらしいですよ。脳に酸素が回らなくなってどーたらこーたらって、インスタで見たんです。だからあの頃の私、毎日気絶してたんです。実は。ホントかよーって思いますけどね。

 

 あ、脱線しちゃいました?すみません、話戻しますね。


 その日も、湯船でぼーっとしていました。明日の朝、雪どのくらい積もるのかなぁ、雪かき嫌だなあ、って。大雪だと、よく早朝の雪かきに駆り出されてましたから。車が雪にはまらないように、タイヤの周りや動線の雪を軽く退けるんです。あとはフロントガラスとか、車の屋根とか。それに、雪道を歩くのは時間がかかりますから。いつもより30分は早く出発してましたね。雪国って、マジで損。

 そんなことを考えていて、例の如くその日も、だんだんに微睡んでいきました。瞼が重くなって、脳みそが動くのを嫌がります。

 ふと、音が耳に入ったんです。外の音でした。それまで雪が、心身と音もなく振り続けていたのに、気がつくと雨音が鳴っていたんです。


 ぽつ、ぽつ、ざああああああああああ


 あっという間に雨が強くなって、風も吹き始めました。窓が揺さぶられる音と、吹き付ける雨音が、不自然なくらい浴室に響いて、なんだか……、不安定、な気持ちになりました。いつも優しい人が急に怒鳴った、みたいな。日常に裏切られた不安定さ。いきなり牙をむかれた感じ。わかります?


 ガン、ガタガタガタガタガタ、ガン、ガタ


 ザアアアアアアアアアアアアアアアアアア


 止まない音の中で、最初は、この雨が雪を溶かしてくれることを期待していました。雪かきを免れるかもしれない、とかそんなふうに考えていたんです。でも次第に違和感を覚え始めて。停止間際の脳みその余白に何かが引っかかって消えませんでした。


 ガン、ガタガタ、ガン、ガタガタガタ


 規則的に、鳴っていたんです。

 もちろん雨音は不規則です。風の音も。でも風に揺れる窓の音の中に、意志を持って、故意に鳴らされている音がある、と、気付いたんです。


 ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、


 一際大きく、目立っていました。一定の間で、音質も違う。集中するほどに、確信に変わっていきました。

 体が固まりましたよ、あの時は。恐怖に筋肉と関節が張り詰めて、すりガラスの窓を見上げることができませんでした。

 最初、不審者が異常者が嫌がらせをしているんだと思ったんです。私ってオカルトとか、ホラーとか好きなんですけど、そのくせビビリで、シャンプー中に後ろから視線を感じて振り返ったり、学校の3番目のトイレには、花子さんが怖くてずっと入らなかったり。そう言う子供だったんです。

 何が言いたいかって言うと、怖いと思ったことは幽霊心霊オカルトホラーに結びつけちゃうような子供だったのに、そのときは、「不審者かな?」って思ったってことで。それが後々不思議に思えてきて。意外と冷静だったのかも、とも思ったんですけど、そんなわけないくらいビビってたし。で、なんでかなぁって考えたんですけど、多分その時のその音が、あまりにも"リアル"だったんですよね。現実すぎるって言うか。

 結局幽霊やその手の話って、在りそうで無い、無さそうでも在りそう、っていう不透明さが怖いんです。あの頃は特に。

 でもソレは"在った"。確実に。

 だから私は、現実的な、リアリティのあるものを想像したんだと思います。

 

 ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン


 音が一向に収まらなくて、軽くパニックでした。だけど次第に好奇心が出てきちゃって。

 馬鹿ですよね。死亡フラグですよ完全に。ふふ。

 でもだんだん気になっちゃって、私。こんな土砂降りの中、一体どんな顔してこんな嫌がらせしてるんだろう。どんな奴なんだろうって。

 

 意を決して、窓を見上げました。断言できます。やめておけばよかった。


 すりガラスに手のひらがふたつ、べったりとくっついていたんです。こう、指を目一杯広げて……、いやこんなんじゃないんです。もっと指と指が離れてて、そう、百合の花を真上から見たような感じ。


 ガン


 その音の状態に、暖まったはずの体が、四肢の末端から冷えていく気がしました。


 手のひらと手のひらの間に、打ち付けていたんです。なんども、なんども、なんども、顔面を。


 顔面ですよ。顔面。頭じゃなくて。ガラスに並行に。表情が見えるくらい、びったりとガラスにくっついて。異常ですよね。普通できませんよそんなこと。自分からあんなに力強く顔をぶつけるなんて、鼻をぶつける恐怖心で、 

まず躊躇しますよね。

 ……ええ、表情が見えるくらい、です。見えました。見てしまいました。アレの顔を。


 極端に離れた両目は大きくて、それをさらに大きく見開いた真ん中の、異常なほど大きな黒目は、しっかり私を捉えていました。顔が打ち付けられるたび、何度も目が合いました。 

 口は、目よりも大きさが異常でした。口裂け女の顎を外して、皮膚が破ける限界まで口を開けて、やっとアレと並べると思います。赤ん坊くらいなら丸呑みできますよあれ。真っ黒で何も見えない空洞でした。


ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、


 気が狂いそうでした。すりガラスにあの顔が映るたびに、黒い眼が二つとも私をしっかりと捉えているんです。体が動かなくて、しばらく頭も働かなくて、何度もその光景を、ただ見続けることしかできなかったです。


 どのくらい経った頃でしょう。1分とも、1時間とも思えてしまうような、時間が止まったような空間でした。じわじわと思考が戻ってきて、そうなると自然と恐怖も一気に押し寄せてきます。私はなるべくアレを刺激しないように、できるだけ静かに、震えておぼつかない手足をなんとか動かして風呂場を出ました。湯船から出る時、浴室から出る時、アレの姿をなるべく視界に入れながら。その間、私の動きに合わせて、あの黒目はずうっと私を追い続けていました。

 濡れた体を拭く余裕なんてなくて、バスタオルを体に当てて、猛ダッシュで2階のリビングに駆け込みました。中学2年生の女の子が、ずぶ濡れのままタオル1枚を前に当てて、今思うとマヌケですよね。両親と弟は驚いて、だけどどこか呆れたように、ゴキブリか?蜘蛛が?と、虫が出た前提で質問してきました。確かに虫は苦手でしたけど。でも、あまりにも怖がり方が異常な私の様子を見て、母が戸惑いながらも体をさすってくれました。そこで一気に緊張の糸が切れました。泣いて、泣いて、その日は母の布団に潜り込んで寝だと思います。


 え?家族に詳細ですか?話せるわけないじゃ無いですか。信じてもらえないですよ、どうせ。それに怖がらせたくもありませんでしたし。

 あ、そうそう。あの後、母に聞いたんです。さっき、急に雨になったよね?って。でも母はそうなの?って。次の日の朝、びっくりしました。しっかりと雪、積もっていましたから。そもそも雨なんて、降ってなかったんです。


 特になんのオチもない体験談でしょ?アレの正体も、原因も、何にもわからないし。もしだったら、この話をモデルに適当に話作っちゃってもいいですよ。その方が面白くなりそう。


 え?お冷?またですか。ずいぶんお水飲みますね。店員さーん、いいですか?


 心当たり、ですか。ないですねぇ。その後?特に変わったこともないし……。


 あ、そういえば、いや全然関係ない話なんですけどね。最近変な夢、見るんです。最初はビルか、塔か、何かの高い建物の屋上にいるんですけどね、突然思いっきり押されて?なんか、すごい強い力に吸い寄せられるみたいに猛スピードで、地面に落下するんです。ベチャって音を立てて私が潰れて、周りには、その、蛙の死骸がね、私とおんなじような格好でたくさん散らばってるんです。きもいでしょ?

 あーでもこの夢の原因ならわかりますよ。私、昔、好きだったんですよ。蛙潰して遊ぶやつ。……あれ、聞いてます?

 結構普通だと思ってたんですけどね。幼稚園の頃から友達と、冬眠中の蛙を見つけては、地面に叩きつけるって遊びをやってましたから。誰が一番いっぱい叩きつけられるか競争!鬼ごっこ、かくれんぼ、キャッチボール、タタキツケル!ですよ。

 冬になると、冬眠した蛙がね、時々石の下とか、田んぼの土の中にいるんですよ。こう、手足を縮こまらせて、マネキンみたいに動かない生きた蛙が。面白いですよぉ。死んだみたいなのに生きてるってところが。でもただ見つけるだけじゃつまらないから、叩きつけて、カウントするんです。ベチャ、ベチョ、ペチャ。道路を、だらしなく手足を広げた潰れた蛙が埋め尽くすんです!圧巻ですよ!

 さっきフェイク入れるって言ったじゃないですか。本当は私、結構田舎の方出身なんですよね。ショッピングモールも車で20分はかかるし、コンビニは徒歩30分。でもちゃんと住宅街でしたよ。田んぼもたくさんあって、カエルもたくさんです。だから、虫が苦手っていうのもフェイク、です。

 それで、友達と下校してたって言うのもフェイク、っていうか、こっちは嘘って言った方がいいですよね。

 いじめられてたんです。だから友達と仲良く帰れなかった。原因?さあ。中学の運動会で蛙を見つけて叩きつけたら、いきなり気持ち悪いって言われました。そういえばみんな、あの頃には全然一緒にやってくれなくなってたなぁ、タタキツケル。


 お冷?また?もうピッチャーもらいましょう。すみませーーん!


 あれ?なんか、雨の音聞こえません?ほら。雪が雨に変わったみたいです。ラッキー。

あの、私の話は以上ですけど、他にも何かありますか?なければそろそろバイト行くので。


 え?夢を見始めた時期?そういえば、ヒルマさんから連絡をもらった頃からだったかなぁ、偶然ですね。


 あ、偶然っていえば、ずっと思ってたんですけど、ヒルマさんって"蛙"に"間"って書きますよね。私、蛙って大好きなんですよ。お顔もどこか……あれ?思い違いかな。


 あれ?なんだか、音が。いや、聞こえません?ほら、雨音に混じって。こう、タタキツケルような、規則的な音が…。

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タタキツケル 砂糖 @abochan

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