トマト的

達観ウサギ

トマト的


「ナツナ!! ねえっ 聞いてるの!?」

親友はそう言った。でも、その声は鼓膜を素通りしてしまう。まるで意識が向かない。許してよ。だって顔の真横にトマトまとがあるんだから。



「コマツ ナツナさーん」

受付の若い女の看護師さんが私の名前を呼んでいる。無言で立ち上がり、夢遊病に似てとぼとぼ歩く。

「それで、今日はどうされました?」

ちょっと意地悪そうな顔をしたおじさんの医者が訊いてくる。多分、性格悪い。いや偏見は良くない。

「トマトが描かれた的が見えるんです」

―2秒後―

「……ふふっ」

わらわれた。私の予想は的中した。

「それはさぞ大変ですねぇ。じゃあ、とりあえず頭の検査でもしてみましょうか、一応ね」

何だよ、〝頭の検査〟って。せめて〝脳〟って言ってよ。ああ、完全に頭おかしいと思われてるな。

「あ、大丈夫です。ちょっと様子見てみますので。ありがとうございました」

どうせ適当に診察されるだけだろうから、早々に退室する。

 ドアを開けてくれた可愛い看護師さんも、うすら嗤っているかに感じた。



 ここ最近のことだ。この『トマトまと』が見えるようになったのは。理由はわからない。けど笑っちゃったよ。同じ〝見える〟でも、もっと、何かあるでしょって。幽霊とかオーラとか……。トマトが描かれた的? あはは、何それ。あ、よだれが……。

 目を覚ますと急に現れるんだよね。しかも、律儀にオートで。ちなみに位置はランダム。歩いてても、空を見ててもずっと視界にあるから凄く鬱陶しい。

 でもね、良いこともあるよ。嫌味ばっか言ってくる同僚の顔の位置に上手く的を合わせるんだよ。的は朝起きた位置から動かせないから、私が顔を動かしてね。結構難しいんだけど、その分ストレス解消にもなるかな。

 嫌な同僚から見ると、私がいつもの方向を見てるから、近づいてこなくなったし。多分、変な人認定でもされたんじゃない? 知らないけど。

 まあ、そんな感じで原因不明の病(?)を患って今に至る……。



 今日は早くに仕事が終わった。

「久しぶりに映画でも見るかー」

そう意気込んでリモコンの再生ボタンを押す。

乾いた大地に転がる干し草、西部劇だ。渋い顔をしたおじさん達や茶色のザラザラした服装。この手の映画は好きだ。でも何より、丁度今のシーン、

〝スパァン!! カチャカチャ、ス……〟

早撃ち対決、その手元『銃』が大好き。洗練されたフォルム、発射時の轟音、標的に命中した時の達成感、それら全てが最高。

 確か小学生の頃、お祭りの射的でお菓子の箱を撃ち落としたのが始まりだったと思う。その何とも言えない爽快感に魅了されてしまった。だけど、それ以来オモチャの銃すらも触れてはこなかった。

 両親は厳しく、エアガンが欲しいなんて言うと、

「女の子がそんな物に興味を持つんじゃない」

って偏見まがいの事をよく言われた。そんなこんなで、社会人となった今では〝銃を撃ちたい〟という気持ちはなくなり、こうやって映像で楽しむだけになった。

 ブルルルル。スマホの画面を見て嫌々耳にあてる。

「はい、コマツです」

電話の向こうでは何やら騒々しいBGMが鳴っている。

「もしもし~ アタシぃ今イケメン達に呼ばれてパーティーしてるのっ。よかったらあなたもどうかなって」

戸惑いながら、〈え、いや私は――〉と言おうとした時、手本のような『せせら笑い』が聞こえた。

「あっごっめーん、あなたが来てもだーれも構ってくれないから困っちゃうか~ だもんね~ じゃあねー」

カチッ、ツーツー……。

……本当に嫌な同僚だ。よくもまあ、こんなスラスラと嫌味が言えるもんだ。磨けば良いディスラッパーになれそう。

 リモコンの停止ボタンを押した。映像は銃を構えた場面で止まっている。はあ、溜息が漏れる。やはりモデルガンでも買おうか。そしてサバゲーでもすれば、またあの時の、子供の頃の、脳が弾けるような快感を味わえるだろうか。

 力を抜いて、首をソファに預けた。視界の右斜め上には例のトマト的が浮かんでいた。なんとなく手で銃の形をつくり、的に向けてみた。

「バン」

ささやくように言ってみた。すると激しい音を立てて、的は中心から破裂した。そして幻影と化し、消えていった。

 唖然とした。人差し指の先、いや銃口を見つめる。けれど煙なんてたってない。一瞬すぎて驚くこともできなかった。だけど、的が破裂した時、遠い昔に走り去った衝撃を、私は確かに感じた。



 トマト的を撃つ毎日が始まった。初めは一日一つで動きもしなかったが、日に日にレベルアップしていき、今では一日大体一五〇枚。しかも、超高速で移動したり、よけられたりする。極めつけは、撃たなかったり、連続で外すとケチャップを撃ち返してくることだ。

