第13話

 数日後。


 アード様――アード・タルファンは、また約束もなくソファン家の屋敷を訪れました。

 大階段下の広間で私とティディの姿を見るなり、彼は大声で怒鳴ります。


「なんだ! なぜまだそいつがここにいる!? レイナお前、俺の言いつけを守らなかったのかッ!」


「……アード。あなたとは、一つ約束をしていましたね」


「俺を呼ぶときは”様”をつけろと言っただろうが! 俺はお前の夫となる男だぞ! つまりお前よりもずっと偉いんだ!!」


 八回も浮気をしておいて、よく言います。

 私はアードを睨みつけ、ぐっとお腹に力を込めました。今まで脅され続けたせいで、そうしないと気持ちがくじけそうになるからです。


「……お嬢様」


「ティディ、大丈夫よ。私に言わせて」


「御意に」


 ふと肩に優しい感触を得て、私は改めて心を奮い立たせました。

 目の前の浮気常習暴力男なんて、ぜんぜん、これっぽっちも怖くありません。私にはティディがついていますから。


「な、なんだよ! その目はッ!? それに従者! 俺の婚約者にべたべた触るんじゃないッ! そいつは俺の所有物だぞッ!!」


 そんなふうに思っていたのですね。

 でも、私はアードのものではありません。


「アード。あなたには、この前の約束を果たしていただこうと思います」


「ハァ!? 約束!? そんなの俺はした覚えがないぞ!」


「あなたの八回目の浮気を許したときに、書面を残したはずですよ。たった数日で、もう忘れてしまったのですか?」


「ああ、あれか。だから浮気はしていないだろう! むしろ、今浮気をしているのはお前のほうだ! そいつを辞めさせていないばかりか、肩に触れさせてまでいるんだからなッ!!」


 ――ええ、そう。

 見方によっては、確かにそうかもしれません。


 ちょっとだけ、目の前の浮気男のように「私は真実の愛を見つけました!」と言ってみようかと思い浮かび、でもやっぱりやめておくことにしました。

 これまで彼の”それ”を散々聞かされ続けたせいか、なんだか薄っぺらい表現に感じてしまうので。


「もう一つ、約束があったでしょう」


「ああ? さっきからなんなんだ、お前は! いいからそいつをさっさと追い出せ!」


「私の言うことを、なんでも一つ聞くというものですよ」


「ふざけるなッ! だからそいつを辞めさせないなどと言い出すつもりか! お前、やっぱり浮気していたんだなッ!!」


 アードは顔を真っ赤にして喚き散らしました。

 そしてまるで子供が駄々をこねるみたいに、ダン! ダン! と大きく足を踏み鳴らします。


「いいか! この俺がいつまでも寛大な態度をとってやっていると思うなよッ! もう我慢の限界だ!」


「それはこちらのセリフですよ。アード・タルファン」


「”様”をつけろッ! 愚鈍な尻軽無能女ッ!!」


 次の瞬間、絶叫したアード・タルファンが、私に向かって袖口から取り出した杖を向けてきました。持ち主の魔力を増幅する、貴族の護身用の物です。


 それはたとえ護身用と称されていても、人を殺すのに十分な殺傷力を持つ品でした。

 私は驚愕に息を呑みこんで、それでもアードを睨んだまま言葉を続けます。


「アード・タルファン。私はあなたとの婚約を破棄させていただきます。もう二度と、私の前に姿を見せないでください」


「ッッッ!? こ、こ、この、このクソ女ァァァッッ――!」


 叫び声が響き渡り、アードの杖から火炎が迸りました。

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