花束のかわりに

概要:Twitterでお題をもらって書いたものです 


 夏の終わりに咲き乱れるその花を彼女はきれいだといった。夕日の赤と混ざって、世界が情熱的に彩られるのだという。夕暮れに染み込む虫の声を聴きながら、彼女は長いスカートをなびかせて河川敷を歩く。彼女の影がスッと伸びて、足元で揺らぐ。振り向いた彼女は、そのまま赤い色へ溶けていってしまいそうだった。

 

 火花が目の前で弾けて、私の意識は現実へと引き戻された。破裂音が無数に鳴り響くここは、かつて彼女と歩いた河川敷の近くだ。迷彩に身を包んだ私の手にはいくつもの銃弾が握りしめられている。上官が私をにらんでいた。小さく目を伏せて失態を詫びる。火薬の臭いで満たされた肺が、大きく動く。冷静を取り戻した私に、上官は静かに合図を出した。任務を思い出した私は、しっかりと頷き銃弾を込める。腕の中の重たい鉄の塊は、活躍の舞台をいまかいまかと待ち望むように黒い体を光らせている。手が、震えていた。上官の手が、私の方に触れる。ゴーグル越しに向けられた視線に、緊張しながらも、私の心臓は落ち着きを取り戻していった。ようやく準備が終わった私に休息はない。上官はすぐに次の合図を出す。走れ。敵を見つけ次第、打て、と。私は、黒い塊をしっかりと抱えて、火薬の臭いが濃い方へと走り出した。

 目の前に現れた人間は、私とは違う色の迷彩を身に着けていた。照準を合わせ、指に力を込める。躊躇をすればこちらがやられてしまう。一瞬の判断が命取りだ。破裂音が響く。手から腕、肩を伝って全身に振動が走る。反動の痛みに耐え、銃弾の行方を確認する。様々な煙でできた靄の合間に注目する。視線を外すことなど許されない。ゆっくり、影は地面に引き寄せられていく。私はその時初めて、人を殺めた。心臓を狙ったはずの銃弾は、目的の位置からずれていたものの、ターゲットの首を貫いた。私の運が良かったのか、相手の運が悪かったのかはわからない。ともかく、私が放った銃弾は敵の動脈を傷つけて、乾いた道に墜落したのだ。心臓が破裂しそうなほどに慟哭し、体中が熱を持っているようだった。私の目に、あの日彼女と見た美しい花が咲く。それはそれは、きれいな花だった。鼻腔を抜ける鉄さびの香りに酔いしれて、ごくりと喉を鳴らす。私の中で何かが産まれた瞬間だった。

 英雄と呼ばれることに、違和感が付きまとう。私の行いはその名に相応しいとは思えない。敵国から大衆を守り抜いたとして、様々な賞を与えられても、私の心は満たされなかった。床に伏した彼女の傍らで、私は何日も後悔を叫んだ。守りたかったのは国ではない。大衆ではない。目の前のあなただけなのだと、何度も何度もそのか細い腕掴んで叫んだ。私が初めて人を殺めた日、僅か数キロ先で彼女は銃弾を受けた。病で寝たきりの母親と共に避難をしている最中だったという。民衆を巻き込んだ敵国への反発が強まり、援軍の拡大と敵国への報復を強化するきっかけになった事件だ。結果、私たちの国は勝利し、正義となり、多くの国民を守ることとなった。けれども、私は彼女の事件を聞いて、何故あの時そこにいなかったのか。何故私が撃った相手は彼女を傷つけた敵ではなかったのかと、自責の念に駆られる日々を過ごすことになる。

「目を覚ましてくれ。」

何度祈っても、何度願っても、私の思いは通じることはなかった。終戦からおよそ一年。夏の終わりまで心臓だけを懸命に動かしていた彼女は、ついに私を見つめることなく冷たい土の中へと還っていった。

 葬儀の後も、惨めに墓石の前で項垂れる私を咎めるものはいなかった。一人、また一人と、私に慰めの言葉を置いて人は去っていく。残された私は、曇った墓石の下に眠る彼女を夢見ていた。ゆっくりと日が沈んでいく。影が濃くなった草むらから鈴虫が鳴く。一つ、二つ。いつの間にか無数の声が墓を囲んでいた。ふと、私は視線を上げる。私の虚ろな瞳にも、それは鮮明に映し出された。正面に沈みゆく夕日にかぶさるように、彼女が情熱的だといった花が咲いていた。凛と背筋を伸ばし、花弁を天に向けて咲き乱れている。世界中の赤が凝縮されたようなその光景に、私は息をのんだ。心臓が破裂しそうなほどに慟哭し、体中が熱を持っているようだった。彼女が愛した情景が今まさに広がっている。そうだ、この感覚はあの時のものだ。

「君の好きな花を手向けるよ。でも、本物はすぐに枯れてしまうからね。枯れない花束を、プレゼントするよ。」

私は静かに懐の拳銃を取り出した。


 リコリスの深く悲しい思いを乗せて、私は彼女が愛した情熱的な赤の再現を願う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る