 このケチャップはトマト的と同じで周りの人には見えないらしい。それでもベチャッと顔に掛かる感触はするし、鏡で見ると何処かのお祭りみたいな有様だ。

 職場で「バンッ バンッ」なんて言ってたから、勿論仕事はクビになった。それなのに後悔や苛つきは一切なく、むしろなぜか清々しい気持ちになった。なんだか人生における成すべき使命を見つけたって感覚がした。きっとこういうのをずっと探してたのかもね。だから、それからも私は本能のままに、トマト的を撃ち続けた。


           ◆


「へぇ~ そんなことがあったんですね…… それはもう、コマツ選手に〝金メダルを取れ〟っていう神様からの天啓ですよ!!」

「あはは、そうなんですかね~ 当時はこんなこと話しても誰も信じてくれなくて。いつも〝なんかヤバイ人〟に見られていました。あ、今ではもう的は見えなくなっちゃったんですけどね」

 私はクレー射撃の選手になった。そして今日、オリンピックで金メダルを取った。なんか不思議な気分だ。そういえば、最後のトマト的に当てるのに何年掛かったっけ。最後は明らかにそれまでとは違った。難易度は勿論、トマトの絵が金色だった。それを撃ち抜いた時は興奮しすぎて気絶してしまった。そして起きた時、何とも言えない虚無に苛まれた。長いRPGを全クリした時の感覚に近い。それから二週間ほど無気力に過ごした。

 ある日、的を撃つ感覚が忘れられず、思い立ってアメリカまで行った。そして、本物の銃を握った。射撃場の店主はおちょくるような顔で、私に射撃課題を出した。それを難なく次々にこなしていった。当然、指鉄砲とは感触が違った。にもかかわらず、いとも簡単に成功できた。どうやら、知らないうちに私の目と技術は極限まで向上していたらしい。

 呆然とする店主の隣にいたおばさんが近づき話しかけてきた。日本語訳だとこんな感じ。

「あなた何者? 私、あなたを見たことないわ」

よくわからなかった。〈私もあなたを見たことないし……〉って。それで次の言葉でやっと理解できた。

「あら、ごめんなさい。私はキャロン、クレー射撃のコーチをしているの。だから、有名な選手は大体顔を知ってる。けれど、あなたは見たことなくって。ところで、あなた、名前は?」

「Natsuna」

カッコつけてネイティブっぽく言ってみた。そしたら、逆に田舎臭くなった。キャロンは無邪気に微笑みながら、

「ナツナ、あなた優勝できるわよ」

と言った。

 それから一年後、今回のオリンピックに出場し、私は世界一になった。本当に人生は何があるかわからない。まさか私が大好きな銃を使って、世界で活躍できるなんて。それもあのトマト的のおかげだ。トマト的が神様からの贈り物なのかはわからない。ただ、自分の好きな事や、やりたい事を思い出させてくれた、それだけは間違いない。

 インタビューが終わり、会場出口へと歩く。表口には人が一杯いるから、人気ひとけがなく、蛍光灯に照らされた狭い裏口から出ることにした。案の定、誰一人いなかった。

 嬉しいはずなのに、気分が上がらない。気づけばうつむきながら歩いている。多分あれだ、またあの虚無が動き出したんだ。これからも大好きな銃を使って生きることができる。それはもう、この上なく幸せだ。だけど、自分の体にポッカリと穴があいてしまった気がする。まるで『私』という的が撃ち抜かれたような。そんな曇った心持ちでズルズルと歩く。  

ぼーっとしてたら曲がり角にぶつかった。頭を抱え、悶絶しながら、曲がった先の出口を見る。扉が光り輝いていた。外は知らぬ間に真っ暗になっていた。青白く光は際立つ。私はドクンと衝動に駆られて近寄った。

 虫がいた。扉の取っ手にタマムシみたいな甲虫が。こんなに発光する虫なんて知らない。私はあの時に似た不可解なザワつきを思い出した。そう、トマト的と同じ匂いがする。恐る恐る虫を掴む。その途端、視界に大宇宙が広がった。

 美しい星々に天色あまいろの地球、照りつける太陽。私の脳は弾けた。よくわからない脳内物質が迸り、頭の中を満たした。ケチャップかも、なんて。こんな衝撃はトマト的以来、いやそれ以上だ。意識が吹っ飛びそう。

 倒れそうになると、宇宙の映像から現実世界に戻った。宇宙を見せてくれた虫は、息が上がる私のおでこにとまった。多分ドヤ顔で。

 呼吸が落ち着いて唾を飲み込んだ。鼻に空気を入れ、静かにドアを開ける。そこには満天の星空が広がっていた。淡い夜風に打たれていると、やっと思い出した。


――そうだ、私は宇宙にも行きたかったんだ。



終わり

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トマト的 達観ウサギ @yrck

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