ある穴
彼女は、時間がかかるかもしれないと付け加えて、名簿を確認しに部屋を出た。一人部屋に残された僕は、これ以上彼女の不安がる顔を見たくないという思いから、書置きを残して、このまま家を出て行ってしまおうかと考え始めていた。既に僕は、ベランダに外の路地裏に繋がる抜け穴があることを知っている。
案の定、彼女は中々戻ってこなかった。僕はさっと制服のジャケットをとると、ベランダへ続くドアをそっと開け、外に出た。
ガラガラとドアを開くと、涼しい風と自然のいい香りが全身を駆けめぐった。思わず寝転がりたくなる衝動を抑えて、裸足のままベランダへ降り立つ。そして、目の前に広がる柵の中から、人一人が通れるほどの小さな穴が空いていることを確認する。よし、あそこだ。
「ありましたよ!一年三組、私の隣のクラスに、
バッと開かれた部屋の襖の音と共に、元気な声が段々とフェードアウトしていくのが聞こえる。
僕は言葉を詰まらせた。なぜあのときふと浮かんだだけの名前の人間が、そこに存在するのだろうか。単なる偶然か、もしそうでないなら、僕は本当にその宮本玉三郎なのだろうか。
しばしの沈黙。彼女はパタパタと瞼を
「いや、あの、そこの穴が気になって…。」
沈黙に耐えかねて僕がそう応えると、彼女はますますわからないという顔を浮かべる。
「そんな、ワンちゃん一匹通れるくらいの穴が、ですか…?」
コクリと頷く。それは間違いではない。
そうすると彼女は、再び頬を緩めた。しかし、こちらから目をそらした彼女の横顔は、なぜだか少し悲しそうに見えた。
それから、事は非常にスムーズに運んだ。学校への連絡、病院での診断、学校関係者からの様々な説明。流れるように進んだ時間の後、僕はひとまず、一緒にいた愛里さんに付き添ってもらって、自宅に帰ることになった。
話を聞く限り、僕は確かにそこにいる人間だった。宇野瀬高校一年、宮本玉三郎。肉親は残っておらず、援助を受けて高校生にして一人暮らし。明るい性格で、入学早々から友達も多かったそうだ。信じられない。
自宅へ着くや否や、僕の携帯電話を一通の着信が振動させた。驚きながらも携帯を耳に当てると、そこからは元気な男性の声が聞こえた。
思わずたじろぐ僕を見て、愛里さんは携帯を渡してくれ、という趣旨のジャスチャーをとった。僕がそれに応じると、愛里さんは電話の相手を確認した後、諸々の現状を説明してくれた。
「じゃあ俺のことも覚えてないのか。
スピーカーから聞こえる声からは、今朝感じた以来、久しぶりに懐かしいという感覚を覚えた。僕はこの人と話したことがある、直感的にそう感じた。
「って言われても困っちゃうか。でも明日学校来いよ、絶対歓迎するからさ。皆の顔見れば、記憶も戻るよきっと。」
顔も見えていないというのに頷く僕を見て、愛里さんも嬉しそうに大きく頷いて、元気に声をあげる。
「じゃあ皆、また明日だね!」
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