渡り鳥
概要:戦争って辛いよなって思った
いつだったか、彼女がこぼした。
「生まれ変わったら、渡り鳥になりたい」と、
そして毎年、夏になったら僕に会うために何千キロも離れた土地から海を渡って飛んでくるのだと。
たったひと夏の思い出を作るためだけに。
僕が立つそこは、重たい雲に沈みそうなほどに暗い墓地の一角で、ここには僕の大切な母も父もかわいい妹すらも眠っているんだとつぶやく。
墓地の真ん中には大きなクスノキが立っていて、この季節になると青々しい葉を茂らせた。まるで魂で着飾るようにきらきらと輝くのに、今日はくすんでいる。
明日は、雨になるだろう。
「笑って、見送ってね」
それが、僕の願いだ。
母も父も妹も、最期の顔は笑っていた。
何も言わずに頷く彼女に僕は微笑んで、お礼を言った。
僕を守る分厚い軍服は僕には少し重たすぎた。
帰り道、手をつなぎたいとねだる彼女に負けて、
僕は手を差し出した。
「冷たいね」
彼女の手は温かかった。
「ごめんね」
「うぅん、気持ちいいよ」
重たい雲に潰されそうな僕を支える陽だまりは心地良かった。
いつか二人で誰も知らない土地に移り住んで、昔話のおじいさんとおばあさんのような生活をしたいと語った。
彼女は「だったら南に行こう」と言った。
真っ白で、消毒の臭いがきつい病室で、できもしない夢を語ったものだ。
もう、あの部屋には戻らなくてもいいと喜んだ矢先、突きつけられた現実は僕らをどこまでも深い谷底へ突き落した。
「どんな姿でもいい、あなたであれば」
最後まで笑顔を絶やさなかった彼女に僕はもう一度お礼を言って
「必ず帰ってくるよ」
と、指切りをした
国は、大きな戦争をしていた。
戦って戦って、何千人と犠牲にして、それでも武器をおろすことができなくて、少年たちが銃を持ち、少女たちが爆薬を詰めた。
戦えない人間は人ではないと罵られ、それでも生きた僕に罰が下る。
父は戦火へ駆り出され、母は軍隊に連れて行かれ、僕のそばにずっといた妹も工場の爆撃に巻き込まれた。
心臓の病を患っていた僕だけが生き残り、家族が残した資金で手術をした。
生き残ってはいけなかったと泣いた僕を、私は嬉しいと抱きしめてくれた。
あの日ほど泣いた夜はなかった。
状況は悪化するばかりで、ようやく青空を仰いだ僕のもとに一通の手紙が届くのに時間はかからなかった。
目と足があれば戦えると言われた時、僕は治ったばかりの心臓が止まるかと思った。
薬がなければ息もできない人を駆り出さなければならないほど、この国は追い詰められていた。
いつだったか、父が話してくれた平和な世の中は夢物語に過ぎない。
父の生きた時代からそんなに月日が経ったというのだろうか。
重たい銃器を身に着けて、僕は高い空を見上げた。
敗戦の知らせを知らない僕は痛む心臓をおさえて崩れ落ちた。
薬はあるけれど、手にしてはいけないと、これ以上生きてはならないと、僕の心が悲鳴を上げた。
彼女が気持ちいいといった冷たい手は、生ぬるい血でそまり、彼女が嬉しいと言った僕の命は、多くの命を糧にした。
僕が失ったのは命じゃない。
もっと、もっと大事なもののはずだ。
青い空を二つに割るように飛んだ一羽の鳥のその姿に夏の訪れを知った。
会いにいかないといけない人がいる。
帰らないといけない場所がある。
それなのに僕の心は生きることを良しとしなかった。
「連れて、行ってくれ。彼女の場所に」
渡り鳥がくるりと宙返りをする。
晴天の夏を駆け抜ける。
静かに時を刻む街を一気に抜けて彼女の元に飛び込んだ。
古びた教会で祈る彼女が渡り鳥に気付くと、ステンドグラスからあふれる光と一緒に両手を広げて出迎えた。
「おかえりなさい」
敵の兵士に支えられ、僕は彼女の前に立つ。
また、生きてしまったと掠れた声でつぶやく僕を、彼女は強く強く抱きしめた。
「生きていて、私は嬉しい」
大粒の涙を僕の肩にこぼす彼女に壊れた僕は
滲んだ空をじっと見つめていた。
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