第11話
私とティディは屋敷の本館を出て、使用人の宿舎となっている離れへと向かいました。
「こちらです。レイナお嬢様」
「……うん」
彼に質問されたぬいぐるみのことは、もちろん私は覚えています。
ですが、あの場でそれついて問いかけられるとは夢にも思わず、私が首を傾げると、彼は「見せたいものがあります」と言って私を連れ出したのでした。
そのときの、ティディの酷く悲しそうな瞳。
私は弁解も、なにを見せるつもりなのかとの疑問を口にすることもできず、黙って彼に付き従うことにしたのでした。
……けれど、見せたいものというのは、恐らく――。
「こちらが、わたくしの部屋でございます。なんのおもてなしもする用意もしておらず、恐縮ですが」
たどり着いた扉をティディが開けると、ベッドにスツール、壁際には小さなクローゼット。それだけで家具はすべてとなる、殺風景な部屋がありました。
ただひとつ、スツールの上にはクマのぬいぐるみが飾られています。
少しだけ黄色がかった茶色い毛並みの、とても可愛らしいものです。
「……っ」
懐かしさが込み上げてきて、私はぬいぐるみに駆け寄りました。
抱き上げると、少しだけティディの匂いがします。
過ぎ去った年月によって僅かに色褪せておりますが、けれどもそれは間違いなく、私が十歳の誕生日にお別れしてしまったはずの
「どうして、この子を……?」
「わたくしは、お嬢様のおじい様から、
まるで噛み締めるように、ティディもぬいぐるみを”彼”と呼びました。
ティディは寂しげな表情で私の傍へ近寄ると、腕に抱く”彼”の頭をそっと撫でます。
「……そして、わたくしのこの心は、本来は彼のものなのです」
「えっと、どういうこと……? まさかティディ、あなたはぬいぐるみの妖精だなんて言わないわよね?」
私はティディとぬいぐるみを見比べました。
そういえば、どことなく毛並みの色が似通っているような気もします。
……いえ、なにを馬鹿なことを。
確かにちょっと珍しいくらいの美形ですけど、それでもどうみてもティディは血の通った普通の人間です。
おとぎ話に出てくるような、フェアリーやジンの類だとは思えませんでした。
「それは……っ、いえ、その、はい。そうではございません」
「あっ! どうして今ちょっと笑ったの? ねぇ、ティディ? こっちを向きなさいよ!」
「……可愛らしい想像だなと」
「もうっ!」
私の質問がそんなに可笑しかったのか、ティディは笑みの浮かんだ顔をさっと部屋の壁へと逸らしました。
可愛らしい想像もなにも、紛らわしい表現をするほうが悪いのだと思いますけど。
「――失礼しました。しかし、どこから話したものか……。わたくしがこの屋敷へと、お嬢様のおじい様……前当主様に連れてきていただいた、初めの頃です」
やがてティディは笑みを引っ込め、遠い目をして語り出します。
もう少しだけ笑顔を見せて欲しかったのに、残念です。
「わたくしは、抜け殻でございました。悲しみもなく、怒りもなく、喜びもない。それらのすべては、もはやあの場所で削ぎ落とされたあとでございました」
「あの場所……?」
「魔法研究所でございます。わたくしの名前はそこから取りました。多くの同胞が、そこで命を失いました」
「命って……同胞? ねぇティディ、あなた一体、なんの話をしているの?」
この国には、多くの魔法研究所があります。
しかしそのいずれもが、人の命を奪うような実験をしているとは聞き及びません。
少なくとも、私は知らされていないのです。
でも、魔法とは戦争の道具。
火を起こすのに、平民は薪を使います。風を起こすために、扇ぎます。水が欲しければ、井戸や川に汲みにいくものです。
貴族の持つ魔法の力は、血脈は、人々の日々の営みには含まれません。
それらは”特権的なもの”として、きっと今も、”未来の戦争”のために受け継がれているのでしょう。
ならば、そのような研究所があっても、別に不思議ではありません。
「わたくしは、前当主様に助けていただいたときにはもう、すべての感情を失ってしまっておりました。ですがそこに、そのぬいぐるみを……”彼”を与えられたのです。わたくしは再び、生きる”目的”を得ました」
「それって、どういう……?」
私は腕の中のぬいぐるみに視線を落とします。
この”彼”が、ティディの生きる目的ということでしょうか? あまりよく意味が理解できません。
ただ、とても悲しい出来事があったのだろうとはわかります。
ティディの声には、深い悲哀が満ちていました。
「ティディ、私は……あなたがこのぬいぐるみを持っていてくれて、とても嬉しく思っているの。それに、こうしてまた会えたのも嬉しい……。だからそんな、悲しそうな目をしないで?」
ティディは無表情で佇んでいます。
でもそれは、きっと感情を押し殺しているからです。彼の言うように”抜け殻”だなんて、そんなことは決してありません。
私はティディを知っています。
いじわるを言ったり、励ましてくれたり、助けてくれたり、叱られたり――。ときには冗談を言ったりします。
それらはすべて、本当のティディであるはずです。
失われてなどいないのです。
「お嬢様……」
ティディは小さく息を吐き出し、そっと秘密を打ち明けました。
「わたくしは、”精霊詠み”の一族でございます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます