眠れない夜の小話
概要:Twitterでお題をもらって書いたものです
「怖い夢を見た。」
そう言って私の手をぎゅっと握りしめた小さな手は震えていた。うつむいて顔を見せまいとするのは、この子の必死の強がりなのだろう。私を掴んでいる手とは反対側に、彼の大事な友人が握られている。彼の勇気を支える頼もしい仲間だ。皆が寝静まった暗い廊下を友人と共に渡って私の元にたどり着いた小さな勇者は、口をぎゅっと閉ざして私を掴む。昼間は陽だまりの中でキラキラと輝く姿も、新月の闇の中では心細い。私は、私にすがる小さな勇者がたまらなく愛しく、ガラス細工を扱うように、ゆっくり、静かに抱き上げた。
「今日は、特別だよ。眠たくなるまで、一緒にいよう。」
私の言葉の真偽を探る大きな瞳は、涙と灯で揺らいでいた。小さな腕が友人を強く抱きしめる。赤いビーズの目が温かい光を反射させて私を見ていた。ひとつ、私は思い出す。今の彼にぴったりなものがある。私の服を掴んで離さない彼を抱き抱えたまま、本棚をたどる。そこには私の趣味にあう本が多いのだが、こうして遊びに来る子供たちの為に用意した絵本もいくつか取り揃えられていた。その中から、一冊の絵本を取り出す。真っ黒な表紙に銀色の絵の具で描かれたイラストは夜空に向けられた窓の様だった。小さな勇者はじっとその本を見つめている。落ちないようにと掴まれた手は、いつの間にか震えを忘れていた。
柔らかいベッドに腰を下ろすと、小さな勇者は素直に私の隣に座り直す。もちろん、大事な友人を抱えてだ。私の顔と黒い絵本を行き来するその顔は、好奇心で塗り替えられ、キラキラとした目が表紙をめくるように催促をする。先ほどまでの不安はどこに行ってしまったのだろうかと感心しながら、彼に表紙を見せる。銀色の絵の具は光を反射して、彼の視線をとらえて離さなかった。
真夜中の一室に、私の声が静かに響く。石造りのこの家の壁は時折声を反響し、窓越しに聞こえる風の音や、蝋が溶け出る微かな音響が物語の演出をしていく。この絵本は、真っ黒の画用紙に銀の絵の具で文字が書かれている。抽象画のように複雑で、描き殴ったような夜空が何枚に渡って続く。不気味で幻想的な絵に入り込んだ勇者は、銀色の夜空を旅しているような気持なのだろう。身を乗り出して絵本にくぎ付けになっている彼の中に、恐怖はすでにない。
物語はゆっくりと進んでいく。街を、国を、大陸を渡り、主人公がたどり着いた先には、真っ白な空間が広がっている。絵本の中では銀色に塗りつぶされたその空間には、ひときわ強い光があるという。私の目にはどこにその光が描かれているのかはわからない。先日、読み聞かせた子は、真っすぐに指をさした。「ここだよ」と、自慢げに私を見上げるとびっきりの笑顔は何にも代えがたい価値であると私は思う。今ここで、再び夢の世界へと足を踏み込んだ小さな勇者は、きっと赤い目の友人と共に銀色の星々を駆け巡っていることだろう。彼は、光を見つけられるだろうか。等間隔で刻まれる寝息を聞きながら私はゆっくり絵本を閉じる。裏表紙に描かれた真っ黒な影は、小さな子供には見えないらしい。小さな勇者を私のベッドに寝かせ、彼の友人を隣に添わせた。友人の赤い目は、彼も石壁も通り越して、夜空を見ているようだ。
「おやすみ」
そっとシーツをかぶせ、私は絵本を持って立ち上がる。色とりどりの絵本の中に、その真っ黒な背表紙を並べる。異彩を放つその絵本は確かに名作であり、私の愛読書の一つである。作者の記載はない。されてはいけない。誰が何のために書いたかわからないからこそ、この絵本の価値が上がるのだ。私は小さな勇者を起こさないように、足を忍ばせて部屋を出る。蝋燭の明かりに照らされた薄暗い廊下が私を呼ぶ。他の者に見つからないように、私は静かにその家を去った。
新月の闇の中に、風の音だけが、不気味に木々を震わせていた。
「さぁ、今日はおしまい。もう寝ないといけないよ。」
父の声が優しくかけられた。取り上げられた本に向かって手を伸ばすが、背の高い父が掲げた本に届くはずがない。
「明日、遅刻をしても知らないぞ。ほら、電気を切るよ。」
父は私を布団の中に押し込んで、読みかけの本を机に置いた。私は少し不機嫌になりつつも、柔らかく私の髪をなでる父を咎めることはしなかった。
「ねぇ、パパ。私が眠れないから、お話してっていったら、パパはどんなお話をする?」
「そうだなぁ。夢の中でも楽しくなれるような、うーんと面白いお話を聞かせてあげよう。でも、今日はわがままを聞いてあげないよ。お話は十分楽しんだだろ?さぁ、おやすみ」
ちらりと、私の視界に先ほどまで手にしていた本が入る。あの黒い本は楽しい物語なのだろうか。
「うん。おやすみ」
電気が切れた、暗闇で、私は物語を紡ぐ。そうして紡がれた小さな物語の中で、私は夢を見るのだ。
暗闇の中で光を見つけるように。
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