第16話 決戦前夜(1)
「松子くん。君はいつも人の話を聞かないが、社会人になったらコミュニケーションを取る必要があると思うのだよ。それはわかるかね⁇」
課長が小言をぶつくさと言っている。私・名川松子は足をぷるぷると震わせながら、未だに正座を続けていた。
確か、課長に呼ばれて席の前に立ったところまでは記憶はある。だが、その後の私は異世界召喚されていたのだ。そして、戻ってきたらこの状態とは……いかがなものでしょうかとしか言いようがない。
「かっ、カチョー」
「なんだね」
私の声に、課長はまるで
「いや……足が痛いので、そろそろ立ち上がりたいんですけど」
「……儂はそんなこと、やれとは言っておらんぞ」
小さく舌打ちをしながら、私はゆっくりと立ち上がった。なぜこの状況になったのかが分からない。だからこそ、正座を止めたくても
課長がまた何かブツブツと話をしている途中で、お昼のチャイムが鳴り響いた。すると、席に座っていた私の同期・頏河明日那は私の肩に手をかけて引っ張ってきた。
「さぁ!!早く行かないと、お昼食べれなくなるよ!!課長、話は昼で良いですよね⁇昼、行ってきまーす」
そう言うと、明日那は課長の返事も聞かずに私を引っ張って会社から出たのだ。
「んで、最近はどうなの⁇」
またも同じラーメン屋に来た私達は、注文をしてラーメンを待っていた。なぜだか明日那は目をキラキラさせながら、私を見つめていた。何を期待していると言うのだろうか。
「何が⁇」
「仕事はいつも通りだけど、今日の松の雰囲気が違うからさ。何か良いことでもあったかなーって。……気になる人とか、彼氏とか!!⁇」
どうやら明日那は、恋バナをしたいようだ。私はため息をついてしまった。そんな話、あるわけがない。
「最近の出来事なんて、モブとクリスタル集めをしたとかそんくらいだよ⁇何も面白いことはないからね」
なんだつまらないと言う明日那を見て、私はふと思いだした。そして、私は恐る恐る手に目線を下げた。そして、グーになっている左手をゆっくりと開いた。
手の中には、リクルンが使用していたサマライドの指輪があった。
リクルンに叩き置かれたのと、異世界へ移動したからか、輝きを失っている。だが、リクルンの指輪の特徴である王章がついているのだ。これなら、明日那でも納得せざるを得ないだろう。
私は机の上に、リクルンの指輪を置いた。
「明日那……これ」
「えっ……」
明日那は机に置かれた指輪を見て、言葉を失っているようだ。どうやら今回ばかりは、本物の異世界商品だからケチの付けようがないだろう。
「松……これ、買ったんだ」
「……えっ⁇」
私は驚いてしまった。買った……とは何のことかと。
「週明けに一部店舗で指輪の販売しているんだってね。でも松……これはネットに上げないほうが良いよ」
「なんで⁇」
最悪なタイミングで、私は指輪を手に入れたようだ。だが、この指輪こそが本物だ。他のパチものとは比べ物にはならない。輝きを失っても、本物の結晶石なのだから。
基本的にSNSだのそんなものを私はやっていない。だから、明日那が言うこと通りにするのは確かだけど、どうしてダメなのだろうか気になってしまう。
まさか、明日那にはこれが本物だと感じる何かがあるのだろうか。
私がじーっと明日那を見つめていると、明日那はやれやれと言うように首を振った。
「まだ販売して数日だって言うのに、こんなに傷だらけだからよ。買いたかった人や、推しのアイテムをこんな扱いしているなんて知られたら、炎上しちゃうよ⁇」
夜、私はやっと家に帰ってきたのだ。
昼が終わって、再び課長の元へ行った。そこで、課長は私がどのくらい話を聞いていたかと言う話から始めた。
そんなもの、何も聞いているわけが無い。課長からすれば、私はその場に正座して話を聞いていたように見えるかもしれない。
だが、本当の私は異世界でモブと旅をしていたのだ。ご飯を食べたり、クリスタルを集めたり、またご飯を食べたり、クリスタルを集めたり……していた。
そんなだから、課長に二倍怒られる羽目になったのだ。
「……てか、明日那……なんて余計なことを」
私は仕事着を脱ぎながら、ラーメンを食べている時に明日那から言われた言葉を思いだしていた。
最近、明日那に話をするのは、モブの話ばかりだと言われた。そんなだから、ゲームよりも恋に目覚めて
だが、実際にモブにしか会っていないのだ。
だから、明日那の深読みしすぎだと私が笑うと、明日那は変なことを言い始めたのだ。
前までは何でもかんでも、無理矢理私の推しのリーくんに話を紐づける癖があったと。そんなことはしていないと言いたいが、口を開けばリーくんの
だが、最近はどうだ。
口を開けばモブの話ばかり。モブが何をくれた。モブが何をした。モブが活躍した。モブモブモブモブばかり。
本当にモブって誰よ状態だと、明日那に切れられたが、モブはモブなのだ。
それ以上でも、それ以外でもない。
私の仲間以外、何でもないのに何だと言うのだ。
そう言うと、明日那はニヤリと笑ってこう言ったのだ。
――もしかして、モブに恋したとか⁇
その言葉を聞いて、私は世界が固まってしまったのだ。
その発言のせいで、午後の仕事はいつも以上に上手くいかなかったのだ。
課長に怒られ、仕事も上手くいかない……最悪な一日だった。
何が『モブに恋した』だ。そんなこと、あるはずがないだろう。アイツは善良なモブであって、攻略対象ではない。
むしろ、攻略対象落ちした憐れなキャラなんだと世界中に叫びたいものだ。
私は穴が開いたヨレヨレのワイシャツにでろんでろんに伸び切ったセーター、ブカブカのスカートを片手に、脱衣所へ向かった。そして、それを洗濯機の中に投げ入れた。
私は姿見の前に立ち、自分の姿を再び見つめた。無地の黒キャミソールに少しはみ出て見える黒の下着、上は婦人服で見つけたノンワイヤーで着け心地最高のセール品、下はボクサーパンツといつも通り変わらない。
「あっ、部屋にタオル置きっぱなしだ……本当に今日はついてない」
そう言いながら、私は脱衣所の扉を開けた。
扉を開けた目の前に、モブが立っているなんて思いもしなかった。
またこのタイミングで異世界召喚かよと思ったが、モブが顔を真っ赤にして慌てながら横を向いた。
そう、私はあの時と同じ姿で召喚されてしまったのだ。特別色っぽい姿をしているわけではない。だが、どうしてかよくわからないが、急激に恥ずかしくなってしまったのだ。私もモブにつられて顔が真っ赤になり、今までに出したことの無いような甲高い声が出てきた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!!!」
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