第12話

 この世界の万物には、精霊が宿るといわれております。


 ただ、その表現は的確ではなく、正しくは”長く大事に使われていたもの”、それと”魔力を帯びた宝石の類”などに宿るのです。


 ほかにも、水の精霊や土の精霊――大自然にも精霊はいると語られております。

 しかし私はそのいずれをも、実際に目にしたことはありません。


 ティディの言う”精霊詠み”という一族についても、耳にしたことはありませんでした。


「……あの、ティディ? ごめんなさい。私は不勉強で、よく知らないの……。せっかく、あなたの一族のことを話してくれたのに……」


「無理もありません。お嬢様、どうかお気になさらないでください。わたくしの一族は、ずっと隠れ住んでいたらしいのですから」


「……らしい?」


「わたくしも、詳しくは存じ上げていないのです。なにぶん、ほとんど記憶がありませんので」


「っ、ごめんなさい!」


「いいえ。本当に、お気になさらないでください」


 私が慌てて謝ると、ティディは緩やかに首を振りました。

 それから、”精霊詠み”の一族について語り聞かせてくれます。


 ――彼らは、ものに宿る精霊と対話し、その記憶を読み取ることができるそうです。

 そして得た”精霊の記憶”を詩歌にして詠うことから、”精霊詠み”と呼ばれているとか。


「わたくしは、”彼”――そのぬいぐるみを受け取ったとき、心が空っぽでございました。そしてそこに、彼に宿る”精霊の記憶”が入り込んだのです。わたくしは再び意思を得ました」


「……でも、おかしいわ。確かに私はこのぬいぐるみをとても大事にしていたけれど、一般的に精霊が宿ると言われているのは、百年以上も大事にしていた物にでしょう? あとは、宝石とか」


「お嬢様、そのぬいぐるみの目をよくご覧になってみてください」


「え? ……あっ!」


 私はぬいぐるみを覗き込みます。

 透き通った青い瞳が、私の顔を見つめ返しました。――”彼”の瞳は、宝玉でできていたのです。


「それは、守りの宝珠でもあります。前当主様……お嬢様のおじい様は、本当にあなた様をとても大切に想っておいでだったのですよ。……そして、その宝珠を通してぬいぐるみに宿った精霊の意思を受け継いだわたくしは、あなた様を愛し守る者へとなったのです」


「ティディ……」


「ですが……この感情は所詮、借り物です。お嬢様がアード様とご結婚なさるために、わたくしが邪魔になるのでしたら、捨てられる覚悟はできております」


「っ!? そんな、そんなこと言わないで!」


 左手でぎゅっとぬいぐるみを抱きしめたまま、私は右手でティディの執事服を掴みました。

 借り物だなんて……だから捨てられても構わないだなんて、どちらも納得できません。


「たとえ初めはそうであっても、私とあなたが過ごしてきた日々は決して嘘ではないはずよ! あなたは空っぽなんかじゃない! ぬいぐるみに宿った精霊でもない! ティディという一人の人間でしょう!? 私はあなたを捨てたりしない!」


「……そう、かもしれません」


 ティディは目を伏せ、小さな声でそう言いました。

 私の肩に触れようとした手が、迷うように震えたあと、下ろされます。……私は彼に抱きしめてもらいたいのに。


「しかしそうであるならば、わたくしはなおさら、レイナお嬢様の元にはいられません。お嬢様はアード様を愛しておられるのでしょう? 浮気を疑われているならば、お嬢様に恋慕を寄せるわたくしを傍に置き続けるのは、あの方への裏切りとなってしまいます」


「えっ……」


 驚いて、私は目を見開いてティディを見ました。

 彼のアイスブルーの瞳が揺らぎ、顔を逸らされます。


 私が、アード様を愛している……?

 そんなことはありません。誤解です。

 あの人のことなんて、これっぽっちも好きではありません。


 ……でも、よくよく考えてみれば、ティディがそう思うのも無理はないです。

 私は慌てて、彼の執事服の襟元を引っ張りました。


「違う! 違うわよ! ティディ、あなたは勘違いしているわ!」


「お嬢様、シャツが伸びてしまいます」


「今それはどうでもいいでしょう!?」


 まったく。

 こんなときでもティディはティディです。

 空っぽの人間が、そんなふうにはぐらかそうとしたりするもんですか。


「私はぜんっぜん、アード様なんて愛していないの! 何度もくだらない浮気をされて、ぬいぐるみまで捨てさせられて、正直だいっっっ嫌いなくらいなのよ!!」


「……ですがお嬢様、その度にあなたは悲しんで、彼の浮気をやめさせてきたではありませんか」


「当たり前でしょう! 大事なこの子を捨てさせられて、それなのに婚約も破棄されたら、なんのために今まで我慢してきたのか意味がわからなくなるじゃない!」


 つまるところ、私は意地になっていたのです。

 もちろん、お父様たちに決められているからというのも理由にあります。ですがそんなの、アード様がいつも得意げに口にしているように、真実の愛の前には些細な事柄でした。


「お嬢様、それは……」


「いい? よく聞いて! 私が愛しているのはあなたなのよ、ティディ! だからいなくなるだとか、あなたの気持ちが偽物だなんて言わせないわ! あなたはずっと私と一緒にいなくちゃだめよ!」


「っ!? いえ、ですが、例えそう――」


「わかった!? 返事は”はい”よ! あなたは私のなんだからっ!」


「――、……。……はい。御意に」


 私は勢いで押し切りました。

 なんとも言えない表情を浮かべたティディがこくりと頷くのを確認すると、途端に顔が火照ってきます。

 さっき、私はなにを口走ったでしょうか? 必死すぎて、よく覚えていません。いえ、多分、おかしなことは言ってないはず。大事なことです。


「…………えっと、だから、そういうことだから、あなたが辞めなくていいように、対策をしましょう」


「……かしこまりました」


 少しだけ気まずい、でも不快ではない沈黙が流れ、私は耐え切れずに話題を探します。

 ふと、ティディと私の間に挟まっているぬいぐるみに視線が向かい、頭に浮かんだ言葉がそのままぽろりと口を出ました。


「……そういえば、あなたの一族は精霊の記憶を詩にするのよね? ”彼”のはどんな詩になったの?」


「いえ、その、わたくしには詩の教養などありませんでしたので、ただ言葉を並べただけのようなものにしか……」


「聞きたいわ」


「……いいえ、お嬢様。お知りにならないほうがよろしいでしょう。それに恐らく、今詠めば違う言葉となります」


「えっと、じゃあ、そっちでいいの。聞かせて?」


「…………やめておきましょう」


「どうして?」


「……そんなことをしてしまったら、わたくしはお嬢様をベッドに押し倒してしまうかもしれません」


「えっ? あっ――!」


 ほんの僅か顔の赤くなったティディの言葉に、私は今自分がどこにいるのかを思い出しました。

 彼の部屋で、二人っきり。

 慌てて離れようとすると、ティディは私を抱き寄せました。

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