歩む

概要:Twitterでお題をもらって書いたものです



 少年はその足を止めた。


夏休みも終わりに近づき、朝から日暮れまで友達と遊べる日も僅かとなった。空き缶を蹴飛ばしながらゆっくりと沈みゆく夕日が恨めしく、思いっきり目の前の缶を蹴り飛ばした。石壁のど真ん中にあたって、金属特有の甲高い音を響かせて、缶は道路に落ちた。夏休みの宿題が残っているからといって、先に返ってしまった友達は、「また明日」と決まり文句を残して少年を一人にした。厳格な少年の両親は少しずつ宿題を終わらせるように見張っていた為、少年の手元に残っているのは絵日記とラジオ体操カードを埋める作業くらいだ。毎日同じ時間に、同じだけの量をこなしていけば夏休み始めに膨大に思えた宿題も特に苦労することはなかった。毎年、それが当たり前で、同級生が何故自分を追い込んでまで宿題をやらないのか疑問に思うほどだ。夏休みという特別な時間を宿題で潰したくはない。夏休みが終わればまた、同じ時間に同じ場所で同じ人と顔を合わせる日々だ。裏山の探検も、秘密基地づくりも、虫取りも、いとこの比奈ちゃんに会うことも自由にできない。少年は、ゆっくり落ちていく夕日をにらみつけた。とまれ、止まれと、無謀な願いを繰り返す。

八月が終わるというのに残暑はまだ厳しく、昼間は公園の噴水で水遊びをする子供が多い。本当は勝手に入ってはいけない用水路でザリガニ釣りをして遊ぶ子もいる。水辺で遊べるのも夏の特権というものだ。少年の住む街は緑化運動が盛んで、いたるところに木々が植えられている。日向での遊びに疲れて休む場所はいくらでもあった。時にはその木に見たこともない昆虫が住み着いていたりして、少年たちにとってはたくさんの宝箱が置いてあるようなものだった。クラスメイトの洋介が自慢気に公園の欅に登って降りられなくなったのは、つい最近の出来事だ。いつもは自信家で勝気で、少年たちのリーダーのような洋介が、声を震わせて助けを求めるものだから、少年たちも驚いて四方に助けを呼びに行った。たまたま公園で読書をしていた大学生が洋介を抱えてくれた為、大事には至らなかったものの、洋介も少年たちもそれぞれの親からこっぴどく怒られた。それから、洋介はいつものようにふるまっていたけれど、危ない遊びは控えるようになっていた。少年はそんな洋介と遊ぶことが楽しくて仕方がない。

ヒグラシが夏の終わりを嘆く。赤く染められる街に、その声は悲痛過ぎた。少年はヒグラシの声のする木を探し、片っ端から蹴り上げていった。少年が木を揺らすと、ヒグラシは驚いて別の木へ飛び移る。そして、しばらくはあの凶暴な怪獣が襲ってこないか警戒して身をひそめる。少年はヒグラシの声を聴くたびに同じことを繰り返した。終わらせたくなかった。

ポツリと公園に突っ立つ少年は、いつの間にか本当に一人になっていることに気が付いた。ベンチで本を読む大学生も、幼稚園の子供を連れて遊びに来る親子も、ジョギングをするおじさんも、チワワを連れて散歩に来るお姉さんも、いつの間にか姿を消していた。誰もいない公園に、少年だけが立っていて、木々からはヒグラシの声が聞こえている。空は薄紫に変わっている。急に、少年は泣きたくなった。帰りたくなった。夏を終わらせまいと必死だったけれど、どうでもよくなった。一番星が手招くように光っている。どこからかカレーのいい匂いが漂ってきて、少年は空腹を感じた。一日中夢中になって走り回っていたのだから、当然のことだった。少年は太陽に背を向ける。一番星に向かって足を出した。まだ、来年の夏休みがあるじゃないか、そう思うことにした。

公園を抜ける時、横断歩道の信号は赤で、立ち止まっていると道路に転がる缶を見つけた。それは少年が怒りに任せて蹴り飛ばした缶だった。誰かに踏まれたのか、歪な形になっていた。信号が変わる気配がないので、缶を拾いに行くことにした。アルミ缶は真ん中を凹ませて、くの字折れていた。それが無機物であることはわかり切っているのに、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになり、ゴミ箱の中に丁寧に置いた。公園のごみ箱はいろんなジュースの臭いが混ざって気持ちが悪かったけれど、真ん中で静かに横たわるアルミ缶を見つめて、少年は満足していた。

振り返れば信号の色が変わっている。今度こそ帰路につく。横断歩道を一歩、一歩と踏み出すごとに夏休みという呪縛から解放されていくような気持になった。新学期が始まれば運動会も学芸会もある。学校の畑で育てているサツマイモの収穫もある。なんだ、楽しいのは夏休みだけじゃないではないか。少年の顔は綻んでいた。楽しみなんていくらでもある。いとこの比奈ちゃんにだって土日を使えは会いに行けるし、学校で洋介たちとドッジボールだってできる。いつの間にか、早く夏休みが終わればいいとさえ思っていた。

 暗がりにヘッドライトが光る。

 新学期が恋しくなった。

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