第3話 優しい王様(1)

「だーかーら!!何度言えばわかるのよ、この禿親父!!!!」

 社内で怒声が鳴り響く。だが、誰もこちらを見ようとしない。なぜならこれは日常茶飯事の出来事であるからだ。

「あーうるさいな。年を取ると、女はばばあになると言うが、その典型例じゃないか⁇まったく、明日那君こそ人の話を聞いてくれんかの⁇」

「あぁっ⁇それならあんたは頭が爆発して髪が禿げ散らかってんのか⁇」

 なんともみにくい争いを、私・名川松子はお茶をすすりながら見つめていた。課長と戦うのは、私と同期である頏河明日那だ。課長に判を押してもらおうと待っている人も、この状況では声をかけることすらできない。今ここに入るのは、自分の身に危険がせまるからだ。

「あーっ!!すみません、課長!!」

 トイレから戻ってきたのであろう男性が、大きな声を上げて駆け寄ってきた。そして、明日那の腕を掴み、課長に頭を下げているのだ。彼は頏河のどかわたける、明日那の旦那さんだ。

「尊ー、でも課長が話を聞いてくれないのよ」

 明日那は旦那に不貞腐ふてくされた顔を見せているが、旦那はよしよしと頭を撫でて落ち着かせていた。

「たけるーん、儂はこの企画は駄目だと言ったのに、頏河くんがやらせろって迫ってきて怖かったのだぞー」

 なんとも気持ちの悪いブリブリとした声を課長は発した。社内の人間全員、凍りついたであろう。毎回の騒動には誰も微動だにしないが、未だにあの課長の反応に慣れる人物はいない。

「いやー、本当にすみません。明日那は会社に貢献するため、張り切り過ぎてしまっていたようです」

 いやいた。彼だけは適応していた。彼は優しくのほほんとした性格で、社内のムードメーカーだ。黒い短髪で、垂れた目に優しい笑顔が特徴的だ。

 明日那とは対象的な存在で、交じり合うことはないと思われていた。だが、課長が恋のキューピットとなり、二人は結婚したのだ。

 私と明日那が入社して少し経った頃だろうか。明日那の営業成績が少しずつ男性陣を抜いて、目立ち始めた頃だ。営業先の契約について、課長と明日那がめたのだ。

 営業先の会社が倒産する可能性があったため、契約を取りやめようとする課長と、契約を継続するという明日那のバトルは一週間にも及んだのだ。最終日、やはり意見が合わずに課長が却下したがために、明日那はブチ切れたのだ。

 あろうことかヅラ疑惑のあった課長のヅラを取り外し、窓からブン投げようとしたのだ。この会社は十二階にあるため、ここから落としたら見つけることがほぼ不可能だ。運悪く空から降ってきたヅラに当たった人は、その日一日を不運に過ごす羽目になってしまうのだ。

 流石さすがにヤバいと感じた私は、明日那を止めようと重い腰を上げた時、勢いよく走る男性がいたのだ。それが、明日那の旦那だ。明日那を引き留めて説得し、課長の頭にヅラを戻して必死に謝罪をしていたのだ。彼は私達より五年前に入社した先輩だ。営業に走り回っていていつも会社にいないのだが、たまたま帰社していたようだ。

 別にイケメンでもなんでもなかったので関わることは無かったが、その時だけはヒロインを救うヒーローのようにカッコよく輝いて見えたのだ。

 しかもそのヒーローがすごかったのは、課長を納得させて契約を継続させることに成功させたのだ。それまでは営業男性陣を敵として見ていなかった明日那も、ヒーローに対しては信頼を寄せるようになり、気付けば付き合い、結婚に至ったのだ。

 結婚式で課長が『俺は君たちの恋のキューピット』なんて騒いだものだから、明日那に『カツラのキューピット』と呼ばれて赤っ恥をかかされていたのも良い思い出だ。

 その後、契約を継続した会社は新規開発商品がメガヒットとなり、大手企業にまで上り詰めたのだ。そして、契約を切らなかった明日那に感謝を述べて、今もわが社のお得意様だ。


「んーっ懐かしい。明日那、私さ……」

 目を閉じて頭の中で勝手に回想をしていた私は、そろそろケンカが終わった頃だろうと明日那に声をかけたのだ。

 そう。目を開けた瞬間、そこには鉄の棒があった。

「……わっつ⁇」

 辺りを見渡して確認すると、ここはこの前閉じ込められた牢屋だということがわかった。そして、柵の先には誰もいないのだ。

「……うっそ。またここからスタートなの⁉ってかスペアードはどこに行ったの⁉」

 鉄の棒に掴みかかり、辺りを見渡す。だが、人っ子一人いないのだ。

「おーい!!スペアード!!皆のヒロインがやってきたぞー!!姿を現せー!!」

 どんなに騒いでも、誰も人は来てくれなかった。悲しみに暮れた私は、柵を後ろにして寝っ転がった。どうせ話が進まなくても、時間経過で元の世界に戻れるのだし寝ていようと判断したのだ。


「……はっ」

 どのくらい経ったのだろうか、私は目が覚めたのだ。目の前は真っ赤なのだ。よだれの垂れた真っ赤な床はシミっぽくなっているので、絨毯じゅうたんか何かだろうと思う。私は寝惚ねぼまなこのまま顔を上げて、辺りを見渡した。

 真っ赤な絨毯の周りを囲む鎧……騎士達がいる。真っ赤な絨毯の先は階段となっており、その先に私を見下ろす人がいた。

「ほっほっ。目覚めたかの」

 この感じは、どうやら王様だろう。私は王様らしき人をじっと見つめて、視界をクリアにしていた。

「えっ⁉嘘っ!!」

 徐々にクリアになった視界に映る王様らしき人の姿を見て、私は驚愕きょうがくしてしまった。

「ちょっ、カチョー⁉何偉そうにそんなところに座ってるんですか⁉」

 偉そうに玉座に座っているのは、なんとあの憎たらしいカチョーであった。バーコードみたいな横髪に雲のような髪の毛が上に乗っているいつもの課長とは異なり、白いふわふわの髪が肩まで垂れているのだ。

「なんたる不敬な!!陛下!!私めにこの者を処刑する権限を戴きますようお願い申し上げます!!!!」

 そう言いながら、槍を私の顔の前に勢いよく突き出してきた。

「いや、すみません!!知り合いに似ていたもので、驚いちゃったんです!!そんな王様だったなんて、私は知らなかったんですー!!!!」

 またこの流れかと焦りつつ、どうにかして逃げようと思っているが、相手はあのカチョーだ。処刑一直線な気がする。恐る恐るカチョー似の王様を見るが、カチョーとは異なり、にこにことした顔でこちらを見ている。

「ほほほっ。リクルハートとスペアードがさじを投げたと聞いて興味を持ったが、面白い異界の者だな」

 思ったよりも好印象そうな感じに、私は内心ほっとしてしまった。しかし、リクルンならまだしもスペアードが匙を投げるとはどういうことだろうか。あの状況でスペアードルートに入らなかったのだろうか。

「確か……松子と言ったな⁇お主に一つお願いがあるのだが、よいかの⁇」

 未だにどかされない槍に、王様のお願い……こういう時のお願いほど、断ることのできない願いだろう。ここで断ったら、本当に処刑されるかもしれない。私は腹をくくった。

「はい!!喜んで!!」

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