第2話 牢屋からこんにちは(2)

「取引と言っても簡単だ」

「お断りします!!」

 スペアードの取引内容を聞いたら、絶対にスペアードルートに入ってしまう。そうなっては、私の最推さいおしには会えないし、地獄の門に立たされるではないか。そんな目にわないためにもここではっきりと断る必要があるのだ。

「ほぅ。断ると言うのか」

「……えぇ。断ったらどうなるって言うの⁇」

 相変わらず冷たい笑みで私を見つめているスペアードに、私は負け時とにらみ返しているのだ。どんなに理不尽なことでも私は戦える。伊達だてに課長と毎日戦っているわけではない。平社員の自分が課長と張り合えるのだから、スペアードにだって勝ってみせると私は気合を入れた。鼻息荒くスペアードを睨んでいたが、スペアードはハッピーエンドで見せたとき並みの穏やかな笑顔を見せてきた。

「じゃあ、取引を受けるか、のどちらが良いかな」

「はい!!!!取引をお願いします!!!!」

 私はそう言うと勢いよく土下座のポーズを取り、スペアードに祈るように手を合わせた。まさか、スペアードの笑顔が見れるとは……そして、そのお言葉。つまりハッピーエンドでエンドロールが流れ終わった後、主人公は斬首刑にでもされたのだろうか。だとすれば、猛者達が見たエンドロールは最後の晩餐ばんさんだったと言うことだろう。

 恐る恐る顔を上げると、満面の笑みのスペアードがそこにいた。その笑顔に私はすべてを悟ったのだ。私もここまでと言うことか。一瞬にして血の気が引いて、絶望的な顔になっていた。

「そういえば、異界の者は何と言う名だ⁇」

 私はハッとした。そう、ここで初めて主人公の名前を付けることができるのだ。ここで名前と呼び名を設定でき、他の攻略キャラにもその名で呼ばれるようになるのだ。最後の晩餐とか、そんなどうでも良いことに惑わされていたが、これは重要なイベントではないか。私は通常営業の顔に戻し、名前をどうするか悩んだ。確か、デフォルトの名前はだ。

「リリア……」

「ほぅ、リリ」

「リリア・めっちゃ可愛いまーちゃん・天賦てんぷの才能を秘めた天才かつビューティーレディ・最高に素敵な俺の女神・君の瞳しか見えない・まーちゃんは俺のもの・マーちゃんの下僕げぼくは俺だけ!!!!……って名前です」

 私は思いつく限りの言葉を名前に取り入れた。ゲームだと入力制限があるが、これは異世界だ。それなら、推しにも攻略キャラ達にも褒めに褒められたいし、言ってほしいセリフを名前にめておけば毎回言ってくれるだろう。なんと私は頭が良いのだろうか。

「そうか」

 スペアードはうなづいた。どうやら名前の設定は完了したようだ。私はニヤリと笑った。

「そなたの名前は……と言う名だな」

「あぁん!!⁇松子って言うんじゃねぇ!!!!えっ、なんで⁉なんでそーなるの!!⁇どこ⁉どこに松子要素あった⁉」

 私が半ギレでそう言うと、スペアードは私の胸元を指差した。私は指差された先にゆっくりと視線を下ろすと、そこには名札があった。私の会社では名札をつけなければならないのだが、名札には上の名前が書かれているのだ。だが、私の名札には汚い字で『松子』と紙テープが貼られていたのだ。この汚い字には見覚えがある。課長の字だ。

「あんんんんのはげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっ!!!!!!!!」

 折角せっかくの名前設定を、私は課長のせいで失敗してしまったのだ。私は天をあおぐように顔を上に向け、涙が見えぬよう顔を両手でかこうことしかできなかった。


 絶望状態の私を他所よそに、スペアードは何か説明をしていた。多分、この世界についての説明だろう。こんな状態の私を気にかけないで説明をするとは……流石さすがは冷血人間だ。

「……ということだ。つまり今、この世界は魔王の脅威にさらされているのだ。神はこの世界を救うために異界の者をこちらに召喚するのだ。それが松子、そなたのことだ。殿下は昔から異界の者に憧れをいだいていたのだが、乱暴かつ話を聞かない珍獣ちんじゅうのようなそなたを見て幻想がけたようだ。その点はそなたに感謝をしている」

 スペアードはこちらをちらりと見つめてきたが、私は魂が抜けて放心状態なのだ。どうか放っておいてほしいのだが、やつはせきばらいをしてそのまま続けるのだった。

「……そなたには私の手足となり、国の発展と脅威をつぶす役割をになってほしいのだ。普通の令嬢であればそんなことを頼めないのだが、そなたには神のご加護を受ける資格があるのだ。神のご加護を受け、この国を私と共に守ってほしいのだ。無論、一人では厳しいと思う。だから、私や騎士団もできる限り力を合わせてそなたを守り、共に戦うつもりだ。……どうだ⁇私と共に立ち上がってはくれぬか⁇」

 どこから聞いていないかは覚えていない。もしかしたら意識はあったかもしれない。絶望のふちに立たされた私は疲れと無気力に襲われ、その場で寝落ちしてしまったようだ。多分夢の中だろう。そう、夢の中で椅子に座ったスペアードがこちらを無表情で見つめているのだ。そして、にこりと笑いその場を後にしたのなんて、夢に違いないのだ。


「はぁっ⁉」

 私はカッと目を開けた。目の前には課長がいた。

「……やっと起きたかね」

 辺りを見渡すと、いつもの職場だ。どうやら私は異世界から戻ったようだ。もしかしたら、私の場合は夢の中に引きずり込まれるタイプの異世界召喚なのかもしれない。

「……ったく、目を覚ましたならさっさとお茶を入れんか」

 課長はそう言うと、コップを私の前に出してきた。私の手には卓上ポットがあった。そう言えば、異世界に行く前にお茶の準備をしていたのだ。とりあえず、お茶を入れようとポットのロックを解除した時、思いだしたのだ。

 私は自分の名札に目線を下ろした。そこには汚い字で『松子』と書かれた紙テープが貼られていた。誰がどう見てもこの字は課長の字だ。

「課長……」

「なんだい松子くん。早う茶を入れんか」

「きさまのせいでぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっ!!!!」

 私はポットのふたを外し、課長に目掛めがけてポットの中身が当たるよう振りかけたのだ。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」

 課長は悲鳴を上げて顔を払った。そう、私は覚えていたのだ。まだポットにお湯を入れていないことを。怒りのあまりアツアツのお茶をかければ傷害事件となってしまうが、私がかけたのはお湯が入る前のお茶っぱだ。これなら問題は無い。

「ぺっぺっ、松子くん!!!!君はどんだけポットに茶葉を詰めているんだね!!」

「勝手に名札にテープを貼んな!!このヅラチョーが!!」

 今日もいつも通り、課長と私のケンカが勃発ぼっぱつし、社内は騒然とする。いつもと変わらない騒動に、社内の誰一人止めることも、怖がることもなくそれぞれ与えられた仕事を淡々たんたんとこなしているのであった。

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