第10話

 ショックでした。

 彼にとって私の執事の立場というのは、そんなふうに簡単に捨ててしまえるものだったのでしょうか?


 ……いえ、きっと、この言い方は正しくありません。

 私はティディが平気な顔で、私の元を去って行けると言い出したことが悲しいのです。


「ねぇ、どうして!? あなたにとって、私はその程度の存在だったの!?」


「お嬢様。それは、違います」


「っ、違うなら、辞めるだなんて言わないでッ!」


 声を荒げてティディの袖口を引っ張りながら、私の中の冷静な部分が、彼を困らせていることに気づいていました。


 先ほどの発言はティディにとって、私のためを想った上でのものなのでしょう。

 それでも私は自分のズルさを自覚しながら、彼を失いたくなどなかったのです。


「アード様のことだったら、今回は私が自分でなんとかするわ! だって、ただの誤解なんだもの! 私たちの間に、主従関係以上の感情なんてないはずよ! そうでしょう!? ティディ!」


「お嬢様……」


 言いながら、心の内が擦り切れていくのを感じます。

 きっと私は今までわかっていなかっただけで、彼のことをずっと愛していたのでしょう。浮気性の婚約者に気づかされるだなんて、なんとも皮肉な話ですけど……。


 でも今は、この感情を嘘にしなくてはなりません。

 そうしないと、彼を失ってしまうことになるのですから。


「レイナお嬢様、誠に申し訳ございません。しかしそれは、違うのです」


「っ、なにが、なにが違うってあなたは言うの? だって私たち、浮気なんてしてないじゃない!」


「……わたくしめが、悪いのです」


「いいえ、あなたは悪くない。だってアード様の勘違いよ! 辞めるだなんて――」


「お嬢様」


 ティディは小さく首を振り、それから私をじっと真っ直ぐに見つめ返しました。

 彼の指が、濡れた私の頬に伸ばされて、触れることなく下げられます。無表情に見えていたティディの眼差しは、今はなぜだか酷く悲しそうに窺えました。


「……わたくしは、お嬢様を愛しております」


「――ッ!?」


 衝撃的な一言に、私は両目を見開きました。


 歓喜、驚愕、焦燥、疑問――。

 この瞬間、湧き上がった感情に私は名前をつけられません。

 でもそれは……その言葉は、決して受け取ってはいけないはずのものなのです。


「そ、それって、執事としてってことでしょう? いえ、家族。そう、私とあなたはずっと一緒にいたんだもの。家族を愛する気持ちでしょう?」


「もちろんそれもございます。しかし、レイナお嬢様。わたくしは、あなたにずっと恋焦がれているのです」


「ッ、だめよ、そんなの!」


 慌てつつ、私はティディの袖口から手を離しました。

 今さらながら、彼に縋るようにくっついていたことに思い至ったのです。……頬が再び、熱を帯びてきたようでした。


「はい。その通りでございます。――そして残念ながら、この気持ちは作り物であるのです」


「……え?」


 作り物……? それは、どういう……?


 まるで氷の魔法をかけられたかのように、私は動きを止めました。

 固まる私を悲しげなアイスブルーの瞳で見つめて、ティディは言葉を続けます。


「わたくしの秘密を、お教えします。レイナお嬢様は幼い頃に、クマのぬいぐるみを捨てたことを覚えていますか?」

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